宝性寺境内に建てられている碑で、菅江が沓掛(現中軽井沢)に滞在の時に作ったと思われる狂歌が刻まれています。
「こヽもまた 月の雪国雪国と はてなき空を わたる厂かね」
朱楽菅江(あっけらかんこう)は、江戸時代後期の戯作者、狂歌師。大田南畝、唐衣橘洲と共に天明狂歌ブームを築き、狂歌三大家といわれました。牛込の二十騎町に住む幕臣で、本名は山崎景貫。通称は郷助。字は道甫。俳号は貫立。筆名はあっけらかんのもじり。菅江を中心としたグループは朱楽連と称しました。唐衣橘洲の『若葉集』(1783年)に対抗して、大田南畝と共に『万載狂歌集』(1783年)を編みました。妻のまつも、節松嫁々という号の女流狂歌師として有名です。
ちなみに宝性寺の近くに、草軽鉄道の駅がありました。中軽井沢の住人は、そこまで歩いて草軽鉄道に乗り、旧軽井沢や草津の方に出かけたと言われています。
宝性寺
真言宗智山派長倉山寶性寺。
本尊は大日如来。
佐久八十八ヵ所第十五番札所。
軽井沢町長倉2331-14
TEL:0267-45-6128
つづく。
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ラベル:朱楽菅江狂歌碑・宝性寺