東京都が、アニメの表現規制を行い、それに出版社が反発して物議をかもしていますが、規制賛成派も規制反対派も、共通して言えることは、子供たちの意見を無視しているところです。そういう意味では、両者は同じ穴の狢です。反対派も賛成派も、本質的に差はないと言えます。
・・・・・と書くと必ず、こんな事を言ってくる人がいます。
「子供たちは規制反対だろ? 規制反対する出版社と子供たちは利害が一致するのでは?」
なるほど、管理されるのにうんざりしている子供たちなら規制反対になってしまうかもしれません。そのように考えたくなるのも無理はないかもしれません。しかし、多少なりともドイツワンダーフォーゲル運動の歴史を知る者にとっては、多少なりともドイツユースホステル運動の歴史を知る者にとっては、そうとも言い切れないのです。
第二次大戦の敗戦は、日本の子供たちに強いショックを与えました。ある者は放心し、ある者は米兵のジープを追いかけてはチョコレートをもらい、ある者はパンパンとなって米兵に媚びを売りました。エログロがはびこり、治安は悪くなる一方であり、青少年犯罪は、上昇していきました。
「戦争に負けたのだから仕方ない」
「国中が焦土になったのだから仕方ない」
と当時の日本人の誰もが思いましたが、
そうは思ってなかった敗戦国民もいました。
西ドイツです。
同じ敗戦国でも日本とドイツでは、その悲惨さにおいて天地ほども違っていました。悲惨なレベルが日本とはケタはずれでした。東からは共産主義の脅威の下に1000万の難民が西ドイツに流れこみました。しかも、この中の500万は少年たちで、大半は両親を失っていました。彼らは、西ドイツの戦争孤児50万の少年たちと合流し、西ドイツ全土を流浪しました。当然のことながら少年の犯罪率は増加しましたが、それでも戦後の日本より低かったのです。これは、どういうことなのでしょうか?
1947年の厚生省児童局の統計によれば、
養護施設に入所している少年は4013人、
街頭の浮浪少年は1472人でした。
しかし西ドイツでは、550万の戦争孤児が全土を流浪していたのです。
ケタが違います。
3つもケタが違うのです。
「火垂るの墓」のような悲惨な人生をおくる可能性のあった少年たちは、西ドイツ全土に550万もいたのです。もちろん西ドイツ政府とて、手をこまねいているわけではありませんでしたが、占領軍のきびしい統制によって、1949年までは、どうにもなりませんでした。
しかし、ここに奇跡のような事件がおこるのです。
奇跡は、少年団と映画館の間におこった各地の争いからはじまります。
当時ドイツでは映画作製がきびしく制限されていたため、外国映画がドンドン流れ込みました。映画の多くはエログロもの、西部劇など教育の上に悪影響を与えるものが多いことは日本と同じでした。しかし、違っていたのは、少年たちの態度でした。
エログロもの、西部劇など教育の上に悪影響を与える映画の上映を少年団たちが、実力で阻止したのです。風紀の乱れる映画上映の反対運動を少年たちが率先してデモを行い、そして自分たちを守ろうとする少年たちが、映画館の前で腕を組んで通せんぼうをしたのである。映画館と少年団との間に争いのおこったのは当然で、あるときには暴力ざたに発展したことさえありました。
当時の日本は逆でした。日本の青少年たちは、いたずらに大人に反発し、昔ながらの教育に対して何でも「封建的」だと批判し、日本の青少年たちは西部劇などの外国映画に夢中になり、当時の基準で、あきらかにエログロとされる映画さえ喜んで見に行きました。それどころか、全国にヤクザ踊りが流行しました。ヤクザの着物姿で刀を差して踊る、見物人はヤンヤの拍手喝采でした。
そんな時代に、同じ敗戦国でも西ドイツでは、ドイツの風紀を守るため、子供たちの環境を守るために教育の上に悪影響を与える映画の上映を少年団たちが、実力で阻止したのです。しかも、それを指導したのは大人たちではありません。子供たちが、子供たちの判断で立ち上がり、子供たちのリーダーシップによって、子供たちだけで闘いは進められたのです。
