この本は、脳科学者「養老孟司」さんの各種の著述と一緒に読まないと、誤解されるというか、誤読されるおそれがある本です。
日本の漢字と、台湾・中国・ベトナム・朝鮮の漢字は、全く別の文字であるからです。その差は、ギリシャ文字と、英語のアルファベットの差よりおおきいのです。それを詳しく述べているのが、脳科学者の「養老孟司」さんなのです。養老孟司さんは言いました。一つの文字(漢字)には、一つの音しかないのが、(日本以外の)世界中の漢字文化圏の原則なのです。
しかし、日本には、音読みと、訓読みの2つの読み方があり、さらに呉音と漢音と唐音があり、当て字があって、略字や筆記体があり、名前にだけ使える「名乗り」という読み方もあります。三浦知良(かずよし)という名前がありますが、「知」という文字は、訓読みでも「かず」とは読みません。訓読みではないのです。名乗りで「かず」と読むのです。つまり、音読み・訓読み以外の読み方である名乗りの読み方なんですね。
「寿司」という文字は、当て字とよばれる読み方です。「すし」を漢字で書く場合、正解は、鮨・鮓の2つしかありません。「お腹」も当て字です。本当は「御中(おなか)」が正解になります。けっして「おんちゅう」ではありません。このように文字に、いくつもの読み方があるのは、日本だけの現象で、他のアジア諸国では、1つの文字に1つの読み方しかありません。これは、英語でもロシア語でもアラビア語でも一緒です。しかし、日本語は、1つの文字に多くの読み方があるのです。この文化が、日本に強力な「マンガ・アニメ文化」をつくり、「携帯小説
・ライトノベル」を量産する背景となり、インターネットで顔文字が氾濫する原因となっています。
ところが、この漫画やアニメ・携帯小説・ライトノベルをバカにする風潮があります。しかし、それは見当違いであることが、現在では脳科学者によって証明されています。漫画は、人々をバカにするどころか、人間の知能を飛躍的に高めるということが、脳科学の立場から言われ始めているのです。その代表格が『バカの壁』で有名な養老孟司さんです。詳しくは、下記の書き込みを読んでください。
http://kaze3.seesaa.net/article/154701257.html
http://kaze3.seesaa.net/article/154823932.html
どうして脳科学者たちが、マンガに注目したかと言いますと、こういうことです。交通事故か何かで脳に障がいをうけ、漢字を読めなくなるとします。ところが、カタカナは読めたりするのです。その逆もあったりする。
ところが、こういう例は海外には無いのですね。
日本だけの現象なのです。
アメリカ人も、中国人も、インド人も、文字が読めなくなったら全部の文字が読めなくなる。日本人みたいに漢字だけ読めて、カタカナは読めないと言うケースは無いのです。読めないときには、全て読めなくなるのです。ところが日本人だけは例外なのです。日本人みたいに漢字だけ読めて、カタカナは読めないと言うケースもでてくる。
この原因を脳科学者たちが究明すると、カナを読む脳と、漢字を読む脳は、別の場所であることがわかりました。表音文字のカナを読む脳の部分は「角回」という場所であり、漢字を読む場所は「左側頭葉後下部」だったのです。だから、「角回」だけが故障しても日本人は漢字だけは読める。新聞でも漢字だけ追えば、大体の意味は分かる。逆の場合もある。しかし、西洋のように表音文字を使っている場合は失読症になるのです。
ということは、日本人が読書する場合は、脳の「角回」と「左側頭葉後下部」を使っているわけであり、日本人以外は「角回」だけを使っていることになる。そのために読書のスピード違ってくる。日本語の本は、英語の本の4倍の速度で読めてしまうのです。この事実は、言語学者の間で大昔から知られた事でした。翻訳する人たちの大半が、日本語を英訳する方が、その逆よりも早いと言っています。読む速度が違ってくるからです。
じゃあ中国人は?
