2011年01月15日

ユースホステルは甦るのか?6

ユースホステルは甦るのか?6

 教師たちは、生徒たちが非行にはしらないように管理し、注意してきましたが成果をあげなかった。だから監視を強めることになって、教師と生徒の関係がギクシャクしていた。ところがワンダーフォーゲル運動においては、全くそういうことはない。少年が少年を指導することによって、全く健全な子供たちの世界ができあがる。子供たちがワンダーフォーゲルという自己管理の活動をさせると、子供たちは、実に道徳的になる。

 子供たちがワンダーフォーゲルという
 自己管理の活動をさせると、
 どうして彼らは道徳的になるのか? 





 答えは実にシンプルです。
 管理する苦労がわかるからです。

 子供たちは、いつも管理される側であった。そのための管理のための規則を嫌う傾向にある。しかし、ひとたび管理する側になると、管理の難しさに閉口する。そのために時として子供たちは、大人たちより厳しいモラルを、子供どうしで作り上げるのです。それは、時に間違ったモラルであったりもする。そのためにイジメが発生して自殺者をだしたりもする。けれど、子供たちを放置すると、モラルが崩壊するということはない。絶対にない。むしろ子供たちが自主的に作るモラルの縛りは、大人たちの作る縛りよりも、強く残酷であったりする。それがイジメによる自殺に発展することさえある。結果として悪事に手を貸すことさえある。

 しかし、子供たちが作る子供のためのモラルが、間違ってない方向であれば、ドイツのワンダーフォーゲル運動に見られた素晴らしい理想的な子供たちの世界ができあがるのです。初期のドイツワンダーフォーゲル運動を行った子供たちは、12歳から19歳の年齢でした。彼らが、教師が見張っているわけでもないのに、進んで模範的な人間であろうとする。そういう世界ができあがるのです。

 しかし、この単純明快なことを、(一部を除いて)大人たちは、なかなか理解できなかった。ワンダーフォーゲル運動の素晴らしき成果を、肉体運動や健康に求めたり、ドイツの歴史や文化に求めたり、徒歩修行にもとめたり、宗教的背景にもとめたり、教育的効果に求めたり、レジャーによる精神的解放にもとめたりして、見当違いの結論をだしていました。

 当時の日本の識者たちも同じで、ワンダーフォーゲル運動を消極的健康法と認識しています。そのうえで文部省体育課は、東京を中心とする125コースを設定しました。しかも、それらのコースの大半は、登山コースで伝統的な修験道のコースが多々含まれていました。しかし、当時の日本の子供たちが、それらのコースに殺到し、日本にワンダーフォーゲル運動が根付いたかというと、そういう事は、全くありませんでした。



 
 それは、まだまだ貧しかったからか?
 違います。

 第一次大戦直後のドイツは、当時の日本より、遥かに拙かったけれど、さかんにワンダーフォーゲル運動が行われていました。第一、もっともっと貧しかった江戸時代においては、おかげ参りという伊勢参りブームがおきています。ブームは、 260年にわたる江戸時代に15回ほど発生していますが、このブームがなんとも気違いじみた、御祭り騒ぎをひきおこしました。

 ある日、気がつくと村から人間がいなくなる。
 村がからっぽになる。
 それは、もう神隠しのように消えてしまう。
 どこへ消えたのかというと、みんな伊勢参りにでかけてしまった。
 そんな現象が、全国の津々浦々でおきたのです。

 ある村では、6〜10歳くらいの子供たちが消えてしまう。
 ある村では、女性全員が消えてしまう。
 ある村では、老人が全て消えてしまう。

 こんな現象が、全国で同時におきてしまうのです。当然のことながら、みんな旅支度などせずに出かけています。お金も通行手形も持っていません。集団ヒステリーのように発作的に伊勢参りに出かけるのですから、そんなもの誰だって用意していません。じゃあ、どうやって旅をしたのかと言いますと、野宿のためのゴザをかかえ、柄杓を一本手にして沿道で施しを受けながら伊勢に向かったんですね。勝海舟のお父さん(勝小吉)も、そうやって伊勢参りをした口です。





 その中には、親・主人の許可を得ない「ぬけ参り」も多くみられたと言います。
 ぬけ参りというのは、今で言えば、集団家出・集団脱走・集団退職で伊勢参りに向かうことです。

 驚くべきは、6〜10歳くらいの子供たちのグルーブ参拝です。ある日、突然、親にも奉公先の主人にも内緒で家をとび出し伊勢へでかけるんですから凄いものです。少女たちの集団もいました。女性の旅人には、関所もうるさかったのですが、信仰旅行とあれば、堂々と関所を通れたようです。宝永2年の伊勢参りブームの時に、京都所司代が1カ月間、京都を通過する参詣者に関する調査をしました。それによれば、

