実は、この部分だけは書きたくなかった。
しかし、今回はあえて書きます。
嬬恋村には、両墓制の風習があったのです。
両墓制とは、遺体を埋葬する墓地と、御参りするための墓地を一つずつ作ることです。つまり一個人に対し二つの墓を作るのです。これは、私の故郷である佐渡島にも、その風習があり、私の祖母の墓は、両墓制の風習にのっとって、2つの墓がつくられました。
現在、厳密な意味での両墓制は滅びています。
というのも両墓制は土葬だからです。
と、ここまで書いても分からない人には分からないでしょうから、もっと具体的にいうと、遺体を風に曝して風化をまつ風葬という習慣があります。これも両墓制の風習の一つのスタイルなのです。遺体と魂を分けて、魂だけを御参りし、遺体は放置したままにする。そういうスタイルに近い墓地が、嬬恋村にもあったのですね。それが、ここ。田代の両墓です。
昔、日本ユースホステル協会のマネージャー研修会で、大勢のユースホステルマネージャーを、ここに御案内したことがありましたが、松山ユースホステルのお母さんが、ここで金縛りにあいました。他にも何人かの御客様が、金縛りにあったりしています。なので、ここには殆ど、御客様を案内していません。場所も、あえて秘密にしておきます。問い合わせても、お答えできませんので、あしからず。
ちなみに、嬬恋村の田代というところは、江戸時代は馬の産地でもありました。五十戸という小さな小さな村だったのですが、村名が「田代」なのに田が皆無だった村でした。しかし、牛馬は多く、ここの牛馬が善光寺平から菜種油を江戸まで運ぶために大活躍したと言われています。
また、田代には、無数の水車があったようで、豊富な水資源を活用して、水力を利用した加工業が盛んに行われたとも言われています。
つづく。
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しかもつい最近まであったのですね。