『阿弥陀堂だより』という、南木佳士の小説を原作とした日本映画がありました。パニック障害を病んだ妻を連れて帰郷した夫と阿弥陀堂を守る老女との交流を描いた話です。北林谷栄が第26回日本アカデミー賞助演女優賞を、小西真奈美が新人俳優賞を受賞、第56回ヴェネチア映画祭でも「緑の獅子賞」を受賞するなど、世界中で高い評価を受けた映画です。

良い映画でしたが、あれ、嬬恋村が舞台なんです。
長野県ではない。
まず、原作者の南木佳士さん、
この人は嬬恋村生まれなんですよ!
南木佳士は、ペンネームですが、
『南木』
というのは、北軽井沢ブルーベリーYGHのあるあたりのことです。
つまり『阿弥陀堂だより』という話は、群馬県嬬恋村三原の話なのです。
万座鹿沢口駅から徒歩7分のところが舞台です。
これが原作者の南木さんの生家です。
『阿弥陀堂だより』は、映画より原作の方が面白いです。嬬恋村・軽井沢・佐久がジャンジャンでてくる。たまに秋田の話も出ますが、それは、秋田大学の学生だったからですね。つまり南木さんの書くものは、みんな私小説なんですよ。そしてほとんど実話。だから迫力あります。そして、この話は、嬬恋村を知らないと、知ってるとでは大きく違ってきます。
嬬恋村では、自殺が多い。
珍しくない。
鬱も多いです。
近親結婚が多かったからと言われています。そういう村の状態を知っていると映画が倍面白くなります。本家の阿弥陀堂も知っていると映画が面白くなります。作者は、佐久の病院でパニック障害になり鬱になったんですよ。佐久病院は長野県の田舎ですが、その田舎で鬱になった。長野で鬱になった。それを癒したのは、軽井沢病院に来院してくる故郷嬬恋村の素朴な村人だったのです。

南木佳士さんについて
南木佳士は昭和二十六年(一九五一年)十月に吾妻郡嬬恋村に生まれました。本名は霜田哲夫。父重義は入り婿で鉱山会社に勤め、母つぎは群馬女子師範を出て、地元で小学校の教師をしていました。南木の四歳のとき母が結核で死亡したため、その後は祖母に育てられました。
少年時代は、嬬恋村の三原の山あいの捨城庵のそばにある小学校に通っていました。父は、バスで二時間もかかる小串鉱山の社宅にいて週末にしか帰って来ませんでしたから、ふだんは祖母と姉の三人で生活していました。父からのわずかな仕送りで暮らしていたので貧しかったようです。
しかし父が東京へ転勤しましたので、中学から東京に行き、都立高校から秋田大学医学部をへて長野県佐久市にある佐久総合病院の医師になり、現在もその地に住み内科医長を勤めながら、小説を書いています。
そこから一時期、軽井沢の町立病院に派遣されたことがありました。「軽井沢は生まれ育った群馬の山村のとなりの町である」。そこの風物や縁戚にあたる人間たちに親しんでいるうちに生まれたのが、第百回芥川賞の『ダイアモンドダスト』平成元年(一九八九年)でした。
つづく。
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