この鈴木重郎の洞察は、正論すぎる。
天才的な推察としか言いようがない。
さすが横山祐吉のライバルであっただけのことはある。
しかし、彼の正論によって、日本ユースホステル運動は政治的な活動に足を突っこんでしまったかもしれない。日本青年団協議会のように。
横山祐吉が働いた日本青年館は、田澤義鋪が作ったようなものでした。つまり田澤義鋪こそは、青年団の父親みたいなものでした。で、田澤義鋪は徹底した自由主義者だった。青年たちに愛情をそそぎながらも彼らには自助論の精神で接しました。社会を改革するのではなく、おのれ自身の向上を説いたのです。つまり骨の髄から自由主義者だった。
そういうことろに熊谷辰治郎や横山祐吉が弟子入りした。
当然のことながら2人とも自由主義者になります。
何度も憲兵に連行されるくらいですからバリバリの自由主義者です。
ところが、バリバリの自由主義者になってしまうと、その自由主義の原理によって、国家社会主義の本まで作ってしまうことになる。自由主義というのは、言論の自由を認める主義ですから、自由主義の敵であってもその言論を封印することはない。だから青年団が欲しいと言ってくれば、たとえ自分の信念とは違う本でも出版してしまう。熊谷辰治郎も横山祐吉も、そういうことをやっていました。
ところが田澤義鋪が、そういう行動を怒ったわけです。
で、熊谷辰治郎と横山祐吉は驚いた。
この二人の弟子たちは、自由主義者であるはずの田澤義鋪に怒られて目を白黒させたわけです。自由主義者のしせに国家社会主義の思想の入った本を出版してはならん怒り出す。これじゃ自由主義者の原則にはずれているではないかと。本物の自由主義者なら自分と違う意見も認めるはずでしょ? 田澤義鋪先生は、ちょっと矛盾しておるぞと。そのように思ったわけです。
しかし、それから何年もたたないうちに日本から自由な言論が無くなってしまった。田澤義鋪も日本青年館から追いだされ、次郎物語の下村湖人も青年団研修所を追放されてしまった。気がついたら日本青年館には、バリバリの国家社会主義たちが占拠していて、ヒトラーユーゲントを歓迎する準備をしていた。そして初めて横山祐吉は、
「ああ、こういうことだったのか」
と思ったわけです。田澤義鋪先生は、これを防ぎたかったんだと。
横山祐吉は、こういう体験を戦後にもしています。
GHQが潰そうと考えていた日本青年館を守り、日本青年団の復興のためにがんばり、日本青年団協議会をたちあげて事務局長までやったにもかかわらず、青年団の政治的な活動の中でしだいに干されていくのです。仕事が無くなるのです。その時も、こう思ったはずです。ああ、こういうことだったのか。田澤義鋪先生は、これを防ぎたかったんだと。
この2つの体験によって横山祐吉は、脱イデオロギーをめざすなら
権力を使ってでも、専制君主になってでも、
たとえ正論でなくても、
筋が通って無くても、
日本ユースホステル協会をイデオロギーから守りたかった。
だからライバル関係にあった静岡県ユースホステル協会の鈴木重郎氏が、
どんな正論でもって議論をしかけても横山祐吉は微動だにしなかった。
正論が、良い結果をもたらすとは思ってなかったのでしょうね。
ちなみに横山祐吉の師匠である熊谷辰治郎は、
戦後の日本青年団に正論で戦いをしかけました。
日本青年連盟なる別組織を作りました。
だから日本青年団協議会のメンバーの一人は熊谷辰治郎に殺意を覚えたとまで言っています。
しかし、横山祐吉は、中山正男氏と相談して違う方法を撰びます。
日本青年団協議会と揉めません。
結論を言うと円満退職します。
横山祐吉は中山正男氏に相談すると、
「だったら日本ユースホステル協会の事務局にこい」
と言います。
しかし、日本ユースホステル協会には金がない。横山祐吉に払う人件費が無い。3人の子供が大学に行ってるので横山祐吉は無給では働けない。ただ、日本青年団協議会の方もできれば横山祐吉氏を追い出したかった。
で、中山正男氏は、日本青年団協議会と繋がりのある静岡県ユースホステル協会の鈴木重郎氏と一緒に、東洋醸造所(静岡県)に出かけていった。中山正男氏にしてみれば、横山祐吉を日本ユースホステル協会の戦力にしたいし、日本青年団協議会にしてみれば、うるさい爺さんには消えて欲しい。で、鈴木重郎氏と中山正男氏の利害が一致して東洋醸造所(静岡県)に出かけていった。そして
「日本ユースホステル協会で横山祐吉氏を使いたいので毎月いくらかの金をくれませんか」
と御願いしました。
そして毎月5万円(当時としては大金)の援助をしてもらえるようになった。
名古屋市内の会社で、高卒初任給8200円の時代の5万円でした。
その御礼に東洋醸造所の社長が、日本ユースホステル協会の2代目会長になったわけです。
ある意味で横山祐吉にとって、中山正男氏と鈴木重郎氏は恩人でもあった。
で、横山祐吉は恩は決して忘れないタイプの人間でもあったようです。
つづく
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