2010年05月22日

芦田宿

芦田宿

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 芦田宿(あしだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十六番目の宿場になります。難所であった笠取峠の東の入口にあたります。長六年(1601)江戸幕府は、大久保十兵衛・彦坂小刑部を中山道に派遣し、道路の整備に併せ次々に「宿駅」を街道の各所に置くように命令したことから、中山道の各所に宿駅が設けられました。

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 芦田宿は、慶長二年に岩間忠助・土屋右京左衛門によって「芦田宿立駅についての願文」が出され芦田宿が設立しています。これは、幕府が交通政策にのりだした慶長六年の4年前にあたり、北佐久では一番先に設立されたことになります。

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 本陣は、芦田宿設置とともに土屋右京左衛門が仰せつかり明治維新まで代々勤めてきました。現在残っているのは寛政十二年に建て替えられた客殿のみで、往時は高札場・問屋場・酒造蔵などがありました。明治維新までは、公家や諸大名の宿泊・休憩などに使われ、諸大名の宿札がたくさん残されています。

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 和宮は孝明天皇の皇妹で、文久元年(1861)公武合体政策の犠牲となり文久二年14代将軍家茂に嫁ぎました。この江戸へ下る際、芦田宿を通り本陣で昼食を取りました。

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つづく。

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ラベル:芦田宿
posted by マネージャー at 07:00| Comment(0) | 佐久 中山道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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