日本ユースホステル協会を創設した中山正男氏は、大きなことをやることが好きでした。大風呂敷を広げることが大好きだった。で、日本ユースホステル協会を巨大化させることに全力をつくしました。彼の目標は、日本ユースホステル運動を大きくして派手な活動を行って世間を驚かせる。大雑把に言えば、これにつきたと思います。彼の本質は無思想であり、あるのは浪花節と人情のみ。親子愛のみ。戦後、政治も思想も教育も何もかもが変わった中で、普遍だったのが馬喰一代の親子愛だった。その親子愛の延長が彼にとってのユースホステル運動だった気がします。
これに対して横山祐吉氏には、明確なグランドデザインがあった。しかし、それを中山正男氏に訴えた形跡は無い。いや、訴えなくてもよかった。中山正男氏は、そういう細かいことには口出ししなかった。横山祐吉氏に全部任せていた。ただ、大法螺を吹いてその実行を命令するのが中山正男氏の癖で、その大法螺は、必ず実現されてしまった。そのために日本ユースホステル協会は、わずか二十年で、日本最大クラスの財団法人にまで発展しました。
横山祐吉氏は、そういう発展の中で着々と自分の計画(グランドデザイン)をすすめていった。計画(グランドデザイン)とは、ユースホステル協会を目的をもたない団体にする。つまり脱イデオロギーな団体にすることです。目的は、個人個人にまかせてしまおうというのが横山祐吉氏の考えです。つまり会員には『自助の精神』を持たせるのが横山祐吉氏の考えです。
それに反抗したのが、静岡県ユースホステル協会の会長である鈴木重郎氏です。
彼は、それではまずいと言った。
ユースホステル協会としての目的を持つべきだと言った。
そして自助の精神よりも社会を改革していくことが大切であると述べました。
鈴木重郎氏と横山祐吉氏は、思想の上で真っ向から対立していました。
ところが、思想上、対立はしていても、
横山祐吉氏が反論した形跡は無い。
横山祐吉氏は、鈴木重郎氏の言論を塞いでない。自由に言わせている。そして、静岡県協会の活動も自由にやらせている。鈴木重郎氏を日本ユースホステル協会の理事として迎えている。ただし、本部の人事には口出しさせてないし、本部では横山祐吉氏の権力は強かった。そのうえで鈴木重郎氏を役員として丁重に迎えている。このへんが面白いところです。
ちなみに鈴木重郎氏は、日本青年団協議会の初代事務局長です。横山祐吉氏は、2代目事務局長です。そして初期の頃からユースホステル運動に関わってきた人であり、古いつきあいをもっています。しかし、お互いは決して仲がよいとは言えなかった。鈴木重郎氏は、社会党の人で左寄りだったということもあります。日本青年団協議会時代には、文部省に喧嘩を売り日本青年団の思想をリードした人でもあります。
ところが横山祐吉氏は、そういった『特定の思想』が嫌いだった。だから鈴木重郎氏が何度も
「ユースホステル運動の指針を示せ」
「ユースホステル協会は長期計画をたてろ」
「総括をしろ」
と言ったにもかかわらず無視を続けた。
さらに鈴木重郎氏は、いろんな事を言っている。理事会の発言でも、凄いことを言っている。そして、彼の発言の全てが正論づくめなのです。会員の役員の選挙権を認めろとか、でなければ、どういう趣旨で活動しているか明確に示せとか、今から思えば正論過ぎるくらいに正論を言っている。
もし、ユースホステル協会のやっていることが青少年運動だとしたら趣旨が分からなければ詐欺ですよね。どんな趣旨か分からないNPOに金は出せない。逆に趣旨が明快でないならば、それはサークルと同じだから会員に選挙権がなければおかしい。そうじゃなくて、趣旨が曖昧で、会員に選挙権が無いとしたら、ユースホステルの会費は、どういう性質なものになってしまうだろうか?
