芦田宿は、慶長二年に岩間忠助・土屋右京左衛門によって「芦田宿立駅についての願文」が出され芦田宿ができています。これは、幕府が交通政策にのりだした慶長六年の4年前で、北佐久では一番先に設立されたことになります。
土屋家は代々芦田宿本陣を勤める家柄で中山道の開削の際は大きな尽力を尽くしたそうです。江戸時代後期には客殿をはじめ、主屋、問屋場、荷蔵、酒蔵、長屋など多くの建物が軒を連ねていました。
現在の建物(旧客殿)は寛政12年(1800)に改築されたもので梁間11間、桁行5間と規模が大きく玄関屋根は唐破風で懸魚や蟇股など格式の高いもので、内部には大名や公家などが泊まった上段の間や広間、小姓部屋、湯殿、雪隠とほぼ原形が残されています。江戸時代後期に建てられた大型で当時の姿を留めている本陣建築として大変貴重な存在で昭和63年に長野県県宝に指定されています。
芦田宿にとって最も大規模な通行は、皇女「和宮」の東下り。
この際、芦田宿を通り本陣で昼食を取ったとされています。
つづく。
↓ブログ更新を読みたい方は投票を
人気blogランキング