マネージャー(ペアレント)養成講習会に出席しろということは、一縷のチャンスがあるということです。しかし、マネージャー(ペアレント)養成講習会に出席してみたら驚くべき事に、鹿沢リゾートホテルの支配人が、いました。
北軽井沢から2施設の宿主が、マネージャー(ペアレント)養成講習会に出席しているというのは、いったいどういうことなんだ? 私は、疑心暗鬼になりました。認可されるのは、北軽井沢ブルーベリーYGHか? 鹿沢リゾートホテルか? 施設の良さで有利な鹿沢リゾートホテルに軍配があがるかもしれない。と考えると、ますます、お先真っ暗になってきたような気がしてきました。
さらに鹿沢リゾートホテルの支配人は、ホテルの図面を持ってきていました。それを得意満面に日本ユースホステル協会の皆さんに見せて、ユースホステル認可を迫ってきていたのです。そして日本ユースホステル協会のホステル委員会の方も、大いに乗り気で、鹿沢リゾートホテルのプレゼンを聞いていました。北軽井沢ブルーベリーのユースホステル認可は、絶体絶命のピンチに陥ったのです。
しかし、そこに助け船を出してくれたのが、日本ユースホステル協会の真田さんでした。真田さんが私を日本ユースホステル協会のお偉いさんに紹介し、
「北軽井沢でユースホステルに申請を申し込んでいる、もう一人のマネージャーです」
と強力にいってくれたのです。
この瞬間、私には真田さんが
『神』
に見えましたね。
(今でも私にとっては神ですけれどね)
ホステル委員の方も、小俣部長も私をジーッとみつめてきます。
私の顔は青ざめていたにちがいありません。
小俣部長が私に言いました。
「佐藤さんは、嬬恋村にユースホステルが2軒あっても異存はないですかね?」
え?
それって北軽井沢ブルーベリーYGHは、
認可される予定ということ?
さっきまで永遠の闇にいたとおもった私は、
闇ではなく日食の最中にいたのかもしれない
と思えてきました。
「異存ないです。何軒あっても異存はないです。隣に別のユースホステルがあっても、うちとしては何ら問題はありません。私自身が大勢の御客さまを呼んでくる自信がありますから」
認可さえしてくれれば、御客さまをガンガン呼ぶことは私にはできるという自信は、全く根拠のないものではありませんでした。というのも某ユースホステルで2年間ヘルパーしていた時に、あることを集客を倍に増やしたことがあったからです。体験プログラムも、ツアーもやらず、ただの受付と食事提供の工夫だけで、御客さまを増やすことを過去に成功させていたので、自信と確信はありました。だから、嬬恋村にユースホステルが2軒あろうが10軒あろうが、何の問題もありませんでした。
こうして、北軽井沢ブルーベリーYGHと、鹿沢リゾートホテルの2軒が認可される可能性がでてきました。ちなみに北軽井沢ウィンデーベルユースホステルは、御客さまとのトラブルによってユースホステル契約を解約されることになったということでした。
その後、鹿沢リゾートホテルの支配人が私のところに近づいてきて、いろいろ話をしてきました。話をしているうちに、とても素晴らしい人であることに気がつきました。
「どうして嬬恋村に来たんですか?」
「素晴らしい村だったからです」
「だよね、そうだよね、素晴らしい村だよね」
「自然は素晴らしいし、水も野菜も美味しいし、言うこと無いです」
「それが分からない奴が多いんだよ」
「は?」
「妻も子供も、嬬恋村でホテルをやると言ったら大反対でねえ」
鹿沢リゾートホテルの支配人は、市川さんと言いました。
市川さんは、嬬恋村出身ですが、上京して苦労をかさねたうえで
湘南(?)でスナックや飲食店を経営されたかたでした。
でも、歳をとるうちに美しい嬬恋村の光景が忘れられなくなり、
故郷の鹿沢にユーターンしてホテル経営をはじめたいと思いました。
しかし、息子娘さんたちも、奥様も大反対。
都会を離れたくないというのです。
孤立無援の中で半ば強引に、嬬恋村にもどった市川さんは、
しばらくのあいだ家族たちの中で針の筵だったようです。
「嬬恋村の良さを分かってくれるひとが、ここにいて良かった」
私は市川さんと、すっかり意気投合して深夜まで酒を飲み交わしました。
話題は、嬬恋村のことばかり。
初対面でしたが嬬恋村を愛するということでは、
同志であり、心の友でもありました。
後日談になりますが、マネージャー(ペアレント)養成講習会が終わって、鹿沢リゾートホテルに遊びに行った事があります。そして市川さんと旧交ををあたためあいました。
「鹿沢リゾートホテルはユースホステルにしないんですか?」
「やめた」
「・・・・」
「北軽井沢ブルーベリーYGHさんが頑張っているからね」
「・・・・」
「これからは嬬恋村を愛する人に頑張ってもらいたい」
鹿沢リゾートホテルのユースホステル化は、無くなってしまったようです。ちなみに鹿沢リゾートホテルは、ホテルと言ってもユースホステルみたいなところでした。何十人もの居候がいて、ユースホステルヘルパーみたいにボランティアで働いていました。昼間はスキー三昧。15時から朝10時まではホテルの仕事を手伝う代わりに、宿泊日とリフト代は無料にしてもらっていました。その雰囲気は、ユースホステルに似ていました。
つづく
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ところで、日本ユースホステルの真田さんて、やはり、ご出身は、信州の辺りの方なんでしょうかね??
なんて、余計なところに、ひっかかっていたりして…(笑)
この後も、もちろん続きますよね?
もう完結しちゃいますか? そしたら、淋しいんですが…。
ハイシーズンに更新は大変かと思いますが、楽しみにしております。
やっぱり、それを期待してしまいますね。
今度会ったら聞いておきます。
>この後も、もちろん続きますよね?
では、御要望に応えて、もうちょっと続けますね。