そのうえもっと運が悪いことに、ヒトラーユーゲントの来日イベントがあった。これが日本史を悪い方向にもっていく作用があった。当時の日本人たちは、ヒトラーユーゲントを誤解した。統制のとれた団体だと誤解した。確かに統制はとれていたけれど、彼らのトップは青少年であることに気がついてなかった。それに気がつかずに、日本の青少年団も、かくあるべしと思い込んでしまった。
ヒトラーユーゲントを指揮していたのは、バルドゥール・ベネディクト・フォン・シーラッハというドイツの大学生(当時24歳)でした。彼は、二十歳になったときにナチスの学生連盟指導者して4年間活躍し、昭和6年、24歳にしてヒトラーユーゲントのトップになっています。
ここで考えて欲しいことは、日本青年団のトップに、二十四歳の若者を起用することがあったか? 日本ユースホステル協会のトップに、二十四歳の若者を起用することがあったか?ということです。残念ながらありえない。
しかし、過去に、その世代の青年たちが日本史を変えるくらいの大活躍をしたことがあった。幕末維新の時です。明治維新をリードした志士たちは、ほとんど二十歳代でした。黒船が来たとき、吉田松陰は、わずか23歳でした。密航に失敗して牢獄にいれられたのが24歳です。その頃、伊藤博文は13歳です。明治維新が完了したときの伊藤博文にしても26歳です。明治維新で活躍した人の多くは、二十歳代でした。それを考えると、ヒトラーユーゲントのトップに24歳の青年が就任したことは、少しも驚くことではなく、むしろ老害が目立つ現代日本の方が、異常に見えてきますから不思議です。
ナチスの善悪はともかく、あのナチスでさえ、青少年のリーダーに歳の近い青年を起用したことは、注目してよいと思います。あのナチスでさえワンダーフォーゲル運動の伝統を無視してないのです。しかし、ヒトラーユーゲントが来日し、それに気がついた日本の青少年運動家たちがいたかどうか?
昭和13年、日本とドイツは、お互いに青少年を派遣しあいました。
ドイツからは、ヒトラーユーゲント30名が来日。
日本からは、大日本青少年ドイツ派遣団30名が訪独。
ヒトラー・ユーゲントの代表団は、昭和13年8月16日に横浜港に到着しました。彼らは、11月12日までの約3ヶ月間、日本各地で大歓迎を受けました。この時、日本の青少年運動家たちは、ものすごい衝撃をうけます。ヒトラーユーゲントたちが、鉄のような規律をもってロボットのような正確無比な動きをみせたからです。
集団訓練における整然たる姿。トップの指令によるキピキビとした動きに愕然としたのです。つまり、見事なまでに統制がとれていた。日本の軍人たちよりも、整然と動き若々しかった。ヒトラーユーゲントには、上から死ねと命令されれば、整然と美しく切腹しそうな勢いがあった。後に神風特攻隊をだした日本軍人たちも、ヒトラーユーゲントの美しき統制行動には脱帽してしまった。
逆に言うと、日本の青年たちには、そういう部分が欠けていた。
これは無理はないのです。日本は昔から統制行動を苦手としているからです。戦国時代から日本武士は小規模部隊で独立した行動をとり、バラバラに功名をきそうのが武士たちの習いだったからです。武士たちは、決して奴隷ではない。褒美をもらうために命がけで戦う自営業者たちです。
それに対してヨーロッパの軍人、それもプロイセンの軍人たちというのは、一種の奴隷です。農奴の中から体格の大きい者をかきあつめて武器を持たせて整列させ、整然と敵に向かわせたのが彼らの軍隊。つまりロボットのように美しく整列し、整然と突進していくのがヨーロッパの兵隊たちであり、自営業者というより奴隷、いや大企業の社員たちでした。だからヒトラーユーゲントたちが、鉄のような規律をもってロボットのような正確無比な動きをみせたのは、むしろ彼らの伝統でした。
その逆が日本でした。日本武士たちの本質は、自営業者の集合体です。具体的に言うならば、観光協会みたいなものです。小さなペンションが、一つの観光協会に入会して、せっせと御客様をかきあつめようとしているけれど、基本的にはバラバラであったのと一緒です。だから私たちの社会に、ヒトラーユーゲントのような動きをする伝統はなかった。だから当時の日本の青少年運動家たちは、ヒトラーユーゲントの美しさにショックを受けてしまった。
で、ヒトラーユーゲントを真似しようと日本青年団の改革を行うのですが、ヒトラーユーゲントのトップが青年であったことを分かってなかったのです。ですからヒトラーユーゲントを真似て作られた大日本青少年団は、決して日本の青年の手には渡りませんでした。残念ながら大日本青少年団は、文部省の支配するところとなったのです。そして、終戦と共に滅びてしまいます。ドイツユースホステル協会が、戦争が終わっても滅びなかったのにです。
さて、大日本青少年団が滅びてどうなったか?
大日本青少年団時代の幹部が公職追放令になります。
この公職追放令が、悲劇の元になります。というのも公職追放令で追放された人の中には、本来なら追放されなくても良いひとが大勢いたからです。自由主義者の容疑で何度も憲兵に捕まった人まで公職追放令になってしまった。そのために貴重な人材が戦後の青少年運動を支えることができませんでした。熊谷辰治郎氏などがそうです。熊谷辰治郎氏は、月刊青年団で何度も軍部のテロを攻撃した人ですが、そういう人を公職追放令で追放してしまった。
しかし、代わりに熊谷辰治郎氏の弟子が、戦後の青少年運動を復興させるのです。日本ユースホステル協会を創設した横山祐吉氏です。日本青年館の事務局長だった横山祐吉氏は、GHQ(占領軍)がやってくると、即座に面会を求めてアメリカへの青年団の派遣を要請しました。ヒトラーユーゲントの来日によって、日本が大きく転換したことを知っていた彼は、青年を渡米させることによって社会を大きくかえようとしていたのです。
ここで横山祐吉氏は、大きな転換を行います。
青年団を青年の手に渡したのです。
文部省には渡さなかった。
つづく
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