15本の杉の巨木が参道の両脇にあります。
樹齢三百年といいますから、かなり巨大です。
この大柏木の諏訪神社のあたりにには、
大場三郎(だいばさぶろう)伝説
があります。
それは、こんな伝説です。
昔、京の美しい姫が東に下り大柏木で三郎を生みました。三郎は剣術の達人となって村人を助け、剛勇の名をとどろかせるエピソードが知名と共にかたられます。そして、最後にこうなります。
「ある夜のこと、大きな地響きと雷鳴とともに山伏姿の天狗が現れ、
さすがの三郎も太刀打ちできずにいると
天狗はこう言いました。
『私は、この里に禍をもたらしにきたのではない、おまえに天狗道を教えに来たのだ』
すると三郎の背中に羽が生えており、
『これから天狗道に赴いて生まれ育ったこの村の守りになる』
と村人に叫びながら天狗に導かれて姿を消しました。
それ以来、大柏木の里では穏やかで平和の日々が続いているということです」
その伝説の7ヶ所の地名を総称して「大場七景」と言います。
1.三郎の産湯の水を汲んだ井戸「かじか京」
2.武術の稽古に使ったと言われる「蒔田の松」
3.三郎の母が独経しながら亡くなったと言われる「上臈が平」
4.三郎の乳母を葬ったと伝えられる「お乳が窪」
5.三郎のために衣食足りて礼節を知る運んだと伝えられる
ツバメに似た岩「つばくろ岩」
6.どんな干ばつにも涸れず三郎の暮らしを支えたという
「独りのみの井戸」
7.三郎が倒した盲人の亡霊を祀った石がある「盲目神」
では、大場三郎とは、何者でしょうか?
源平盛衰記によると源頼朝が伊豆を小船で脱出したときに追っ手として出てきたのが東入道50余騎、その後には大場三郎景親1000余騎が続いたとされています。その後、石橋山の戦いで頼朝を撃破。しかし、安房国へ逃れた頼朝が再挙して多くの東国武士に迎えられて鎌倉へ入ると抗する術を失う。頼朝が富士川の戦いで平氏に大勝した後に降伏し、処刑されています。この大場三郎と、大柏木の大場三郎の関連は、まだ明らかにされていません。
つづく
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ラベル:大柏木の諏訪神社