2011年01月14日

ユースホステルは甦るのか?5

ユースホステルは甦るのか?5





 リヒャルト・シルマンによって第一次大戦後、一夜にしてドイツ中に大量の格安の宿ができあがると世界中の旅人は、ドイツに殺到しました。これに驚いたヨーロッパ諸国は、ドイツに続けとばかりにユースホステル協会を設立し、昭和7年に国際ユースホステル連盟ができあがったのですが、これの音頭をとったのはドイツではなく、オランダユースホステル協会です。

 イギリスでは、クエーカー教徒の重鎮であるキャッチプールがイギリスユースホステル協会を設立し、政治家たちに広く支援を求め、着々とユースホステルの整備を行いました。彼らは自然を愛し自然を熱心に保護しようとするグループの人たちで、ユースホステルも宿屋というより、日本の山小屋(それも避難小屋)に近いものでしたが、多くの支援者に支えられて整備されていきました。

 ポーランドも国策としてユースホステル運動にとりくみました。国策にするくらいなので、ポーランド政府は、リヒャルト・シルマンの理念を熟知しており、ユースホステル運動の素晴らしさをよく理解していました。国際ユースホステル連盟には、ポーランド教育省体育学校衛生局長と運輸省観光局代表が参加しています。

 オランダは、ドイツのワンダーフォーゲル運動のような団体が、リヒャルト・シルマンの思想をくみとって、世界でも最も質実剛健なユースホステルが作られていきました。多くのボランティアによってユースホステルは、支えられており、規則は厳しく、食事はペアレントと共にお祈りをしてから食べました。ドイツ以外で、一番早くユースホステル運動が定着したのが、このオランダ協会です。オランダが、国際ユースホステル連盟設立の呼びかけ人になったのも、当然のことでした。

 このように、ユースホステル運動は世界中に広まっていきましたが、国によってユースホステル利用の規則が緩やかな国と、厳しい国がありました。規則の厳しい国の代表がオランダでしたが、厳しい国は、たいていワンダーフォーゲル運動が盛んな国でした。なぜそうであったのかは、この文を最後までわかるでしょう。

 このような状況下で日本政府も動き出しました。文部省が調査を行い、民間人もユースホステルを紹介しました。しかし、残念ながら彼らは、ユースホステル運動とワンダーフォーゲル運動をゴッチャにしていました。

 ただし、リヒャルト・シルマンとドイツユースホステル運動の歴史は正しく理解していたようで、これを詳しく紹介しています。当時のドイツユースホステル協会の実態をかなり詳しく調査して、会費から会員証から規則について、実態を調査しています。そしてユースホステルを『青年宿泊所』として紹介しています。にも関わらず、当時の文部省では、ユースホステルよりもワンダーフォーゲルを積極的に取り入れようとしました。

 当時の文部省は、ドイツには二千以上のユースホステルがあり、それが、どのようにして一夜にできあがったか? そして、その事実が、どういう意味をもち、どのように世界史を変える力をもっていたか、全く理解できなかったようです。


 ここで脱線しますが、ドイツには二千以上のユースホステルができることによって、
 どのように世界史が変わったのか、
 少しばかり実例を紹介してみましょう。

 一夜にして二千以上のユースホステルがドイツにできあがって、世界中の旅人がドイツに殺到したことは前にも述べましたが、それらの旅人の中には、アメリカ人も少なからずいました。彼らアメリカ人は、ドイツのユースホステルで、ドイツ人の旅人の親切に出会い感動して帰る人が多かったのです。そういう旅人の多くが、第二次大戦のさなかにドイツ人に対する憎しみに満ちた偏見がでるのを防止してくれました。そして彼らは、第二次大戦後、悪いのはナチスであってドイツ人ではないと動いたからです。

 しかし、こういう動きは、第一次大戦の時には決しておこらなかった。第一次大戦の時にドイツを助けたのは、心ある日本人たちです。明治時代のお雇い外国人にドイツ人が多かったために、その弟子たちである日本人の多くは、民間レベルで第一次大戦後のドイツを積極的に救援しました。星新一のお父さんなんかが、その体表的な例です。そういう意味で民間交流は、とても大切なのです。





 逆にいうと戦前の日本に日本ユースホステル協会があり、全国に二千のユースホステルがあったとしたら、第二次大戦中にアメリカの日系人が収容所に入れられることはなかったかもしれません。というのも、アメリカユースホステル協会は、何度も日本にホステラーを送り込む計画をたてていたからです。で、実際、十名の大学生を昭和11年7月17日のシアトルからの船で日本に派遣しています。ちなみに彼らの小遣いは60ドル。日本円にして210円。当時の大工の日当が2円でした。コロッケ三銭、国鉄五銭、銭湯七銭でした。ユースホステルを使った貧乏旅行に来たとはいえ、アメリカ人学生の懐は、当時の日本人がうらやむほど裕福でした。

