2010年12月08日

馬喰一代 中山正男の故郷1

馬喰一代 中山正男の故郷1

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日本ユースホステル運動の父、中山正男の故郷を訪ねる。

 2010年11月29日から、12月3日まで、日本ユースホステル運動の父、中山正男の故郷を調査してきました。中山正男は、北海道北見国サロマ湖畔の佐呂間村に生まれました。そして、北見市の西側にある留辺蘂町に引っ越し、ここで小学校を卒業し、札幌の第二中学校に入学。そして、上京し、専修大学に入りますが、中退します。

 と、書くと何やら教養人ぽい家庭に育ったような気がしてきますが逆でした。中山正男の父、米市は無学で粗暴な馬喰であり、母親は4人もかわっていました。最初の母親は、浮気のすえ米市が追い出してしまい、2番目の母親は別の男と駆け落ちで逃げてしまい、3番目の母親は発狂して死んでしまい、4番目の母親は全盲になり死んでしまった。4人の母親は、中山正男が小学校を卒業するまでの12年間にかわっており、そして、そのうちの2人は行方不明であり、2人は死んでしまっています。

 こういう家庭環境で育った中山正男ですが、数々の事業をてがけ、多くの文学を発表し、直木賞候補にもなり、その作品の多くが映画化・テレビ化されました。なかでも最も有名なのが『馬喰一代』です。4人の母親に去られて父一人・子一人の物語。父性愛をえがいた『馬喰一代』とその映画は、日本中の人間の瞼を涙で濡らしました。


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 日本ユースホステル運動史の中心人物中山正男を語るには、この馬喰一代をぬきには語れません。というのも中山正男ほど、青少年運動に縁が遠かった人間もないからです。最悪の家庭環境に生まれ育ち、素行も行儀も悪く、ともすれば社会常識に欠ける部分もあった中山正男は、とてもじゃないが青少年を指導するという柄ではなかったはずなのです。にもかかわらず、日本ユースホステル協会を創設し、最終的に会長となって活躍するのは、映画『馬喰一代』を見て涙したものなら、小説『馬喰一代』を読んで涙したものなら、何の違和感もないでしょう。

馬喰一代は、無法松の一生と並んで、父性愛をテーマとした日本映画の最高傑作であることは、まちがいありません。チャップリンのキッドよりも、ハリウッドのクレイマークレイマーよりも、泣かせるドラマでした。


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 しかし、馬喰一代には脚色がありました。真実は、もっと悲惨であり最悪だったのです。あまりにも悲惨すぎて逆にリアリティが無いので、悲惨さをオブラートに包み、よりマイルドにしてあったのです。主人公の米市にしても、もっと粗暴でした。しかし事実を事実として書いてしまうと、かえって嘘くさくなるので、映画や小説の馬喰一代は、あえて粗暴な父親のキャラクターを抑え気味にしてありました。そういう悲惨な境遇から中山正男は、這い上がっていき、日本史を変えるほどの大活躍をするのですが、その彼が日本ユースホステル協会を設立した時には、

「はて? どうしてなのか?」

と回りの人間は訝しがりました。中山正男ほど、青少年運動と縁の薄い人間もなかったからです。現に、日本ユースホステル協会の会長になった時に、

「これじゃ銀座で飲むことも出来ない。ホステスの手を握ろうとしたらユースホステルの会員証をだしてくるんだものなあ」

と困惑したくらいです。中山正男は、決して清廉潔白な人間でなかったし、聖人君子でもなかった。むしろ人間としてはゲスな部類であり、ダジャレや猥談に熱中し、時にアッとみんなを驚かせるほどの奇矯を行いました。その彼が、日本ユースホステル協会を設立した理由は、何であったか?

 すべては『馬喰一代』にあります。
 そこに全てが書かれてあります。
 では、馬喰一代とは何であったのか?

 私は、その謎を解くために、北海道は、北見市に向かいました。
 たったの4日間の旅ですが、馬喰一代の世界をみつけるために。


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 最近、アロマテラピーという言葉を聞くことが多くなりましたが、アロマテラピーは、1920年代はじめ、つまり大正10年頃に、フランスの香料の研究者であったルネ・モーリス・ガットフォセ(1881年-1950年)が、火傷をしたときに、とっさにラベンダー精油に手を浸したところ傷の治りが目ざましく良かったことから、精油の医療方面での利用を研究し始めたことから始まったと言われています。つまりアロマテラピーじたいは、比較的最近になって提唱された療法であり、盛んになったのは戦後になってからです。


 しかし、日本では江戸時代から日本式のアロマテラピーが盛んであり、明治時代においては、北海道北見市付近において大々的に生産され、一時期は世界の70パーセントの市場を独占していたことは、以外に知られていません。


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 馬喰一代の世界を語るには、北見のアロマについて少し研究する必要があります。
 で、私が訪ねたのが北見薄荷記念館です。
 この記念館は、中山正男の正体を解明するのに重要な施設であったりします。


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つづく

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posted by マネージャー at 22:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本ユースホステル運動史の周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
北見と聞いてミントだ!って思っていたので楽しみです!
世界シェアの70パーセントってすごいですね。
Posted by ささらー at 2010年12月09日 01:06
>世界シェアの70パーセントってすごいですね。
これにはわけがあったのです。
日本産のミントでないと、いけない理由がありました。

Posted by マネージャー at 2010年12月09日 16:58
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