2010年07月14日

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 3

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 3

 北軽井沢ブルーベリーYGHは、最初ペンションでした。中古ペンションを買い取ったからペンションからスタートしたのです。大勢の友人が融資をしてくれ、たちまち二千万が集まりました。


10jk-1.JPG


 しかし、金を借りても返せなかったら意味がありません。いろいろと試算してみた結果、買ったばかりの中古ペンションを賃貸にだすと年間360万の家賃が入り、夫婦で一生懸命働いて毎月30万円の貯金をすると、さらに360万くらいの貯金がたまり、1年間で合計700万円の返済ができる。これなら3年くらいで全額返済できることがわかりました。これならノーリスクです。私は、サラリーマンをしながら、余裕で3年以内に借金を全額返済し、無借金経営からペンションをスタートさせることができるからです。これで一件落着のはずでした。

 ところが、意外なところに伏兵があらわれました。

 百万ほど金を貸してくれた友人の一人が、
「俺にペンション経営をさせてくれ」
というのです。

 正直言って悩みました。友人に経営をまかせたら、家賃収入はゼロになるし、へたしたら赤字になるかもしれません。つまりリスクができる。私は悩みましたね。なにせ友人から金を借りている。返せなくなって友人を失いたくない。かといって、「俺にペンション経営をさせてくれ」と言ってくる友人のたのみを断るのは辛い。

 情をとればリスクができる。
 リスクを避ければ、友人のたのみを切り捨てることになる。

 もし私が、立派な経営者なら友人のたのみは断っていたはずです。しかし当時の私は、どこか甘ちゃんなところがあり、結局、情に流されてしまい、友人に経営をまかせることになってしまった。しかし、予想どうり経営は失敗してしまいました。年間二百万もの広告費をだして、そこそこ集客したのは、良かったのですが、リピーターがゼロでした。価格は安くしたし、詰め込みもやってません。しかし、どういうわけかリピートする人はいなかった。これでは赤字になります。

 当時私は、ガラス清掃の仕事をしており、午前中で仕事が終わっていましたから、お昼過ぎから、あちこちの旅行代理店をまわり、パンフレットを配って歩きました。これなら金がかからないので、赤字化を防げると思ったのです。しかし反応はゼロに近かった。おまけに、たまに客をおくってくれた旅行代理店の支払いに法外な手数料がかかることがわかって、ボーゼンとしてしまいました。クーポンを現金化するのに、すごい金額がかかってしまうのです。

 さらに自宅に帰ってから、チラシのポスティングまでやりましたが、これも反応無し。その後は、深夜おそくまで、作ってもらったホームページの検索エンジン登録をコツコツやっていましたが、アクセス数は一向にあがらない。


10-4-9-5.JPG


 そのうえ悪いことは、重なるもので、「俺にペンション経営をさせてくれ」と自信満々に言ってきた友人が、あまりに御客様が来ないためにノイローゼ気味になってきました。1週間、人間と会話してないとメールに書いてくるのです。必然的に問い合わせの電話に、その影響が出てきます。で、ますます予約が減るという悪循環になるのです。

 これじゃまずいぞってんで、共通の友人を集めてアドバイスを求めました。みんな融資してくれてる人たちなので、いろいろな真剣に考えてくれ、いろいろなアイデアをだしてくれました。それを「俺にペンション経営をさせてくれ」と言ってきた友人にメーリングリストを使って、そのアドバイスを書き込んでもらったのですが、彼は淡々と
「貴重な御意見ありがとうございました」
とだけ答えるだけなので

「うん?」
「変だな?」
「何かよそよそしい返事だな」

と思い、北軽井沢に偵察にきてみたら、
彼は私の顔をみるなり吠えまくりました。

「みんな何も分かってないですよ!」
「現場のことは知らないくせに」


と怒っていました。それはもうメーリングリストの書き込みとは全く違っていました。彼は、すでに誰の忠告にも耳を貸さなくなっていたのです。つまり友人たちのアドバイス作戦は見事に失敗したわけです。こうなると

「もう何を言っても無駄だな」

と思った私は、

「こうなったら赤字になろうが何しようが自由にさせてやろう」

と決意しました。そして落ちるところまで落ちてからペンションを再生させようと考えたのです。で、私は、ガラス清掃の仕事を辞める決心をしたのです。3年間ガラス清掃で働いて返済する計画は中止し、私自身が本気になってペンション経営をすることにしたのです。

 具体的に言うと、必死になって軽井沢駅前で客の呼び込みをし集客するつもりだったし、繁盛しているペンションで修行させてもらうことも考えました。とにかく中途半端なことでは、赤字は増える一方だし、最悪の場合は、売却して友人からの借金だけでも返済をしなければならないと思ったのです。

 と言っても、ペンション経営は、友人の自由にまかせました。
 倒産しようが何しようが、とりあえず友人の好き勝手にさせ

 そのかわりに私は、会社を辞めたことを誰にも言わずに
 隠密に行動しました。

 だから、いきなり北軽井沢に乗り込んだのではありません。
 東京に潜伏し、ある作戦を実行したのです!


つづく

↓ブログの更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 23:19| Comment(2) | 日本ユースホステル運動史の周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
当時、こんな思いでやっていたのですね。
懐かしくもほろ苦い感じで。。。
この10年は一瞬にして出来上がったのではないと思いました。

いまさらながらずっしりと重みを感じています。

高血圧にもなりますね。
大事になさってください。
また一緒に山にも登らせてください。
Posted by ささらー at 2010年07月16日 22:33
>また一緒に山にも登らせてください。
いつでも大歓迎ですよ。
気軽にあそびにきてくださいね。
ちなみに前回ヘルパー代を渡すのを忘れてしまったorz

Posted by マネージャー at 2010年07月17日 19:25
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。