2011年01月11日

ユースホステルは甦るのか?3

ユースホステルは甦るのか?3

 日本にユースホステル運動を紹介したのは、イギリスユースホステル協会の創設者、キャッチプールです。彼は、キリスト教のクエーカー教徒の重鎮でした。クエーカー教徒は、信者の数こそは少ないですが、英国議員の大多数がクエーカー教徒だったりしましたから、政治的には強い力をもっていました。彼らは、平和・男女同権・民族の平等・質素な生活・誠実などをモットーとし、多くの人々の尊敬もうけていました。その彼らが、世界3大聖人の一人、賀川豊彦にユースホステル運動を紹介したのが、日本における最初のユースホステル運動のはじまりです。

 しかし、この運動は実りませんでした。どういうわけか賀川豊彦は、ユースホステル運動を組織化しなかったからです。事務局を置くとか、ユースホステルを設置するということをしなかったのです。そのために日本最初のユースホステル運動は、かけ声だけで終わってしまった。

 これは、森林浴の発展と似ています。森林浴という概念が日本で発明され、かれこれ三十年もたっていますが、森林浴運動なるものは、どこにも存在していません。事務局もなければ、組織もなく、森林浴のための森もない。しかし、森林浴という言葉は、観光業者や教育関係者に使われてはいる。使われているけれど、爆発的に発展したわけでなく、それが社会現象になったわけでもない。産業として日本に定着したわけでもない。かけ声だけで終わってしまった。もし、森林浴で世の中を変えるとしたら、理念と戦略と組織が必要です。で、科学的・医学的・教育学的な実証も必要でしょう。そして世間にアピールしなければならない。しかし、それがなされてないために、森林浴運動は、かけ声だけで終わってしまった。賀川豊彦がはじめたユースホステル運動が、まさにそのように終わってしまったのです。

 しかし、その数年後に、文部省の体育科が、ユースホステル運動に目をつけました。そして昭和8年4月に正式に組織をたちあげ、日本におけるユースホステル運動をスタートさせたのです。文部省がたちあげたのですから組織力には問題ない。事務局も文部省の体育科内にあるし、予算も付いている。しかし、残念ながら、この運動もアッという間に滅びてしまいます。国家が行う政策というものは、その時の政治状況の変化でアッという間に潰されてしまうからです。

 もし、この時、文部省が『日本青年館』のような、ユースホステル運動の公益特殊法人を作っていれば、この運動は途中で潰れることなく大きく発展したであろうと思いますが、残念ながらそうはいかなかった。戦前のユースホステル運動には、田澤義鋪・下村湖人のようなカリスマ的存在はいなかったし、リヒャルト・シルマンやウィルヘルム・ミュンカーといった創業の人もいなかった。日本にそういう人がでるまで、あと二十年は待たなければならなかった。

 それに親方日の丸の行う運動は、どうしても予算の裏付けがないと大きくならない。これが民間の運動であれば、予算ゼロでも大きくなりうる。借金したり、無償の行為で大きくなり得る。国家は金(予算)で動くが、民間は熱意(理念)で動くからです。そのためには、どうしても田澤義鋪や、リヒャルト・シルマンのようなカリスマ的な存在が必要になってくる。しかし、当時の日本には、そのような人材がいなかった。

 あと、当時の文部省は、致命的な誤りをおかしていました。ユースホステル運動と、ワンダーフォーゲル運動をごっちゃにしていたのです。ユースホステル運動とワンダーフォーゲル運動は全く違う運動であったのに、それらを一緒にして日本に紹介してしまった。

 これは私も、リヒャルト・シルマン伝を書くまでは両者の違いが分からなかった。ユースホステル運動もワンダーフォーゲル運動も同じだと思っていました。しかし、まるで違う運動であったのです。ワンダーフォーゲル運動は、ドイツのエリートたちの運動であったのですが、ユースホステル運動は民衆運動であった。それが分かってなかった。そのためにワンダーフォーゲル運動を江戸時代のお伊勢参りと同列にとらえてしまった。こういう間違いをおかしてしまった。ドイツユースホステル運動を丹念に調査し、ワンダーフォーゲル運動も充分に調査した形跡があるのに、両者をごっちゃにしてしまった。

 ワンダーフォーゲル運動は、幕末の志士たちの旅に近い。
 ユースホステル運動は、おかげ詣り(お伊勢参り)に近い。

 両者は、全く違う運動なのです。
 しかし、両者をごっちゃにしてしまった。

 そのために、当時の文部省は、ユースホステル運動よりも、ワンダーフォーゲル運動に力をいれてしまった。で、大学にワンダーフォーゲル部が続々とできてしまった。そして当時の大学生たちは、ワンダーフォーゲル運動のことがよく分からずに、山岳会の一種であるぐらいに思ってしまい、山岳部に似たようなサークルを作ってしまった。そのためにユースホステル運動は、最後まで戦前の日本に普及しなかった。そのかわりに山岳部のようなサークル(ワンダーフォーゲル部)が次々と生まれてしまった。





 でもまあ、これは仕方ないのかもしれません。ユースホステル運動の創設者であるリヒャルト・シルマンでさえも、ワンダーフォーゲル運動とユースホステル運動の違いをよく理解してなかったのですから。

 ワンダーフォーゲル運動とは、ドイツのエリートの子どもたち近代に対する反発運動なのです。大金持ちの子どもたちが、わざと鉄道に乗ることを拒否して、徒歩で旅行する運動なのです。貴族が聞くクラッシック音楽を拒否して、ドイツの民謡を収集しながら旅する運動なのです。わざと貧しい身なりをし、わざと野宿をする。それがワンダーフォーゲル運動なのです。しかも、そこには大人が存在しない。これがポイントです。大人が子どもを指導するのではなく、子どもたちが子どもたちを律したのがワンダーフォーゲル運動なのですね。

 東京都の知事が、子どもを守るためと称してアニメの規制をはじめましたが、ワンダーフォーゲル運動的に考えると『おかしい』ということになります。ワンダーフォーゲル運動的な考えでは逆です。「子どもたちを守るのは子どもたち自身である」というのがワンダーフォーゲル運動的ですから、アニメを規制するなら、その委員会に子どもの代表がいないとおかしいのです。

 これに対して、リヒャルト・シルマンがはじめたユースホステル運動は、国民運動であり、旅行なんて考えもしなかった貧しい子どもたちを教室から連れ出して、旅をしながら授業を行うという教育のスタイルでした。一種の移動教室がユースホステル運動のはじまりです。さらに分かりやすいイメージを述べるならば、ミュージカル映画の『サウンド・オブ・ミュージック』こそがユースホステル運動の始まりでした。








つづく

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posted by マネージャー at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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