2010年06月06日

入山峠(シルマンウォーク)1

入山峠をシルマンウォークしてきました。

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 今回のシルマンウォークは、入山峠です。

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 古代に設置された東山道は、入山峠を通る経路を取っていました。それが碓氷峠にとってかわられるのですが、通行が容易で中山道の軽井沢宿や坂本宿での宿継を省くことができる事などから、近世には中山道の裏街道として入山峠を通る入山道が、和美峠を通る下仁田道とともに賑いました。

 入山道は碓氷関と坂本宿の間の原村で分かれ、遠入川を遡上して入山峠を越え借宿村(現・軽井沢町)で中山道に合流する道と、発地(現・軽井沢町)、面替(現・御代田町)などを通り岩村田宿で合流する道がありました。

 ただし、碓氷関の置かれた要害にあるため地元の甘楽郡の入山村・恩賀村にしか通行は認められず、享保18年(1733年)の江戸幕府による信州米買い上げの際も、信州から入山村まで輸送された米を入山村の馬に積み替えています。

 入山道は商品輸送路として公的な道ではありませんでしたが、特に信州各藩の米の輸送などで盛んに利用されていました。

 文政6年(1823年)には入山村で通行料の取り立てが行われ、同8年(1825年)には競合する沓掛・軽井沢・坂本の3宿の困窮を理由に通行禁止になりました。しかし、この禁止によって入山道の農民から不満の声が上がり、一旦は妥協が成立したがその後も紛争が続き、文政10年(1827年)に廻米に限って再び輸送が許可されました。

 その後、弘化4年(1847年)の上田藩の江戸廻米も従来通り入山道を通って松井田宿まで送られるなどし、安政4年(1857年)には沿道の村が入山道の通行差止めの撤廃を願い出ています。



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この峠には、なにげに石碑石仏があります。


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 猩々たちが、私たちを見張っています。

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つづく。

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posted by マネージャー at 01:04| Comment(0) | 南軽井沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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