宿屋にユースホステル運動への理解がなければ、会員は増えにくい。
にもかかわらず、日本ユースホステル協会は、
宿屋をぬきにしてスタートを切ってしまった。
これは不幸なスタートでした。
そんな状況の中で横山祐吉氏は、ユースホステル運動を理解した宿屋を増やすべく縦横無尽の大活躍をしました。地方の青年団関係者の縁をたよって民間宿泊施設に余っていた部屋をユースホステル利用者に使えるようにしてもらったのです。横山祐吉氏みずから一軒一軒まわって旅館・神社仏閣・山小屋・庄屋などに部屋を提供してもらったのですね。
実は、その時のことは、北海道のユースホステルでヘルパーしていた時に、オフシーズンに北海道を旅しているときに、複数のマネージャー(ペアレント)から聞いています。日本ユースホステル協会の横山祐吉氏が、頭を下げてまわったようです。だから、その頃からのマネージャーたちは、ユースホステル協会ができたときには、平身低頭、頭を下げてユースホステルになってくださいと言っておきながら、今になって、でかい面するなんて!と怒っていました。
また、日本ユースホステル協会の広報をやっていた人が、横山祐吉氏に劣悪施設として、ユースホステル契約を解約したいリストを見せたときに、横山祐吉氏は
「俺が土下座して御願いした宿を切るのは許せん」
と突っぱねたと言います。横山祐吉氏にしてみれば、宿(ユースホステル)が無くて苦しいときに、青少年のために部屋を提供してくれた宿主を裏切ることはできなかったのでしょうね。横山祐吉氏には、こういう情があった。けれど、この情のために後年の利用者にしわ寄せが行ったりもした。
まあ、そんなことは、どうでも良いのですが、ここで重要なのは、初期の頃のユースホステルは、横山祐吉氏に拝み倒されてユースホステル契約したところが多かったと言うことです。で、そのうち会員が増えてきて旅行バブルがおきると、経営のためにユースホステルをはじめるところもでてくる。そして、ユースホステル好きな若者が、自らユースホステルを経営しはじめたりもしてくる。
こうなってくるとユースホステル経営者のタイプ・気質が分かれてきます。拝み倒されてユースホステルをはじめたマネージャーと、ユースホステルが好きで好きでマネージャーになった人では取り組みがちがってきます。温度差がでてきます。前者は、ユースホステルという枠にこだわらないし、後者は良くも悪くもユースホステル的になります。
こうなると利用者の方も二分されてきます。
前者にあった利用者は前者に泊まるし
後者にあった利用者は後者に泊まる。
つまり、利用者も二通りの気質が生まれてきます。
そして、ユースホステル運動に熱心なグループと、そうでないグループに分かれてきます。各マネージャーで価値観が変わってくる。これは脱イデオロギーをめざした横山祐吉氏の狙いどうりの結果であったかもしれませんが、意外な後遺症が残りました。多様な価値観・多様なユースホステルが出現することによって、入会業務に熱心なところと、そうでないところに分かれてくるのですね。
そのうえ、もう一つ不幸なことがおきてしまった。
公営ユースホステルの誕生です。
実は公営ユースホステルは、日本ユースホステル協会とは別の流れで誕生しています。日本ユースホステル協会は、青年団からの流れで文部省主管の団体です。しかし、公営ユースホステルは、国交省(旧運輸省)の予算で建てられており、国交省(旧運輸省)が管轄していたのです。そのために公営ユースホステルは、直営ユースホステル・民営ユースホステルと、決定的に違うところがあります。
1.公共の宿であること
2.会員証が無くても泊まれること
3.一部が、日本ユースホステル協会に属してないこと
日本ユースホステル協会発足以来、協会関係者は、自前のユースホステルを持ちたいと熱望して来ましたが、特に財団法人として認可(昭和31 年)以来、所管官庁である文部省に対して国費でユースホステル建設して欲しいと陳状を繰り返して来ました。一方運輸省でも観光的見地から、日本に外国の若者を誘致することを主な目的として、ユースホステル建設国庫補助金の予算要求を昭和32年度に行きましたが、実現をみませんでした。
このため昭和33年度予算要求の際に日本ユースホステル協会の中山正男氏と横山祐吉氏が、大蔵省の応接室を占拠し、陳情をくり返し、総理大臣岸信介の裁定まで持ち込み、1億円の予算がきまりました。これで日本ユースホステル協会の直営ユースホステルが建てられるかとおもいきや、文部省・運輸省が仲良く分け前をはねてしまった。
文部省には1億円のうち6000万円が配分されましたが、これは青年の研修を目的とする「青年の家」建設のためのものとなり、ユースホステルには一円もおりてこなかった。運輸省は、4000万円を「ユースホステル建設補助」として予算獲得し、地方自治体に補助交付して、いわゆる「公営ユースホステル」を建設していきました。
ところがこの公営ユースホステルは国民の税金によって建てられたものですから、特定の会員だけのものではなく、一般の人たちにも公開すべきであるとの考え方から、誰でも利用できることになりました。会員証が無くても泊まれるのは、そのためです。もし、日本ユースホステル協会が、政府の団体であったら直営ユースホステル、公営ユースホステル、民営ユースホステルという区別は無かったでしょうし、「青年の家」もユースホステルとして建設されていたでしょう。しかし、日本ユースホステル協会が民間団体であったために、このような複雑なシステムとなった。
その結果、日本のユースホステル運動は、
公営ユースホステルと、
日本ユースホステル協会という
2つの組織が出来上がり、事実上分裂してしまったのです。
これが、ただでさえ無目的な団体である日本のユースホステル運動は、全く混乱してしまう。
一生懸命入会業務を行う宿があり、
入会業務に気乗りしない宿があり、
全く入会業務を行わない宿がある。
(公営ユースホステルは入会しなくても泊まれる)
そして互いに層の異なる御客さんをもつようになる。
つづく
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諸事情により、ユースホステル運動に巻き起こったパワーが、結果として分散してしまった訳ですね…。
これらの経緯を知っているか知らないかでは、今後の対策をどう考えていくかが違ってきますよね。
マネージャーさんが、横山祐吉さんや、中山正男さんの功罪を冷静に分析することができているのも、彼らの薫陶を直接受けていない世代だからかも知れないですね。
彼らの薫陶を直接受けていたとしたら、マネージャーさんの視点も狂っていたかも知れませんしね。
或いは、現在、このような事態になったのも、ある側面では、横山祐吉さんからの宿題とも言えるのかも知れませんね?
「さぁ、この窮地を、自分たちで考えて、意見を交換しながら、再興していってください」、と。
今、この時期に、マネージャーさんのような人物が、ユースホステル業界に現れて、これからの将来を考え、行動を開始されているということは、すごくユースホステル運動にとって、深い意味があるんじゃないかと、密かに思っています。
よっしーさん
>現在、このような事態になったのも、ある側面では、
>横山祐吉さんからの宿題とも言えるのかも知れませんね?
>「さぁ、この窮地を、自分たちで考えて、意見を交換しながら、再興していってください」、と。
まさに、その通りです。
しかし、それができない事情もあったのです。
次は、その事情を語りたいと思います。
横山祐吉氏の誤算は、何であったのか?と。
ただし、横山祐吉氏に責任があるわけではありません。
たしかに横山祐吉氏は、すっとぼけていました。
けれど、すっとぼけていたからと言って、
彼の真意の研究を今まで誰もしてこなかったというのはいただけない。
私が、このブログに書いたことは、今まで誰も書いてないのです。
ユースホステル運動を研究した人間は、この百年間に皆無に近い。
これは問題ですね。