前回にも述べましたが、団塊の世代によって、青少年の人数が増えたからユースホステル利用者が増えたのではなく、青年団よりもユースホステルを利用する道を撰んだと考えるが妥当です。
かって青年団は、巨大な牙をもっていた。機関誌は、日本最大の百万部という発行部数を誇っていた。今で言えば一千万部規模の雑紙を毎月発行していた。その日本青年団が、戦後にはサッパリふるわなくなってしまった。団塊の世代の青少年たちは、青年団ではなくユースホステルを撰んだ。青年団が提供する青春よりも、ユースホステルが提供した青春の方を好んだ。
そう考えた方が無理がない。
逆に言うと青年団の衰退が理解できれば、
ユースホステルの衰退の原因が見えてくる。
ある時期から日本の青少年たちは、ユースホステルが提供する青春に対して拒絶反応を示した。しかし、ユースホステル側は、それが分からずに、自分たちの成功体験ばかりを追ってしまった。つまり、マンモスの牙をますます大きくする方向に向かってしまった。
じゃ、いつからユースホステルが衰退したかというと、これはもうハッキリしている。横山祐吉氏が日本ユースホステル協会から退いた昭和47年からです。昭和47年から減っている。で、昭和45年の高校進学率が、82.1パーセント。大学進学率が17.1パーセントです。ちなみに平成15年になると、高校進学率が、96.1パーセント。大学進学率が41.3パーセントです
http://www.gender.go.jp/whitepaper/h16/danjyo_hp/danjyo/html/honpen/chap04_08.html
進学率があがるとユースホステル利用率が下がる。
ちなみにユースホステル利用率が爆発的に増加しはじめた
昭和30年の大学進学率は13パーセント。
ほとんどの人間は、進学せずに勤労していた。
そして大学進学率の推移は、昭和45年までの15年間の間に、
たったの4パーセントしか上がってない。
つまり昭和30年から45年の間の青少年たちの大半は、勤労青年だった。
そういう時代にユースホステルは、爆発的に発展していった。
そして、青年団は小さくなっていった。
これは何を意味するのか?
勤労青年にとって、ユースホステルが提供する青春が、とても居心地の良いものだったとも言える。また、当時の大学生は、いわゆる裕福な階層であり、エリートであったとも言えますから、そういう大学生には、ユースホステルは居心地が良かったともとれる。何にしても大学進学率が低かった時代には、ユースホステルが提供する青春は、若者たちに好評だったという事実は、動かしがたい事実として受け止める必要がある。
ちなみに、現在の(平成時代の)ユースホステルの状況も、これに似たデーターがあります。これは、北軽井沢ブルーベリーYGHに限ったデーターですが、北軽井沢ブルーベリーYGHのオープンから今年までの十年間において、リピートの多い御客さんは、学生ではありません。社会人です。二十歳の学生は、あまりリピートしない。しかし、二十歳の社会人は、盛んにリピートする。これが三十歳になると、もっと顕著になってくる。三十歳の学生よりも、三十歳の社会人の方がリピートが多くなってくる。
これは、どういうことかと言いますと、学生時代には、学校という明確で分かりやすい青春がある。しかし、社会人になると、必ずしも自分にとっての青春があるとは言えない。おまけに出会いのチャンスも減るし、仕事仲間も横の繋がりというより縦の繋がりになっている場合が多い。社会人の世界は、自由気ままな世界であるとはかぎらない。そういう立場にある人は、ユースホステルが提供する青春にはまりやすい。
しかし、すでに学校という青春をもっている人にとって、ユースホステルは単なる宿屋でしかない。ユースホステルを単なる宿屋として見られてしまっては、どうしても欠点が目立ってしまう。ドミトリーだし、規則がある。値段が安いくらいしか長所はみあたらない。
ここまで書けば、私が何を言いたいか分かりますね?
ある時期から日本の青少年たちは、ユースホステルの提供する青春に興味を失ってしまったということです。彼らは、学校という青春を享受しはじめたからです。井戸の外に出るのではなく、井戸の中の青春に興味をもちはじめた。スポーツや勉強に熱心に打ち込むようになったのです。
そのうえ何を血迷ったか、文部省は、高校生のユースホステル運動を禁止してしまった。
ユースホステル界にとって将来の貴重な人材を根こそぎ絶ってしまった。
(ユースホステルは甦るのか?15を参照のこと)
さらに不幸なことに、ユースホステル運動が、停滞をはじめる昭和47年以降は、
学園ドラマが大ブームになります。
俺は男だ!
飛び出せ!青春
われら青春!
といった学園ドラマが全国の青少年たちの心をとらえ、若者たちは学園生活に青春をかけるようになりました。さらに『俺たちの旅』といった大学生の青春ドラマが若者たちの心をとらえ、『俺たちの朝』といった夢をもつ若者の青春群像ドラマが若者たちから支持されました。その後は、熱中先生、夕陽が丘の総理大臣、金八先生、スクールウオーズといった学園ドラマが、ジャンジャン大量生産されていきます。青少年たちは、善悪は別にして、ますます学校生活にのめり込んでいきます。
このとき、ユースホステル業界は、もっと学校というものを真剣に考えるべきだった。学園生活に打ち込む若者たちに、何かしかけるべきだった。もともとユースホステルは、学校からスタートしたしたものだったのだから。でもまだ、この時代には貯金があった。衰えたとは言え、ユースホステルには、まぶしいくらいの魅力が残っていた。そのために日本の青少年たちは、ユースホステルという青春を知っている人と、ユースホステルという青春を全く知らない人に別れていきます。
この分離が、後日、悲劇を生みます。
ユースホステルという青春に対して、
偏見のようなものが、
じわじわと社会に育っていくからです。
「はあ? 一人旅のどこが面白いの?」
この偏見は、ユースホステル側が、ユースホステルという青春(ライフスタイル)を青少年たちに、きちんと伝えてないために生じたものです。どうして伝えられなかったかと言いますと、そもそも横山祐吉氏が、日本ユースホステル協会を脱イデオロギー団体にしてしまったために、具体的に説明する技術をもってなかったためです。
「ユースホステルとは、◇◇◇である!」
という説明を横山祐吉氏は禁止し、
「なんでもありがユースホステルだ!」
と言ってしまったために、説明しにくい青春(ライフスタイル)になってしまった。
それが学園生活をおくる若者たちに理解してもらいにくい存在になってしまった。
甲子園をめざして野球に打ち込むことは理解できても、
ユースホステルを使って旅する意義は、経験してみないとわからない。
言葉では説明しにくい。
つづく
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