この事実の中には、どうして一時は世界一位の会員数を誇った日本ユースホステル協会が、これほど簡単に衰退していくのに対して、ドイツユースホステル協会は、今なお盤石なのかという疑問に対するヒントが隠されています。西ドイツの少年運動は、大人たちが造ったのではなく子供たちが造ったのです。
さて、東京都のアニメ規制の話しに戻ります。
ここまで述べれば、規制賛成派も規制反対派も、
同じ穴の狢
と言った意味が分かるかと思います。もっと言うと
「子供たちは規制反対だろ? 規制反対する出版社と子供たちは利害が一致するのでは?」
と言い切った人も、同じ穴の狢です。
ワンダーフォーゲル運動的に考えると『おかしい』ということになります。
ワンダーフォーゲル運動的な考えでは逆です。
「子どもたちを守るのは子どもたち自身である」
というのがワンダーフォーゲル運動的ですから、アニメを規制するなら、その委員会に子どもの代表がいないとおかしい。
本当の意味でのワンダーフォーゲル運動を経験した国であったなら、子供たちに自己管理させるはずです。というのも子供たちがワンダーフォーゲルという自己管理の活動をさせると、子供たちは、実に道徳的になるからです。むしろ大人たちよりも保守的になりやすい。
だから、子供たちの代表が委員会にはいっていれば、ひょっとしたら、第二次大戦直後の西ドイツの少年たちの奇跡を、現代の日本で見られたかもしれない。大人たちと子供たちが言論で戦う姿が見られたかも知れない。いや、逆にそういう光景は、日本では起きないかも知れない。というのも日本の子供たちに
「俺たちにも発言権がある」
という発想が全くないからです。
いや、発想がないのではない。
そういう発想をさせないのが日本社会でなのあると。
そういう事を考えるのは大人になった後でよい。
今は勉強しなさい・・・・というのが日本社会であると。
こういう社会の中で子供たちは、
いったい誰が旅に出るというのだろうか?
どうして、ワンダーフォーゲル運動が根付くというのだろうか?
どうして、ユースホステル運動が根付くというのだろうか?
日本の子供たちにとって、旅も、ワンダーフォーゲルも、いっさい余計なものであって、単なるレジャーでしかないものであるならば、旅にこだわる必要は無い。ワンダーフォーゲルやユースホステルにこだわる必要は無い。レジャーは他にもある。いろんなレジャーがある。だからユースホステル運動をレジャーの一つと考えるならば、ユースホステル運動の未来は暗いものになる。しかし、別のアプローチで考えてみると、ものすごく明るい未来が見えてくる。
つづく
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> そういう発想をさせないのが日本社会でなのあると。
> そういう事を考えるのは大人になった後でよい。
> 今は勉強しなさい・・・・というのが日本社会であると。
子どもってけっこう賢い,てか物事が見えてるから
今の子どもは「大人の望む子ども像」を演じているってとこがあるのかも?
大人に合わせてくれてるってゆーか…
今の子どもは塾だのお稽古事だので忙しいけれど
今の親は「子どもをかまい過ぎ」か「放ったらかし」のどちらかで
忙しくしてないと,放ったらかしの子ども達が無茶苦茶するのに巻き込まれちゃう
って,小学生の子どもがいる友人(ダンナは1959年生まれ,友人はダンナより10歳以上年下)がゆーてましたね。
子どもは「子どものままでいるのが楽」だとゆー面もあるし
親も「子どもはいつまでも子どものままでいて欲しい」なんて思てるので(子離れしてない!)
ヘンなことになってるのかも?
さっさと「大人扱い」しちゃえば,子どもは「大人にならざるを得ない」のにね。
どこかのサイトで読んだけど,「条例で規制しなくても自分で判断できる」と思てる子どもも多いようですよ。
私が高校生の時は、みんなで佐渡から船に乗って新潟までエロ本を買いに行く行事がありましたから。
酒も修学旅行の時に、私服に着替えて買いに行ったりした。
これは別に麻薬のように中毒だったわけではないですね。
もし、自分で判断しろと言われたら買わなかったですね。
貴重な小遣いを、そういうものに使いたくないのが本音。
酒だって高校生の時は美味いとは思わなかった。
もし欲しかったら親のを飲ましてもらっただろうし。