つづきです。今回は、あいさつについてです。
嬬恋村に住んで10年。その間に一番驚いたことは、子供たちが大人たちに無差別に挨拶することです。知らない人にも挨拶をする。これだけは驚いた。そして一言、言わせてほしい!
嬬恋村の子供たち、サイコー!
こういう風習を考えた人、すばらしー!
で、私の子供の頃を思い出したわけです。
そして愕然としたわけです。
というのも、私は逆の教育を受けているからです。
「知らない人とは口をきいてはだめ」
「挨拶も?」
「挨拶も」
これは親からも言われたし、先生からも言われました。そして小学校の全校集会で校長先生にも言われました。あと、知らない人とは口をきいたために誘拐されそうになった事例を年に3回くらい具体的に聞いています。
今から考えれば、その事例は、かぎりなく怪しかった。誘拐なんて、そうそうおこるものではないからです。しかし、当時は、そうそう起こるはずのない誘拐におびえて、知らない大人との接触を禁じ、挨拶まで封印してしまった。そのせいか挨拶は、今でも私にとっては苦手です。
例えば、こんなことがありました。
小学校2年生の時、病院の場所をきいてきた大人(老婆)がいました。私が、連れて行ってあげゆうとすると、友だちが遮って、「あそこの本屋で聞いてください」と言いました。この友だちの行為は、本人が考えた行為ではなく、学校が子供たちに与えたマニュアルでした。だから友だちは正しいことをしていたのですが、子供の頃の私は何か釈然としなかった。これをきっかけに自分の中の心の叫びが、学校や大人や親たちを疑いはじめる一歩になりました。ただ、大部分の子供たちは学校の教えに疑いをもちませんね。
挨拶は大切ですよ。知らない大人との接触を禁じるのは良いと思いますが、挨拶まで禁じることは無いと思うし、老人を病院に連れて行くくらいは良いと思う。
ここから先は、整体と児童館の主任を職業としている
私の友人のお話です。
私の友人に児童館で働いている奴がいるのですが、
この人は、挨拶にこだわる人なんです。
もちろん挨拶の仕方は千差万別。
「あけまして、おめでとう!」
「あけおめ! ことよろ!」
「うぃーっす!」
その人は、上品な言葉でなくても、教育上は使わないほうがいい言葉であっても、雰囲気にあっていれば、よしとしています。その子と、いい時間を一緒につくるのが、あいさつの意味だというのです。
ところが、子供たちの中には、「おめでとう!」と、あいさつしても、プイっと目をそらし、黙ったまま入館しようとする男の子もいるらしい。すると、私の友人は、事務所で仕事の打ち合わせ中であっても遠慮無く追いかけていって
「口がついてるんだから、あいさつぐらい返せ。あいさつしたって、なんの損もしないだろ!」
といいながら、飛び膝蹴りをするのです。
もちろん、挨拶しなかった男の子は逃げます。
そして、苦笑いしながら
「わかったよ、すればいいんだろ、おめでとうございます!」
「うん。オッケー。おめでとな」
するとなにごともなかったように、私の友人は、事務室のドアを開けて席に戻り打ち合わせを続ける(笑)のです。
そこまでして、あいさつさせなくてもと思うでしょうが、
そうではないと言います。
児童館には、毎回100人以上の子どもたちが来る。
その子たち全員と遊ぶのは難しい。
だから、来た時と帰る時のあいさつだけでも声を交わしておけば、
なにかあった時、子どもたちは大人に声をかけやすくなる
と彼は言います。
「よくトラブルになったら子どもの話をよく聴いてなどと話す方がいるが、それも大切なことだとは思いつつ、本当に大切なのは、トラブルが生まれていない普段のふれあいだと思っているんですよ」
「ほう」
「喧嘩だってね。お互い怒って泣いて喧嘩してるのに理屈でいさめたって納まるわけがない」
「なるほど」
「むしろ理屈があっている分、ますます腹が立ったりするのが人間だろうしね」
「うんうん」
「だけどね、普段から話をしていて安心感のある人が中に入って、『よしわかった! 難しいことはおいといて、ここで、先生と解決に30分かけるのと、すぐにまた遊ぶのとどっちがいい?』と言ったら、たいていの子どもたちが『じゃあ遊ぶ!』って言って元気に遊びだすんですよ」
「アハハハハ」
「見方によっては、なにも解決してない」
「・・・・・」
「だけど一番大事な『その子の納得感』はあるわけです」
「なるほどねえ」
「なんでも問題にすることがいいわけじゃない。そんなの問題でもなんでもないよ!と一緒に笑い飛ばす人がいてくれれば、けっこう人生ってなんとかなると思うんですよね」
「真理だね、すごい真理だと思う」
「まあ、いろいろな理屈を言いましたけれど、なんで子どもにあいさつするかって言ったら、したいから。これだけです。そういう想いに理屈はいらないんじゃないかな。そういうことを、子どもに伝えられたら、ちょっと嬉しいかなって思っています」
子供に挨拶をする。
とても素敵なことです。
嬬恋村の子供たちに栄光あれ!
つづく。
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ラベル:私の小学校時代を思い出した11
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学習院初等科の方が読んでいたらね・・
な、わけないか。
挨拶できない人って、大人でもいるけど、相手にしたくないよね。自分で発見できるまでほっとくけど、死ぬまで治らない気がする。
小学校の時、まじめな女の子なんだけど、正しいんだけど、関係ないのに、分っていないのに、安っぽい正義感振り回して先生にちくる子がいて、みんなからシカトされていた。
大人になっても、品格のないおばさんになっていた。
オアシス運動の掲示があったのを思い出します。
オ→おはよう
ア→ありがとう
シ→しつれいします
ス→すみません
だったかな?
学校の朝礼で、挨拶をしましょうとの校長先生の話がありました。
しつこく「こんにちは」
前にまわって「こんにちは」(聞こえない人もいらっしゃるから)
それでも、何度も会うのに、同室になるのに挨拶がかえってこない人がいます。
このブログ読んで気がつくといいなと思います。
一言挨拶ができると仲間になりやすいのに。
一言挨拶ができないために?されているのに。
イトウさんとは、同世代のはずですがオアシスは知らなかったなあ。まあ私の世代からあいさつは、あまり重要視されてなかったですね。それでも先生がくると起立・礼・着席はやってました。
私もあいさつは苦手でした。耳が聞こえないのと、先生があいさつを否定したりしたので。でも、あいさつは大切ですね。この歳になるとしみじみわかります。例えば、知らない人と出会って、両方が引っ込み思案だったばあい、気まずい沈黙が流れます。これを打開するのがあいさつですよね。葬式にしても同じで、はじめてあう人とも「御愁傷様」の一言でうちとけられる。やはり挨拶は魔法の言葉ですよ。