2011年01月23日

ユースホステルは甦るのか?12

ユースホステルは甦るのか?12

 グループ活動。小学校時代によく聞かされましたし、実際グループ活動による勉強をさせられました。グループ活動と言わず「班活動」と言う言葉を使った地方もあったと思います。企業においても、生産現場ではクオリティーサークルというグループ活動をやった人も多いかと思います。

 このグループ活動という言葉は、戦後に普及した言葉です。
 GHQの民政局が、さかんに普及させた言葉です。
 最初は、グーループ活動とは言わず、共同学習と言っていました。

 横山祐吉氏は、戦後まもなくGHQの指導の下に「共同学習の手引き」を出版しています。そして青少年運動において盛んにグループ活動を奨励したのです。この時、YMCAの永井三郎氏も、横山祐吉氏と一緒に、さかんにグループワークの普及運動を行っています。





 これはどういうことかと言いますと、それまでの日本では学問において上下関係が強かったのですね。師匠と弟子という関係が強かった。武道しかり、御稽古事しかり、古典芸能しかり、飲食店しかり。これをGHQの民政局が嫌ったのです。

 こういう上下関係が、日本の軍国主義の元になったと誤解した。
 で、上下関係による勉強方法を廃止して、
 グループ活動による共同学習をさせようとした。
 日本人に共同学習をおしえてやろうと息巻いて、
 さかんにグループ活動を推奨したのです。

 しかし、このグループ活動こそ、日本の伝統的姿でした。「和」を大切にする日本人の伝統だった。むしろ「和」のために特攻隊への志願が成立したといっても良い。それをGHQの連中はわからなかったんですね。だから横山祐吉氏は、大喜びでGHQが推奨する共同学習・グループ活動・グループワークをとりいれてしまった。その結果、日本の伝統とマッチしていたために爆発的に普及してしまった。それが私たちが、小中学校でやらされたグループ活動であり班活動でした。

(余談になりますが、イジメ問題は、私たちが小中学校でやらされたグループ活動と無関係ではありませんね。第二次大戦中に兵隊だった人の話だと、敵なんかより内務班のイジメが怖かったと言ってるくらいですからね)





 話しは変わりますが、横山祐吉氏が青年団の内部で干されるようになります。そのために青年団を辞めて、日本ユースホステル協会の専従になり、ユースホステル運動に熱中します。そして、ユースホステル運動にグループ活動・グループワーク・共同学習を大々的に取り入れるのです。

 スケッチグループとか、
 写真グループとか、
 ハイキンググループ

といったグループを大量生産させて自由に活動させます。
そしてユースホステル新聞などにとりあげて活動を煽ります。

 また、茶話会と称した集まりを盛んに行いました。会員を集めて懇談会を開いたのです。そこには理事長をはじめとする幹部をみんな出席させ、下中弥三郎や大宅壮一といった有名どころまで動員し、その娘たちまでかきあつめて、若者たちをお茶会に集客しました。

 忘年会は、サヨナラパーティーとして豪華景品を用意しましたが、ユースホステル協会に金はない。で、どうしたかというと、平凡社社長の下中弥三郎の自宅に乗り込んで、テレビでも何でもかたっぱしから持って行って景品にした。また、そごうデパートの社長が役員なのをいいことに、デパートから何でももっていった。ここまでくると立派な泥棒です。中山正男氏は、そういうことをする無茶苦茶な人間でした。しかし、こういう無茶で人を集めて、彼らにグループを作らせた。こうやって若者を増やしていったのです。





 さらに支部協会をジャンジャンつくりました。全国にグループ活動を普及させるには、支部を作って支部にグループ活動を推奨してもらった方が早いからです。さらに支部にユースホステル新聞の地方版まで作らせて、グループ活動を活発化させていった。こうして、雨後の筍のようにグループが量産されました。そしてグループ連合なるものができてくる。

 若者たちは、興奮しました。
 ユースホステル運動が、自分たちの生活の場になった。
 ユースホステル運動が、自分たちに幸せをもたらした。
 しかも若者たちが、主役だった。
 少なくとも彼らは、そう思った。

 しかし、思い出してください。昭和31年に日本ユースホステル協会が財団法人になった時、役員は互選になってしまっている。会員の総会は開かれなくなったのです。つまり、会員には議決権はなく、日本ユースホステル協会は、よりワンマンな体制になっている。これは横山祐吉氏が、青年団を青年に渡したのと全く違った決断をしている。

 しかし、そのワンマンな中山正男氏・横山祐吉氏の体制によって、学生たちを大々的に起用するようになったし、グループ活動の積極的な導入によって、ユースホステル運動は、青少年にとって身近になっていったのです。だから中山正男氏と横山祐吉氏の体制でないと、ああまで発展したとは思えない。





 ユースホステル業界の評価では、横山祐吉氏に関しては、賛否両論ですが、肯定的な感情をもつ人の大半は、学生時代に日本ユースホステル協会に行って横山祐吉氏に面会を求めた人たちです。初期の頃のユースホステル協会では、横山祐吉氏は、どこの馬の骨か分からないような学生たちの話しに耳を良く傾けたようです。どんな学生たちとも気軽に会ったらしい。そういう気軽さをもっていながら、組織の長としては独裁者であった。独裁によって若者たちの居場所(=ユースホステル運動)を作っていった。それが大成功を収めた。しかし、そこには時限爆弾もセットされていた。

 その時限爆弾とは何か?


つづく

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posted by マネージャー at 16:46| Comment(2) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
班活動、確かに小学生の頃よく取り入れられていました。当時は苦手で苦痛でした…あの我慢が人生の糧になっているのか疑問ですが、今も学校では同様にやっているのかしら?
続きを楽しみにしています。
Posted by あんみつ at 2011年01月23日 23:00
あんみつひめさん
>班活動、確かに小学生の頃よく取り入れられていました。
>当時は苦手で苦痛でした

苦手だった理由は強制されたものだったからですね
あと、グループ活動の欠点として大人(親分)が介入しない
つまり独自の空気が支配するという状況が、
イジメなどの発生要因になりやすいことでしょうか。
しかし、強制されてなければ、イジメは発生しません。
強制されるから苦手な人も出てくるのだろうと思います。
Posted by マネージャー at 2011年01月24日 10:47
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