 ただ、残念ながら当時の日本には、一軒のユースホステルもありませんでした。仕方なく賀川豊彦が世話をしてYMCAが彼らの宿泊を引き受けたわけですが、もし、この時、ヒトラーユーゲントを大歓迎したようにアメリカのホステラーを大歓迎し、そのうえ日本にユースホステル網が充実していたら、日本史は違った歴史になっていたかもしれません。というのも、西部地区のアメリカ人にとっては、ヨーロッパ旅行より日本旅行の方が近くて便利で格安だったからです。彼らが大量に日本にやってきて、ユースホステルで日本人の若者とふれあっていたら間違いなく日米史は変わったものになっていたでしょう。たとえ戦争を防げなかったとしても、歴史は変わっていたでしょう。

 現に多くの知日アメリカ人が、アメリカ軍による過酷な占領政策を変えさせています。その代表的な例がYMCAの名誉主事であったラッセル・ダーギン氏です。彼は日本で三十年間、キリスト教で布教活動をつづけた人で日本語がペラペラなひとでしたから、占領軍の偏見に満ちた占領政策を次々とひっくりかえしてくれました。幸か不幸か、戦前の日本には信教の自由があり、多くのキリスト教団体が日本で活動していましたから、戦争に負けても彼らが日本の味方をしてくれたのです。ちなみに、このラッセル・ダーギン氏は、日本ユースホステル協会を創設した横山祐吉氏の師匠筋にあたる人です。ラッセル・ダーギン氏ぬきには日本ユースホステル運動史は語れませんので、この名前は覚えておくとよいと思います。





 だいぶ話しがはずれました。
 話しを元に戻します。

 ドイツには二千以上のユースホステルができる。これは世界に凄い衝撃を与えました。世界は、これに倣おうとした。日本も倣おうとした。しかし、日本では、ユースホステルの建設よりも、ワンダーフォーゲル運動を進めるほうにベクトルが向いていったのです。

 ワンダーフォーゲル運動は、最盛期であっても五万人をこえることはなかったと言います。ドイツユースホステル運動は、最盛期から落ちぶれたとはいえ現在でも二百万の会員を誇っています。つまりワンダーフォーゲル運動は、ドイツの伝統的エリートである教養市民層の子供たちでした。けれど、この小さな運動は、すごいインパクトをもっていました。

 彼らは、12歳から19歳のメンバーで構成されており、そこには大人がいませんでした。少年が少年を指導していたのです。しかも、酒もタバコも博奕もない。教師が見張っているわけでもないのに誰も悪事に手をそめない。それどころか誰もが進んで模範的な人間であろうとする。

 これはドイツにかぎらず世界中どこでも一緒ですが、教師たちは長い間、生徒たちが非行にはしらないように見張って、時に注意してきましたが、少しも成果をあげなかった。だから生徒への監視を強めることになって、教師と生徒の関係がギクシャクしていた。これは洋の東西を問わず、時代を問わず、いつどこでも起こりうる普遍的な現象ですが、ワンダーフォーゲル運動においては、全くそういうことはない。少年が少年を指導することによって、全く健全な子供たちの世界ができあがる。子供たちがワンダーフォーゲルという自己管理の活動をさせると、子供たちは、実に道徳的になる。





 この事実に世界は驚愕しました。

 そして、この事実に日本の文部省が飛びつきました。
 というのも日本にも似た事例があったからです。
 それは日本青年団の田澤義鋪の青年合宿であり、
 協調会の労働講習会であり、
 修養団の天幕講習会でした。

 また民間でも、のちに日本ユースホステル協会初代会長になる平凡社を創設した下中弥三郎氏が、児童の村小学校を開設し、子供たちが自分の好きなように勉強させるという生活させており、そこから数々の著名人を誕生させていました。

 しかし、当時の文部省は、子供たちがワンダーフォーゲルという自己管理の活動をさせると、どうして彼らは道徳的になるのか? 今ひとつ分かってなかったのかもしれません。もし分かっていたら、すぐに日本にユースホステルを量産していただろうし、そのユースホステルの管理方法も、現在とは変わった形になっていたと思うからです。これは、戦後に発足した日本ユースホステル協会にしても一緒です。


子供たちがワンダーフォーゲルという
自己管理の活動をさせると、
どうして彼らは道徳的になるのか?
 

つづく

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posted by マネージャー at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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