2011年01月26日

ユースホステルは甦るのか?15

ユースホステルは甦るのか?15

 しかし、このPR作戦は、うまくいきませんでした。横山祐吉氏が理事長を解任された昭和47年以降、ユースホステルの会員は、じゃんじゃん減っていったのです。現在まで、何人もの理事長が交代し、理事や評議員も次々と変わっていきましたが、どうにもならなかった。会員は減る一方でした。時限爆弾は、爆発し続けていきました。


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 実は、この爆発し続ける時限爆弾を私が知るきっかけがありました。それは忘れもしない2001年。北軽井沢ブルーベリーYGHユースホステルがオープンした年の3月に、群馬県ユースホステル協会から理事の任命をいただいた時でした。

 新参者の私が、恐る恐る理事会に参列してみてと、背広をきた紳士たち。それも六十歳から七十歳くらいの紳士淑女のみなさんが大勢現れました。普段着の人間は私一人です。というか私は作業着で参加してしまい自分の非常識に赤面するはめになった。

 で、型どおりの理事会が開かれ、末席で小さくなっているうちに理事会は終了。そのまま二次会に移行しました。で、紳士淑女の皆さんと名刺交換をしたわけですが、群馬県の社交ダンス協会会長だの、リクリエーション協会の会長だのの名刺をいっぱいもらったわけです。そして、みなさんお互いに「ちゃん」づけで呼び合っている。


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 どうやら戦後の青年団再建の流れから生じたリクリエーション関係のグループ活動からのつきあいらしい。で、理事の皆さんは、戦後それらの団体を設立した創業の志士たちであったわけです。もちろん、彼らが青年の時に創業したわけですから、最初は青年のあつまりだった。けれど、それが高齢化することによって青年は、ごくわずかになってしまった。青年との距離は、祖父と孫の距離より大きくなってしまった。

 しかし、彼ら老紳士たちが引退すれば、かわりに若い人たちが入ってくるとは、とても思えません。逆に組織は潰れてしまう気がします。これは、日本ユースホステル協会に関しても一緒で、いま頑張っている理事たちを一掃して、代わりに若い人を採用しても、ユースホステルに若者が戻ってくるとは、とても思えない。逆に悪くなる一方だと思えてならない。

 というのも若い人たちほど、ユースホステル運動の歴史を知らない。
 ユースホステルができた経緯を知らないからです。
 これはもう絶望的なくらいです。
 私が他のマネージャーたちと話し合っても話が通じない。
 つまり過去の遺産がノウハウとして蓄積されていない。
 それらが多くのマネージャーに継承されていないのです。

 だから創業の理事さんたちに引退しろなんてとても言えない。
 彼らが引退したら過去の遺産は消滅し、
 日本ユースホステル協会は消えてしまいかねない。
 私には、そう思うだけの根拠があります。
 過去をふりかえろうとしないマネージャーたちの過激な意見を何度も聞いているからです。

 会員証を廃止しろとか、
 ペンションと同じようになれとか、
 ユースホステル運動やめて宿屋組合になれとか、
 会員証をキャッシュカードにしろとか、
 いろんな無茶を言ってくる。


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 このような不幸の原因は、創業者と今の経営者の間に歴史が共有されてないことにあるかもしれません。このことは、横山祐吉氏が自ら作ってしまった道です。協会としての目的をもたなかったために、みんなが歴史を共有できなかったのです。

 あと横山祐吉氏は、自分を語ろうとしなかった。そのために横山祐吉氏の考え(グランドデザイン)が回りに浸透しなかった。いや、わざとぼやかした。ぼやかした上で、強力なリーダーシップを握ったので、よけいに回りが理解できなかった。しかも、それは脱イデオロギー路線をすすめる横山祐吉氏の狙いでもあった。けれど、そのために、ユースホステル運動の歴史を共有できなかった。協会としての目標や理念に全員一丸となって進むことが出来なかった。


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 おっと話しが遠回りしました。
 ここまでは、前置きです。
 やっと本題に入ります。

 2001年3月、私は、群馬県ユースホステル協会の理事になりました。そして理事会に参加し末席で小さくなり、名刺交換したあとで、一人の理事さんを前橋駅に送っていくことになりました。その方は、かなりの年齢の方でしたが、群馬県のユースホステルの歴史について昔のことを聞かせてもらいました。

「どうしてユースホステルの利用者が減ったんでしょうかね?」
「それは、はっきりしている」
「どうはっきりしてるんですか?」
「これは誰も言わないが、ユースホステル運動が下火になったのは、高校生にユースホステル運動を禁止してからだよ」
「え? どういうことですか?」
「・・・・」
「話しの流れが見えません」
「学生運動が激しかった1970年頃、日本政府が、法律で高校生の政治運動を禁止したんだよ。それにともなって高校生によるユースホステル運動も禁止されたんだ」
「はあ?」
「それまでは、全国の高校にユースホステルクラブがいっぱいあったんだ。高校生のうちにユースホステルクラブで旅行したりした。そして全国の様々な高校生と交流をおこなっていた。今で言えばインターネットのようにユースホステルで出会いを経験し、感動と共に高校を卒業した」
「・・・・」
「そして、ある者は社会人となって、ユースホステルを使ったグループ活動に専念したり、ある者は大学生となってユースホステルを使って一人旅をして見聞を広めたりした。昔は、ユースホステルに高校生がいっぱいいたんだよ。でも、ある日突然、高校生のユースホステル運動は禁止されてしまって、その後、数年とたたずにユースホステルの会員は激減していったんだ」
「・・・・」
「私は、群馬県のある高校のユースホステルクラブの部長でね、ユースホステルを使っていろいろなイベントをやったんだけれどね。今、理事でいるのも、その時の縁でねえ」
「・・・・」