運動に対する寄付でもなく、
サークルに対する会費でもない。
「じゃあ何だ?」
と問われると答えは一つしかない。
利用権。
しかし、会費が利用権ならば、公営ユースホステルが全国に網羅されたら誰も払わなくなる。公営ユースホステルが網羅されないとしても、類似施設(つまり民宿やゲストハウスなど)の誕生で誰も払わなくなる。そうなると類似施設によって既存のユースホステルは、滅びるぞと鈴木重郎氏は、昭和五十二年頃に叫んでいた。
この鈴木重郎氏の洞察は、正論すぎる。
天才的な推察としか言いようがない。
さすが横山祐吉氏のライバルであっただけのことはある。
しかし、鈴木重郎氏が叫んだ頃は、中山正男氏も横山祐吉氏は墓の中でした。この鈴木重郎氏は、いつも正論を述べる。この正論だけで日本のユースホステル運動が、ここまで大きくなったかというと、そういう事は無いと思う。また彼の正論によって、日本ユースホステル運動は政治的な活動に足を突っこんでしまったかもしれない。日本青年団協議会のように。当時の若者というのは、無茶苦茶に暴走しましたから政治的な団体活動をするようになってしまったかもしれない。だから横山祐吉氏は、脱イデオロギー化をめざした。そのへんの事情は私にもよくわかる。
しかし、横山祐吉氏は「脱イデオロギー化をめざした」とは言わなかった。いつも禅問答で、のらりくらりと逃げた。自分の思想さえも無臭化してしまい、横山祐吉氏が何を考えているのか? 近い人にさえ誰も分からないという状態のまま放置し、墓の中に入ってしまった。残された日本ユースホステル協会の職員にしてみれば、いい迷惑だったかもしれない。
つづく
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ラベル:ユースホステルは甦るのか?20
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横山祐吉さんは道教的な感じがします。
なさずしてなす
脱イデオロギーを考えていながらも、それを目的としない。
ある程度の枠はあったほうがいいかもしれないけど、
枠だけに固執せず、青少年の活動のための何かを
いつも求めていたというか。
ユースホステルの歴史を知ることがこんなに奥深い物だとはと驚きながら
読ませてもらっています。
>なさずしてなす
ああ、そんな感じもしますね。
だから、この人は、本当にわかりにくい。
正体をつかみにくいのです。
ユースホステル協会関係者に聞いても評価は2分されている。
にもかかわらず、横山祐吉氏の発言はみんなが聞いていて矛盾がない。
とにかくわけがわからない人なんです。
自分を語ったことがない。
非常に用心深く、
自分の過去を絶対に明かさない。
それでいて自由にさせるところは自由にさせ
抑えるところしっかりおさえる。
そのくせ、その理由は絶対に言わない。
まあ最後まで腹の中をさらけ出さなかった人ですね。
ちょっと取っつきにくい人だった。
まあ激動を生きた人ですからね。
これが中山正男氏になると真逆。
本音が服を着て歩いているような人で、
裏表がない大きな駄々っ子。
そして憎めないきかん坊でした。
横山祐吉氏の正反対のキャラでした。
>歴史を辿ると自ずと道が開けていくのです
まさにそのとうりなんです。
だから、ある時期の私は、ユースホステル関係の会議にでるのが嫌になった。リヒャルト・シルマン伝を出すまでは、何を言っても無駄だという閉塞感があって、大きな壁にもがきました。これは歴史を共有できてないからです。
私だけが歴史を知っていて、他は知らない人ばかり。こうなると何言っても無駄になる。イサイズや楽天が入会無料なのに、日本ユースホステル協会はどうして2500円の入会金が必要なのか?といった発言が会議で出てくる。ペンション協会と同じレベルの会議になっていて、リヒャルト・シルマンの話しをしても
「時代が違う」
「そんな古いこと言わないで」
とからかわれてしまう。そうなると私は新参者なので黙るしかない。歴史を共有できてないとユースホステル関係者としての共通言語がないんですね。ノウハウが蓄積されてない。だから、まるで嬬恋村の観光協会にいるような錯覚さえ覚えてしまう。だから一時期、私は会議に出なくなり、嫁さんを出してばかりいました。もう何を言っても無駄なんだろうなと。しかし、そういう壁も最近は無くなりつつあります。少しづつ変わってきている。