さて、大日本青少年団が滅びてどうなったか?
大日本青少年団時代の幹部が公職追放令になります。
しかし、公職追放令になった熊谷辰治郎氏の弟子が、戦後の青少年運動を復興させるのです。日本ユースホステル協会を創設した横山祐吉氏です。日本青年館の事務局長だった横山祐吉氏は、GHQ(占領軍)がやってくると、即座に面会を求めてアメリカへの青年団の派遣を要請しました。ヒトラーユーゲントの来日によって、日本が大きく転換したことを知っていた彼は、青年を渡米させることによって社会を大きくかえようとしていたのです。
ここで横山祐吉氏は、大きな転換を行います。
青年団を青年の手に渡したのです。
文部省には渡さなかった。
実は、ヒトラーユーゲントの来日によって、日本中が熱狂(フィーバー)した時にも、何名かの識者はヒトラーユーゲントの欠陥を冷静に指摘していました。見事な規律をみせるヒトラーユーゲントやドイツ人たちにも重大な欠陥があったと見抜いていました。彼らは鈍重であり、官僚的な硬直性をもち、器用さが無いと。日本軍人たちも、一部ではヒトラーユーゲントを疑問視していました。というのも、日本陸軍は、日華事変において中国のドイツ軍事顧問団を壊滅させているからです。ドイツ軍事顧問団に率いられた中国国民党軍は、機械仕掛けの兵隊人形のように戦って全滅したのにたいし、日本軍は小規模単位の集団で状況に応じて器用に戦線を突破していったからです。日本陸軍は、ヒットラーの軍隊を真似するまでは実に強かった。しかし、ドイツを手本にした日本は戦争に負けてしまった。
商売や戦争は結果論がものを言います。どんなに立派な理論であっても負けたら無価値。どんなに素晴らしい商品も売れなかったら無価値。結果が悪ければ全て無価値。戦前の大日本青少年団は、ヒトラーユーゲントのごとく文部省の配下にありました。それを改めて各県が自主的に青年団を結成すべく、横山祐吉氏は盛んに指導者講習会をひらきました。そして「共同学習の手引き」を出版。これは、上からの命令によって機械的に動くのではなく、いろいろな価値観をもった人間が、それぞれの趣味にあわせて多くのグループを作って学んだり遊んだりしなさい。そのための手順が「共同学習の手引き」でした。現代流にいうならば、価値観の多様化を認めろとか、オタクは悪くないという感じでしょうか?
そもそも横山祐吉氏は、元祖オタク人間であり、演劇オタク、音楽オタク、写真オタク、ダンスオタク、少女小説オタク、さらに自作フィギア(もちろん少女!)まで作って遊ぶという凝りようで、大正デモクラシーの申し子みたいな人でしたから、ヒトラーユーゲント的な統制好きな人間たちとは相性が良くなかったのです。もっというと元祖もえ好きなでした。そのうえ点字までやっていてた。それが横山祐吉氏でした。後年の横山祐吉氏を知る日本ユースホステル協会の人たちは、これを聞いたら真っ赤になって反論するかもしれませんが。
横山祐吉氏は、黒子のように活躍して青年団を青年の手に渡しました。そして出来上がったのが日本青年団協議会です。その初代事務局長が、鈴木重郎氏であり、後の静岡県ユースホステル協会の会長です。ところが静岡県在住では、事務がはかどらないので、二代目の事務局長に就任したのが横山祐吉氏でした。日本青年館からの出向でした。これが横山祐吉氏の運命を変えることになります。横山祐吉氏は、ここで干されることによって、青年団よりもユースホステル運動に走ってしまうからです。
それはともかく、横山祐吉氏は、この時代に素晴らしい活躍をします。
青年団を青年の手に渡したことです。
これは横山祐吉氏がGHQの担当官と密接に話し合い、
お互いの誤解をとくことによってGHQの理解の上で実現したことです。
これはインパクトがありました。
青年団が一時的にせよ盛り上がった。
話しは変わりますが、若い女性に人気がある歌手・福山雅治がユースホステルを使って旅をするらしい。それを聞いたファンの女の子が、ユースホステルに興味をもったという事件がありました。福山雅治が、どこでユースホステルを知ったのかはわかりませんが、もし、ユースホステル運動を若者に手渡すつもりがあるならば、日本ユースホステル協会は、彼を理事か評議員に迎えるという発想があってもよいでしょうね。福山雅治が名前だけでも日本ユースホステル協会の理事になってくれたら、若い入会者は増えること間違いないです。
大学のユースホステル研究会の代表者も、評議員か理事に迎えるべきでしょうね。そういう発想があっても良い。しかし、そうはならないのは、東京都のアニメ規制に子供の代表者を迎える気がないのと一緒です。そういう発想は日本社会では、あまり聞いたことが無い。どこでも子供たちは、蚊帳の外に置かれていて、子供たちも少しも疑問に思わない。というか、その方が楽であると考えているふしもある。いつまでも子供のままでいられますから。
ここで評議員とか理事とかの役職が出てきましたが、これは誰が決めるのか?
互選なのです。
つまり、偉い人同士が決めるらしい。
で、偉い人たちが就任するらしい。
財団法人というものは、たいてい、そういうふうになっているらしい。
あえて「・・・らしい」と書いたのは、私にも良く分からないからです。
はっきり言えることは、ユースホステルの会員には選挙権がないということですね。
つづく
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だから、会長にも、自民党の首相経験者の方が、在籍されていることが、ままある訳ですね。
会員には、選挙権がない、というのも残念な話ですね。
ところで、やはり、マネージャーさん(ペアレントさん)は、評議員や、理事には、互選されることは、ないのでしょうか?
もっとも、宿経営をすることを考えると、やはり、評議員や、理事としての仕事は現実に難しいかも知れないけれど。
でも、一番、現場を知悉しているは、マネージャーさんだと思うので、その意見が通じるといいのに、と、思うのは、シロウト考えでしょうか?
そして、やはり、ホステラーとして、あちこちの宿の実際の姿や、問題点を感知する機会の多い、会員には被選挙権も、投票権もないのは、残念ですね。
ユースホステル協会に限らず、現場の声が上層部に届かないという風通しの悪さは、日本の組織のあちこちで聞かれる問題だと思います。
利用者からスタートしています。
宿ありきではなく、宿がない時からスタートしているので
初期の頃は宿の力はなかったですね。
今は、ちょっと違っているようです。
民営ユースホステル協会の努力と理事会の理解によって
宿側の意見が徒売るようになっています。
ただし、宿屋というものは忙しいのですよ。
人気宿になればなるほど、執行部の仕事はしたがらない。
私のところも、人気があるというわけではありませんが、
正直言って、そういう仕事はしたくない。
中には、したがる人もいるでしょうけれどね。
で、代わりにやってくれる人がいるなら、お委せしたいというのが正直なところ。