2010年06月06日

入山峠(シルマンウォーク)2

入山峠(シルマンウォーク)2
つづきです。

10iriyama-11.JPG


途中、行き止まり。
橋がない?

10iriyama-12.JPG


強行突破!


10iriyama-13.JPG

10iriyama-12.JPG

10iriyama-14.JPG


 ここは、祭祀の遺跡があった場所。


10iriyama-15.JPG

 看板には、このように書いてあります。


10iriyama-16.JPG


 つまり、ここを通過する時に、お祭りがあり、
 この通過ポイントを、古代人は特別に思っていた。

 ここが重要です。

 日本武尊が「あがつまはや」と3回叫んだ場所が、ここであるなら古代人が祭祀を行った理由がわかるからです。古代人は、祟りを極度に恐れました。そのために非業の死をとげた人を祭ったのです。日本武尊も非業の死をとげた一人です。そう考えると、日本武尊が入山峠を通過した説も説得力をもちます。


10iriyama-17.JPG


 もう一つ。

 入山峠は、太陽があたりにくいのです。つまり日本書紀にある碓氷坂、つまり薄日坂は、入山峠である可能性がある。
 

 それからもう一つ。

 古事記では、日本武尊は、足柄山を通過したことになっています。つまり古事記では、日本武尊は足柄山。日本書紀では、碓氷坂の説をとっています。で、この2つの場所には、共通するものがあったのです。関所です。つまり、足柄と碓氷は関東への入り口だったのです。で、当時の人たちは、関東のことを坂東と言いましたが、碓氷の坂の東という意味です。つまり、古代人にとって、この坂は重要な場所であり、祭祀の拠点でもあったということです。

 以上の点から日本武尊が、ここを通過したと考えても不思議はありません。古代の愛妻家、日本武尊になった気分で、入山峠を歩いてみませんか?

 最後に一つ。入山峠の終点である南軽井沢は、奈良時代の頃までは湖でした。日本武尊が、入山峠を超えて到着した南軽井沢の場所には、美しい大きな湖があり、花が咲き乱れ、水鳥がたくさんいたと思われます。海難事故で妻を亡くした日本武尊が、何を思って、その湖をながめたでしょうか?

10iriyama-18.JPG

10iriyama-19.JPG

10iriyama-20.JPG

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 23:17| Comment(0) | 南軽井沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。