ただし、横山祐吉氏も中山正男氏も、若い人たちをジャンジャン起用はしているのです。起用はしているけれど、ちょっと油断すると、高齢化は着実に進行してしまう。そうなると若い人たちは、ユースホステル運動に無関心になっていく。思い入れを感じてくれなくなるのです。これが時限爆弾です。若い人たちの無関心こそが最も恐怖すべき爆弾だったのです。だから横山祐吉氏は、その対策もたてていました。
それは、PRによる広報活動でした。
日本ユースホステル協会が、広報のための予算を得たとき、最初に行ったことは、3種類のユースホステル新聞を作ったことです。一つは会員に読ませる新聞。もう一つは関係者に読ませる新聞。そして最後に外部にPRするための新聞。そして1970年の10月21日に、全国ユースホステル広報担当者会議を甲府ユースホステルで31都道府県から36名の広報担当者を集めて開催しています。
ここで横山祐吉氏は、このように述べています。
「ユースホステル運動のPRは、人間関係の結びつきのある会員仲間を対象として働きかける、すなわち「クチコミ」が最も効果的です。その一方で、難しいと言われるPRは、無関心な者を説得する方法です。PRにはこの二つの異った要素を考えて行われなければなりません」
さすが横山祐吉氏です。
一番難しいとされる広報活動を熟知しています。
無関心の者を説得することが一番難しいことを良く知っている。
実は横山祐吉氏は、広報の専門家でした。大日本青少年団の広報部長をやっていた人だったからです。そして日本最大の雑紙「青年」を発行していました。ですからマスコミに知り合いはおおかったし、文化人とのおつきあいも多かった。広報こそは横山祐吉氏の最も得意分野だったかもしれません。その横山祐吉氏が、全国ユースホステル広報担当者会議で、このようなことを言っています。
「ユースホステルは若人の生活の場です。
この生活に密着したPR活動でないと効果が上がらない、
若人の人生観と離れてPRはありません。
PRは人生であると考えてもいいです。
PRすることによって青少年の生活を豊かにする。
青少年の生活を変えていく。
考え方を変えていく。
よい環境を作っていく。
それがPRの目的です」
これを1970年に言ったのですから横山祐吉氏は天才でした。
広報の本質を良く知っていました。
実は広報というのは、宣伝ではない。宣伝と広報ではまるで違っている。宣伝を英語でプロパガンダと言いますが、ナチスは宣伝省というものを作りました。宣伝は、こっちの意図するところに相手を導くことが目的です。ナチスは、そういう省庁を作ってドイツ国民を導いていった。
これが広報となると少し様子が違ってきます。広報のことを英語でPR(Public Relation)と言いますが、PRとは、己の自己修正のための宣伝方法です。相手を導くのではなく、相手に利益をもたらすための自分を変えてしまう宣伝方法です。つまり、御客さんとキャッチボールして自分を相手にあわせていく宣伝方法です。で、肝心の横山祐吉氏は、どのようなPRをしろと演説したかと言いますと、
1.ユースホステルは若人の生活の場である。
2.この生活に密着したPR活動でないと効果が上がらない。
3.若人の人生観と離れてPRはありえない。
と言いました。つまり青少年が、ユースホステルに求めているものを無視してはPRもへったくれもないぞと言っているわけです。そして当時の青少年たちが求めていたものを提供したのが、ユースホステルであり、ユースホステル新聞であり、多くのグループ活動であったわけです。
そして、これらをまとめた世界。つまりユースホステルの世界は、当時の日本に一つしか無かった。今でいえば、ユースホステルの世界は、インターネットみたいなものであったかもしれません。自由で、いろんなグループがあり、情報が豊富で、しかも出会い系であった。そして、ユースホステルを利用すれば確実に生活が楽しくなった。いろんな人たちと知り合いになれ、いろんな体験ができて、いろんなコネクションができあがった。
横山祐吉氏は、それをPRしろと言ったのです。
PRすることによって青少年の生活を変えていき、
みんなに喜んでもらいなさいと言っている。
つまり最高のPRは、あなたの生きざまを見せることだと。
「PRは人生であると考えてもいいです(横山祐吉談)」
また、こうも考えていたはずです。日本ユースホステル協会は、何のイデオロギーも持ってないところだから、それは個人個人がもつべきものだから、青少年の各自に、いろんな人生をみつけだしてもらいなさいと。そして、それを密かに応援できるユースホステル協会になりなさいと。つまり青少年が、ユースホステルに求めているものを提供してあげなさいと。
そうすれば無関心な人たちもユースホステルの世界に興味をもってくれると。
口コミで会員が増えていくと、
グループ活動も盛んになり、サポーターが増殖していくぞと。
しかし、このPR作戦は、うまくいったとは言えません。横山祐吉氏が理事長を解任された昭和47年以降、ユースホステルの会員は、じゃんじゃん減っていったからです。現在まで、何人もの理事長が交代し、理事や評議員も次々と変わっていきましたが、どうにもならなかった。会員は減る一方でした。時限爆弾は、爆発し続けていきました。
実は、この爆発し続ける時限爆弾を私が知るきっかけがありました。それは忘れもしない2001年。北軽井沢ブルーベリーYGHユースホステルがオープンした年の3月に、群馬県ユースホステル協会から理事の任命をいただいた時でした。新参者の私が、恐る恐る理事会に参列してみて、末席で小さくなっていると、驚愕する事実を聞かされたからです。
つづく
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発言が自由なのです。
だからトップに悪態つくマネージャーがいっぱいいる。
福田総理(会長)にかみついたマネージャーもいました。
発言は自由なのですが、協会組織は互選。
トップのキャラによっては独裁にもなりえる。
ただし、協会としての思想は脱イデオロギーなので、
個々の思想には立ち入らないので自由な雰囲気はある。
これが日本ユースホステル協会の面白いところです。