横山祐吉氏が、日本ユースホステル協会を設立するのは昭和26年11月です。きっかけは、GHQが日本の青少年運動家を招待したことにはじまります。横山祐吉氏は、第3回目の招待で渡米し、ひょんな誤解から日本ユースホステル協会の人間と間違われて、アメリカユースホステル協会の人間と対面することになり、ユースホステル運動を知ることになります。
で、帰国後、親友である中山正男氏に、ユースホステル運動について伝えると、中山正男氏は、ユースホステル運動の理念に興奮して2人ではじめることになります。しかし、この時点では横山祐吉氏は、日本青年館の職員でしたから、日本ユースホステル協会の仕事を精力的に行っていたわけではありません。むしろ中山正男氏が、次々と奇想天外な手をうって、世間にアピールしていました。資金も事務局も中山正男氏によって賄われていました。
まず中山正男氏は、平凡社社長の下中弥三郎を会長に祭り上げます。そして平凡社から資金援助を得て、下中弥三郎の秘書だった金子智一を日本ユースホステル協会の職員としました。さらに中山正男氏は、大宅壮一、賀川豊彦といった有名人を続々と顧問に引き入れ、自民党政府のところや、文部省にも乗り込んでいき、朝日新聞などのマスコミも大々的に使って日本ユースホステル協会は、どんどん大きくなります。おまけに中央大学などのワンダーフォーゲル部の部員まで理事に取り込み、日本交通公社のトップまでもユースホステル運動にとりこんでしまいます。
つまり、初期の頃の日本ユースホステル運動は、中山正男氏の能力と、義弟の金子智一氏の事務能力が実に大きかった。中山正男氏ぬきに日本ユースホステル運動の成長はありえなかったと言っていいと思います。横山祐吉氏は、この中山正男氏の強引でワンマンな手腕に、ひきまわされていますが、中山正男氏は必ず結果を出す人であったので、横山祐吉氏の方が年上であったにもかかわらず、中山正男氏を兄貴分として使えました。
ここで不思議なことがおきます。
中山正男氏は、超ワンマンなくせに、貪欲に若い人たちを引きずり込んだのです。日本ユースホステル協会を立ち上げたときに、もっと前からユースホステル運動を行っていた中央大学の学生たちが抗議にきたわけですが、その学生たちに
「そいつはいい! 一緒にやろう」
と声をかけて、学生たちを理事にしてしまった。若者たちを惜しげもなく起用した。そして彼らを使って日本初のユースホステル行事を行ってしまった。もちろん中山正男氏のコネでマスコミで大々的に記事にしてしまった。
このように学生たちをガンガン使ってユースホステル運動を広めていった。やがて学生たちは、ヨーロッパに留学したりする。するとヨーロッパからの手紙がユースホステル協会に届きますから、それをユースホステル新聞に掲載しました。ネットのない時代ですから情報に飢えた若者は、ユースホステル新聞に掲載されたヨーロッパ情報を貪るように読みました。
とにかく中山正男氏のやりかたは、無茶苦茶だった。
彼は織田信長のようにワンマンに仕事をすすめました。
その手法は、とてもじゃないが民主的とは言えなかった。
しかし、そのワンマンさによって若者をじゃんじゃん取り込んでいきました。
善悪はともかく、ワンマンで若者をユースホステル運動に惹きつけました。
こうして何年かたつと、ユースホステル協会も所帯が大きくなり、ユースホステル協会創設より5年後の昭和31年に財団法人化されます。と同時に組織が大幅に変化します。会員が総会によって役員を選出していた青少年団体としての基本的要件が廃止され、役員の互選になってしまいました。現在のユースホステル協会の骨幹が、この時にできあがったわけです。
と同時に、これ以降にユースホステル運動が大発展することになります。
と同時に、後にユースホステルが衰退するための時限爆弾もセットされます。
それはともかくとして横山祐吉氏は、青年団を文部省ではなく、青年に渡した。
ところが、どういうわけか
ユースホステル運動に関しては、完全に青少年には渡さなかった。
役員は役員同士の互選にしてしまい、総会を開くスタイルにはしなかった。
どうして、そうなったのか?
これには深いわけがあります。
しかし、それを述べるときりがないのでやめておきます。
別の機会に述べることにします。
とにかく横山祐吉氏(中山正男氏)は、ユースホステル運動を完全に青少年には渡さなかった。あくまでも本部の強力な指導力によってユースホステル運動を驚異的に発展させていった。日本のユースホステル運動の牽引車は、間違いなく横山祐吉氏であり、中山正男氏であった。その運営はワンマンなものでした。しかし、ワンマンでありながら若者たちの力を引き出しました。そして、日本に本当の意味でのワンダーフォーゲル運動を定着させました。これをグループ活動と言いました。
グループ活動。
私たちの耳には、目新しい言葉ではありません。
しかし、この言葉は、戦後に普及した言葉です。
新しい言葉なのです。
しかも横山祐吉氏によって普及された活動です。
つまり私たちは、知らず知らずのうちに
GHQと横山祐吉氏の影響をうけていたということになります。
最初は、グーループ活動とは言わず、共同学習と言っていました。横山祐吉氏は、戦後まもなくGHQの指導の下に「共同学習の手引き」を出版しています。これをユースホステル運動に大々的に取り入れたのです。そしてグループワーク、グループ活動として、ユースホステル運動の基本的な活動母体にしました。まあ、一種のサークル活動みたいなものです。これを若者たちに奨励し大量生産していった。そしてユースホステル新聞で紹介し、メンバー募集の記事を載せたりした。このグループ活動がユースホステル運動を大きくしていく母体となったのです。
つづく
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