 前橋駅に月が大きく輝いてる夜でした。
 その理事さんは、月を見ながら呟きました。 

「ユースホステルは、箱に閉じ込められた高校生にとっては、新しい世界。新鮮な衝撃だったんだよ。親や先生の教えてくれる世界の他に、別の世界があったんだと」

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つづく

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posted by マネージャー at 20:46| Comment(7) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>「ユースホステルは、箱に閉じ込められた高校生にとっては、新しい世界。新鮮な衝撃だったんだよ。親や先生の教えてくれる世界の他に、別の世界があったんだと」

ああ、それです!!
私がユースホステルに出会った頃に感じたのは、それだったのです。
当時の私は、高校生ではなく、大学生だったけど、初めてのユースホステルを使った北海道の旅で感じたのは、そのことだったと思います。

新しい世界、別の世界への広がりを感じること。
そして、その衝撃。

これは、やっぱり、若いうちの柔らかな心の状態で、そういう洗礼を受けていたほうが、いいと思います。
それだけに、さらに先に論じられていく内容が気になります。
Posted by みわぼー at 2011年01月27日 00:45
そういえば、僕がユースを使うようになったの高校からだがどこで知ったんだろう?山あいの盆地住まいで近くには大学もなかったし。いつも最年少だねって言われていた。九州でも北海道でもYHは風呂と情報収集の手段でしかなかったがいつも大学のユースホステルクラブの人がいた。
翻ってドイツではマインツでもコブレンツでも修学旅行のバスがYHに泊まっていて、一度小学生のバスに乗っけてもらって旅をしたなあ。
Posted by よっし〜 at 2011年01月27日 10:19
みわぼーさん

>新しい世界、別の世界への広がりを感じること。
>そして、その衝撃。

この衝撃は体験しないとわからないですね。
文字では説明しにくい。
文字で書いても伝わらないですね。
知らない人と、別世界の人と、同じ釜の飯を食べることの衝撃がわかりにくい。
あと、ユースホステル文化の価値も、
普通の高校生や大学生には、なかなかわかりにくい。
むしろ知り合う機会の少ない社会人の方がわかったりする。
でも、高校生や大学生は、いったん理解し出すとはまるのですね。
社会人よりはまりやすい。


Posted by マネージャー at 2011年01月27日 15:10
よっしーさん

>ユースを使うようになったの高校からだがどこで知ったんだろう?

これは貴重なことですね。
普通の高校生にはユースホステルを知る機会がない。
だから貴重なことです。

私の世代だと、高校生でもユースホステルを知る機会があった。
代表的な例をあげると人気連載マンガ「自転車野郎」です。
テレビだとプロポーズ大作戦ですね。
旅先で出会った人に再会したいという番組で、
たいていがユースホステルで出会ったケースでしたね。

Posted by マネージャー at 2011年01月27日 15:16
マネージャーさん、

 かりに知ったとしても徐々にですかね。自転車四国一周はYHを使わなかったし、九州でも都井岬はYHがあるのをキャンプ場にだべりにくるホステラーから聞きました。テントに自炊道具持参だったし。阿蘇の名物案内がどうのこうのとか、太宰府のインテリアが印象深いとか徐々に関心が高まっていったのですかね。

 ホステリングなるものには興味はありませんでしたが、なんか、あの見ず知らずのひととだべり、愛の八時間コースではないですが共同作業をするシステムが好きでした。

 社会人になってしばらくは週末ぐらいはそんなことしたくないと、YHから10年ほど遠ざかっていましたが、最近の会社は疑似「家族意識」はもてませんからね。また、個性があり相性のあうYHに限りですが戻ってきてしまいました。新規開拓するゆとりがなく回数をこなせないのでパスはもちませんが。

 今は家庭と整合させなければならないので、家族そろっての参加はもう少しかかりますね。
Posted by よっし〜 at 2011年01月27日 15:44
わたしがYHを使うようになったのは社会人になってからの北海道旅行でしたが、そもそも知ったのは中学生の頃、我が家に下宿してた地方出身の大学生へ届くユースホステル新聞でした。
でも、昔は若者ばかりでした。今は老若男女仲良くできていい組織だと思っています。
50歳を過ぎて今さら、まさか若い友達が増えるなんて思っていませんでしたから。
Posted by エバ at 2011年01月27日 21:31
よっし〜さん
エバさん

私も最初はユースホステルを知らなかった。
知っても使いませんでした。
もっぱら野宿とビジネスホテルです。
というのは資料の整理やフィルムの整理をしたかったから。
しかし、あることをきっかけにユースホステルを使うようになった。
それは電車やバスでホステラーから声をかけられたのがきっかけです。
しかも女の子だった。
いやー驚きましたね。
それまで女の子に声をかけられることがなかったから。
しかし、こっちが驚いていると、逆に向こうが驚いている。
向こうは、私をユースホステルのヘビーユーザーだと思ったらしい。
大きなザックをかついでいたから。
で、ユースホステルについて色々教わり、
その日は、一緒に同じユースホステルに泊まってしまった。
そして、ユースホステルに泊まると、みんなが気軽に声をかけあっている。
目が点になりましたよ。
あれは18歳頃だったかなあ。
18歳でも最年少ではなかった。
Posted by マネージャー at 2011年01月28日 23:51
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