ここは、いつかシルマンウォークで歩きたいところです。
で、今回は、有形民俗文化財 東の歌舞伎舞台の紹介。
http://www.city.tomi.nagano.jp/manabu/bunkazai/
東御市祢津1348番地19
寛延4年(1751)銘「踊大小入」の木箱が残されていることや、この舞台の東北方約500mの地に「えんぎ場」と言い伝えられているところがあることなどから、そのころから当地では歌舞伎が演じられていたと考えられます。日吉神社本殿背後に建つこの舞台は、嘉永年間の記録によると「文化14年(丁丑年)(1817)」の建立とありますので、西宮の舞台より1年遅れということになります。
間口8間(約14.5m)、奥行5.5間(約10m)の切妻造木造平屋建で、屋根は現在は桟瓦葺きです。舞台床面は、直径3間(約5.4m)の回り面となっており、その中心の奈落部分で、心棒に交差した腕木を押し回して回転させる仕組みになっています。なお、「セリ上ゲ」は2か所にあり、「セリ分ケ」・「セリ出シ」・「田楽返し」の装置や、背後には遠見用の窓などが考えられており、舞台前の階段状の広い桟敷席(見物席)と合せて、農村歌舞伎の発達史の上からも、貴重な舞台と言われています。
現在も、東町歌舞伎保存会を中心として、歌舞伎上演が続けられており、地元の小学生たちもこの舞台で、子ども歌舞伎や地域に伝わっている民話・伝説を児童劇として上演し、伝統芸能の継承・創造に一役かっています。
つづく
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ラベル:有形民俗文化財 東の歌舞伎舞台
歌舞伎ってどうしても、江戸歌舞伎や、上方歌舞伎の歴史までは、日本演劇史の通史としては、学ぶ機会がありますが、こういう地方の歌舞伎についての歴史は、こうして、旅先で出会う機会がないと、触れることはないよなぁ…と、記事を拝見して思いました。
こんな立派な歌舞伎舞台を、村人が役者として上演するなんて、なんて贅沢なんでしょうね!
きっと、江戸の歌舞伎を観劇した知識人たちか、旅役者の歌舞伎の演目を見て、一念発起して始めたのかもしれないですね。
創建された、文化14年というと、江戸文化が爛熟してきたら頃ですよね。
その余熱が、信州まで広がっていた訳ですね。
しかし、歌舞伎はちがう。
舞台も大がかりで、いろいろ仕掛けもある。
準備も大がかりになります。
つまり、非日常なんです。
この両者は、似ていて、天地ほどにも違う。