2010年06月04日

朱楽菅江狂歌碑・宝性寺

朱楽菅江狂歌碑・宝性寺

 宝性寺境内に建てられている碑で、菅江が沓掛(現中軽井沢)に滞在の時に作ったと思われる狂歌が刻まれています。

09hou-9.JPG

「こヽもまた 月の雪国雪国と はてなき空を わたる厂かね」

09hou-8.JPG


 朱楽菅江(あっけらかんこう)は、江戸時代後期の戯作者、狂歌師。大田南畝、唐衣橘洲と共に天明狂歌ブームを築き、狂歌三大家といわれました。牛込の二十騎町に住む幕臣で、本名は山崎景貫。通称は郷助。字は道甫。俳号は貫立。筆名はあっけらかんのもじり。菅江を中心としたグループは朱楽連と称しました。唐衣橘洲の『若葉集』(1783年)に対抗して、大田南畝と共に『万載狂歌集』(1783年)を編みました。妻のまつも、節松嫁々という号の女流狂歌師として有名です。


09hou-1.JPG

09hou-2.JPG

 ちなみに宝性寺の近くに、草軽鉄道の駅がありました。中軽井沢の住人は、そこまで歩いて草軽鉄道に乗り、旧軽井沢や草津の方に出かけたと言われています。


09hou-3.JPG

09hou-4.JPG

09hou-5.JPG

09hou-6.JPG

宝性寺
真言宗智山派長倉山寶性寺。
本尊は大日如来。
佐久八十八ヵ所第十五番札所。
軽井沢町長倉2331-14
TEL:0267-45-6128

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 06:33| Comment(0) | 中軽井沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。