京都通過総数      51500人のうち、
6〜16歳までの子供が  18500人(35.9%)
また女性が       21000人(40.7%)
成人男子が       12000人(23.3%)

となっています。成人男子より、女子供の方の数の方が圧倒的に多いというこの事実には、ただただ驚かされます。

 また、1705年の宝永2年に4月9日〜5月29日までの50日間、本居宣長がその数を調査し、その著作『玉勝間』に書いています。それによると、50日間で 362万人。ということは、単純計算にして1日当たり約 72000人。これを1日8時間で割ってみると、1時間あたり 9000人、1分間に 150人が通過していったことになります。当時の伊勢街道の道幅は、かなり狭いですから、ラッシュの新宿駅なみに混雑していたことになりますね。第一に50日間で 362万人だなんて、お正月の明治神宮や鶴岡八幡宮より混んでいたことになります。すごいもんです。

 さらに1830年の文政13年の頃には、九州から出羽の国まで全国の人民、 500万人が、突如として伊勢参りにでかけています。500万人といえば、当時の人口の 20パーセントにあたりますが、身体の不自由な老人や、幼い子供、お役目があって移動がままならない武士たちを除けば、人口の半分くらいが伊勢に向かったのではないかと思います。ここまでくるとブームなんて生易しいものではありません。伊勢街道は通勤ラッシュというより、おしよせる人民の津波。まさに民族の大移動です。この現象を世界史的な視点で見てみますと他に類例がありません。日本には、そういった歴史があるのです。これに比べれば、ドイツのワンダーフォーゲル運動なんて、ごくごく小さな運動です。なにしろ最盛期に5万人を越えなかったからです。

 さて、これらの伊勢参り・抜け参りをした江戸時代の少年少女たちのモラルは、どうであったか? きわめて高いモラルをもって旅をしたと言われています。ワンダーフォーゲル運動を行ったドイツ少年たちに匹敵する素晴らしいモラルで自らを律し、模範的な旅人であったことが当時の記録に残されています。ですから関所の役人たちも、幕府の首脳たちも、諸藩の大名たちも、このような伊勢参りを規制することは、決してなかった。

 話しを戻します。

 よーするに当時の文部省は、ドイツのワンダーフォーゲル運動を取り入れようとしたけれど、日本の子供たちは、全く興味をしめさなかった。旅をするかどうかは、貧富の差は関係ない。貧しくとも旅する人は旅をする。金が無くとも旅する人は旅をする。これは少年少女にも言えます。江戸時代の貧しい少年少女たちでさえ、民族大移動のように伊勢参りをした。だから貧しかったからワンダーフォーゲルに興味をもてなかったわけではない。ワンダーフォーゲル運動に何の魅力もなかったから誰も、それを行わなかった。

 昭和8年の日本の少年少女には、ワンダーフォーゲル運動に、これっぽっちの興味も持てなかった。そんなものより、出世とか、青雲の志とか、軍艦とか、映画むとか、御馳走とか、豊かさに憧れていた。わざわざ貧しい身なりで貧乏旅行に行こうとは思ってなかった。それより列車にあこがれ、自動車にあこがれた。ドイツの少年たちが、列車や自動車に反発して徒歩で歩いたのとは、別のベクトルがはたらいていた。

 昭和初期の文部省は、あきらかに見当違いの考えをしていた。
 子供たちを、どのように方向付けるか?
 そればかり考えていた。

 だからドイツの子供たちのように、教師が見張っているわけでもないのに、進んで模範的な人間であろうとする。そういう世界を作ることに失敗してしまった。というか、日本の子供たちは、徒歩旅行にさえそっぽを向いてしまった。親たちに至っては、そんな金にもならんことに、エネルギーを使うことを馬鹿馬鹿しいとさえ思っていたふしがある。そのうえ、文部省も、当時の親たちも、子供を押さえつけることばかり考えていたふしがある。そういう世界に、ドイツのワンダーフォーゲル運動に見られた、子供たちの進化が見られるわけがない。

 ただし、いつの世にも例外はいます。
 当時の日本にも、例外がいた。

つづく 

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posted by マネージャー at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ちょっと違うかも知れませんが、薩摩藩の郷中教育なども、ワンダーフォーゲル運動や、田澤さんの青年団運動に似ていますよね。
Posted by みわぼー at 2011年01月17日 08:22
>薩摩藩の郷中教育なども

郷中教育の面白いところは、大人が介入してないところです。
これは全国の若衆宿でも一緒でした。
大人たちが入ってない。
大人たちを排除している。
そのために、一種の治外法権があり、
悲惨な事件もあったようです。

このあたりは、イジメが盛んな現代と何一つ変わってないかもしれません。
Posted by マネージャー at 2011年01月17日 23:00
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