2010年09月14日

山家神社 シルマンウォーク


 山家神社(やまがじんじゃ)は、真田の本拠地の中心にあります。
 この近くから嬬恋村に通じる2つの古道の交差点でもあるからです。

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 その古道とは、1つは四阿山鳥居峠に通じる道であり、そもそも四阿山は、山家神社の御神体でもありました。日本武尊も、ここを通ったと言われています。養老年間(717-724)に修験者「浄定」が加賀白山より勧請合祀し四阿山に山家神社の奥宮を建立したそうです。 この神社は、いまでこそ神社ですが、もともとは四阿山修験道の聖地でもありました。明治政府の神仏分離令によって修験道は弾圧されたために、山家神社は、神社となり、修験者はなりをひそめたと言います。

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 もうひとつの古道は、角間産と湯の丸山の間にある角間峠を通って嬬恋村に抜けるルートです。かっては、登山道として地図に記載されたルートでもありますが、現在は崖崩れのために通行止めとなっています。この角間ルートは、多くの忍者たちの修行の地でもあり、猿飛佐助も、この地で修行したといわれていますが、本当のところどうなんでしょう? 


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 山家神社には四阿山奥宮社殿の扉が残されています。
 そこには「大檀那幸綱並信綱」「永禄五年」(1562)の文字があります。
 初代真田幸綱と二代信綱が奥宮社殿を修復ているのです。

 つまり、この神社こそが真田の本拠地であったわけで、彼らは修験者の大親分であった可能性が高いのですね。で、嬬恋村の草分衆(開拓者)たちが真田系の修験者であったことを考えると、真田軍団は古くから山伏の大ネットワークを築いており、それらが忍者として活躍していた可能性があります。四阿山は、上州・信濃で深く信仰された修験のメッカにもなっていて山家神社はその里宮でありました。


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つづく

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ラベル:山家神社
posted by マネージャー at 07:35| Comment(0) | 真田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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