中国人は、欧米人と一緒です。脳の「角回」しか使ってない。
だから中国人も本を読む速度が遅いんです。
日本と同じ漢字を使っていながら脳の「角回」しか使ってない。
どうしてか?
dogはドッグで別な読みはありません。
catもキャットであって、catをドックとは言いません。
1対1が原則なのです。
これは、カタカナやヒラガナと一緒ですね。
しかし、漢字はそうではありません。
例として「重」という漢字をあげてみましょう。
中国語としての「重」には音声は1つしかない。
これは英語と一緒ですね。
脳の「角回」しか使ってない。
しかし、日本語では「じゅう」「ちょう」「おも」「かさ」「え」という多くの読みがあります。つまり脳の「角回」では読めない。で、左側頭葉後下部(つまり言語中枢)を使わざるをえないのです。つまり、中国で使われている漢字と、日本の漢字は、まるで違う言語であるということなんですね。それを『漢字は日本語である (新潮新書/小駒勝美/著)』の小駒勝美さんは、漢字学者の立場から言っているのですが、それがAmazonのレビューを書いている人に、きちんと伝わってない。
実に「惜しい」と言わざるをえない。もっとも、この本は、学術書というより漢字研究者による「雑学本」であり「豆知識本」なので、突っこんだ話しは、わざと避けているので仕方ないのですが、それにしても惜しい。
ただ、「雑学本・豆知識本」としての本書は、高いレベルの本であり、
読むうちに漢字の魅力にとりつかれてしまいます。
たとえば、漢和辞典の致命的な欠陥について述べています。
漢和辞典は、漢文を読むための辞典だったのです。ところが、現代の日本人が接する漢字は、あくまで日本語に使われる漢字なのです。したがって、漢和辞典で日本語に使われる漢字を調べるのは、どうしても無理があります。漢和辞典には、日本語で使用される熟語がきちんと収録されてはいません。漢字一字一字の意味も、日本語では、中国の古典に使われるのとはかなり変化しています。しかし漢字は日本語でもあるのです。「秋桜(コスモス)」や「秋刀魚(さんま)」は、漢和辞典には載っていないのですね。
また、同じ意味でも全く違う漢字を使うのが日本人の面白いところです。
例えば「お椀」について。
木製なら「椀」
陶製なら「碗」
鉄製だと「鋺」
つまり、「おわん」と言っても材質によって書き換える必要がある。
このへんが日本語の難しいところです。
「おわん」という読みにも、何種類の漢字がある。
逆に「あいづち」は、「相槌」でも「相鎚」でも正解。
最初は、相槌だったのでしょうが、
金槌の登場で相鎚でも間違いでなくなってしまった。
逆に言えば、どちらを使うかは、センスの問題になります。
このへんが日本語の面白いところです。
玉と王が同じ意味であること。
むしろ、どちらかと言うと玉の方が上位なんですね。
このあたりは将棋の世界とは真逆です。
竜と龍も同じ意味。
竜は新字。
龍は旧字。
よーするに国と國の違いと一緒。
隣と鄰は、もともと同じ文字。形が違うだけ。
峰と峯は、もともと同じ文字。形が違うだけ。
裏と裡は、もともと同じ文字。形が違うだけ。
娘と嬢は、もともと同じ文字。形が違うだけ。
漢字は、昔、どの部首をどの位置に置いても良かった。
そういうものであったらしい。
長い時期をおいて、それが1つの文字に厳選されたのですが、
日本では、2つ以上残った文字もあったわけです。
そして娘は(むすめ)と訓読みとして使い、
嬢は(じょう)と音読みに、令嬢という用法で使いましたが、
本来、娘も嬢も同じ文字でした。
これを、日本では、上手に区別して使っているわけです。
これが極端になると、渡辺。
渡辺には56種類の異体があります。
中国には、基本的に一文字しかありません。
だから、外国人に言わせると、中国語より日本語の方が、はるかに難しい。
准看護婦の「准」という文字は、「準」の俗字。
つまり同じ文字なのですが、
どうして、この文字が常用漢字に入っているかというと、
「日本国憲法」に使われているからです。
終戦直後に大急ぎで日本国憲法をマッカーサーから作らされたときに、慌ててGHQの原案を翻訳したときに、ついうっかり「条約を批准」というところに俗字を使ってしまった。うっかりしたんですね。しかし、憲法は、改正できないので、准という文字を常用漢字にしてしまい、准と準の2つの文字が出来てしまった。だから法律用語には、准を使い、日常会話には準を使います。全く日本語は油断ならない。
しかし、斉藤と斎藤は全く別の文字。
斉藤は、「ひとしい」の意味。一斉という使い方をします。
斎藤は、「身を清める」の意味。書斎・斎宮という使い方をします。
つまり全く別の漢字なんですね。
斉藤さんは、斎藤さんではないのです。
斎藤とも子を斉藤とも子と書いてはいけないんですね。
つづく
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