ワンダーフォーゲル運動とは、ドイツのエリートの子どもたち近代に対する反発運動なのです。大金持ちの子どもたちが、わざと鉄道に乗ることを拒否して、徒歩で旅行する運動なのです。貴族が聞くクラッシック音楽を拒否して、ドイツの民謡を収集しながら旅する運動なのです。わざと貧しい身なりをし、わざと野宿をする。それがワンダーフォーゲル運動なのです。しかも、そこには大人が存在しない。これがポイントです。大人が子どもを指導するのではなく、子どもたちが子どもたちを律したのがワンダーフォーゲル運動なのですね。
これに対して、リヒャルト・シルマンがはじめたユースホステル運動は、国民運動であり、旅行なんて考えもしなかった貧しい子どもたちを教室から連れ出して、旅をしながら授業を行うという教育のスタイルでした。一種の移動教室がユースホステル運動のはじまりです。さらに分かりやすいイメージを述べるならば、ミュージカル映画の『サウンド・オブ・ミュージック』のイメージこそが、初期のユースホステル運動の姿でした。
子どもたちを山野に連れて行くことが、
ユースホステル運動の始まりだったのです。
けれど、これで終われば、ユースホステル運動は世界規模の運動にはなりえなかったでしょう。でも、ある事件をきっかけに、ユースホステル運動は世界史を変えるほどの巨大な運動になるのです。それは、たった2つの事です。それだけで歴史が回転しだします。たったの2つのことで。
一つは、子供たちを泊める宿を大量に作ったこと。
もう一つは、それを一般の人々に解放したこと。
これだけです。
これだけの事で、ドイツユースホステル運動は、世界史を変えてしまったのです。
では、どうやって子供たちを泊める宿を大量に作ったのか?
予算は?
人員は?
いったい、どうやって?
リヒャルト・シルマンは、これらの難問をいとも簡単に解決してしまいました。全国の小学校をユースホステルにしてしまったのです。小学校の放課後、ユースホステルに使ったのです。人手は、小学校の管理人に御願いし、費用は宿泊費でまかないました。これだと建設費は、1円もかかりません。おどろくべき発想です。この驚くべき発想を、一番下っ端教師が、言論活動だけで達成してしまった。どうやらドイツには、第一次大戦前から言論によって世界を変える土壌があったようです。
(私もリヒャルト・シルマンの真似をして言論を使っています)
しかし、これだけでは、ユースホステルが世界史を変えるまでの運動にはなりませんでした。リヒャルト・シルマンは、もう一つ、驚くべき決断を行います。ワンダーフォーゲル運動の団体にユースホステルの使用許可をみとめ、逆にワンダーフォーゲル運動の団体の宿も、バーターでユースホステルとしての使用をさせてもらいました。これによって、ユースホステルには、小学生以外のあらゆる年齢層の人々が使うようになったのです。これが世界史を変えるきっかけとなりました。
では、どのように世界史が変わったのか?
ちょっと具体的に述べてみましょう。
昔、つまり明治時代の頃の話しですが、旅行は、とても贅沢なことでした。ホテルはとても高価な宿泊施設で、お金もちでないと、泊まれませんでした。仮に、お金があったとしても、ホテルの数は限られており、田舎では泊まる宿さえもない。だから野宿したり、馬小屋で寝たりしました。明治時代は、どこの国でも同じようなものでした。当時、世界の富を独占していた、イギリス・フランス・イタリア・アメリカにしても、それは変わりませんでした。
ところが、ある時、リヒャルト・シルマンというドイツの小学校教師の思いつきによって、一夜にして、ドイツ中に、安くて安全に泊まれる宿が、ドイツ全土にできあがったのです。その宿は、小学生でさえ安全に泊まれて、どんな貧乏人も支払える価格の宿泊費しかとらない。しかも、それがドイツ全土に、どんな田舎町にもあるのです。
世界中の旅人は、ドイツに殺到しました。
それはそうです。イギリス人が、一週間イギリス旅行するお金で、1ヶ月もドイツ旅行できるのです。イギリス人は、イギリス旅行なんかせずに、ドイツ旅行するに決まっています。おまけにドイツ人ほど旅人に親切な国民はないですから、みんな喜んでドイツに殺到します。これはイギリスにかぎったことではありません。
現代日本だって一緒です。海外旅行が、国内旅行より安くて安全だったら、誰も国内旅行なんかしません。みんな海外に行ってしまいます。つまり、そういう状況が、リヒャルト・シルマンによって、一夜にしてドイツにできあがったのです。世界は驚愕し、どの国もドイツに倣えと思うのも無理はありません。
こうして国際ユースホステル連盟は、できあがったのですが、実は、これを作ったのはリヒャルト・シルマンではありません。オランダユースホステル協会のメイリンク氏が音頭をとって、昭和7年に結成されたのです。つまり、ドイツに倣おうとして世界各国が自国にユースホステル運動を輸入し、ドイツをまきこんで国際ユースホステル連盟を作ったのです。
もちろん日本も指をくわえて見ていません。さっそく文部省が調査を行い、後に続こうとしており、翌年の昭和8年に文部省体育課が、日本にユースホステル運動をとりいれようとします。しかし、残念なことに、体育課内に組織を作ったために、発展しなかったのです。もし、この時に公益特殊法人をつくっていれば、日本史は変わったものになっていたでしょう。
最近は、政治家たちによる行政仕分けのショーによって、公益法人叩きがはやりになっていますが、公益法人性悪説には気をつけた方がよいと思います。悪いのは天下りであって、公益法人は絶対悪ではあません。むしろ行政機関が全ての仕事をやろうとする方が、その後に悪い影響を残すことがあります。事業が政治や予算に左右されるからです。戦前のユースホステル運動は、まさに、その悪い影響のために潰されてしまったようなものです。
しかし、ドイツユースホステル協会は、最初から公益法人として活動しましたから、政治や予算に関係なく大発展していきました。金がないなら無いなりに、魔法の杖を使って、アッという間にドイツ全土にユースホステルを作ってしまった。
では、日本の文部省は、それらをどう認識していたのでしょうか?
どうやって日本にドイツのユースホステル運動を取り入れようとしたのでしょうか?
そして、その結果、何がおきたのでしょうか?
そして、それが戦後の日本ユースホステル運動の立ち上げに、
どういう影響をもたらしたのでしょうか?
それが分かってないと、
日本のユースホステル運動の再建のためのヒントは見つかりません。
そのヒントとは・・・・?
つづく
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