2011年03月15日

阪神大震災の震災マニュアル紹介1

阪神大震災の震災マニュアル紹介1

 ちょっと古いネタで申し訳ないのですが、阪神大震災の震災マニュアルの内容を10回くらいの連載で紹介したいと思います。この文章は、阪神大震災の直後(1995年2月頃)に作られた震災マニュアルから要点を抜粋して、さらに今回の震災のケースにアレンジしたものを紹介する予定です。だから、内容は、少し古くなっていますので、そのへんは勘弁してください。



◆想定外の災害は、必ずある!

 今回の震災は、マグニチュード9という想定外の地震と、想定外の津波がおきました。

 東京消防庁の発行する資料によれば、日本には80以上の活火山があって、その数は、なんと世界の1割を占めると言いま
す。地震についても同じで、日本で起きる地震エネルギーは、世界の1割を占めるとか。こんなちっぽけな国に、世界の1割の活火山と地震エネルギーがある。これでは大震災が、何時おきても不思議がないわけです。



◆震災の時、行政の対応は?

 失敗だらけでした。失敗の理由として行政側は、
「想定外」
という言い訳を述べています。つまり、
「想定外に対するマニュアが無かった」
ということになります。
 これは被災者にも言えると思います。
 想定外のことに、どうしてよいか分からないと思います。

 あぶない! でも何をしていいかわからない!

 そんな時って、とっても恐いですよね。危険が迫っているのに何をしていいか分からないというのは、すごい恐怖です。
 でも対処方法を知っていれば安心です。私は子供の頃、お巡りさんや、知らないオジサンが恐かったです。夜道も恐かったし、墓場も恐かったし、ゴジラも恐かったし、バルタン星人も恐かった。
 でも大人になって対処方法を知った途端に恐いものがなくなりました。お巡りさんには道を尋ねればよいし、知らないオジサンには知らんぷりをすればいいし、夜道を歩く時は星空を眺めて楽しめばいい。墓場に行ったら御線香をあげればいいし、ゴジラやバルタン星人がテレビに出てくればチャンネルを変えればいい。

 では、今回の震災では、どうすれば良いでしょう?
 それについて、少しばかりのべてみたいと思います。



実は、今の段階になって、
このタイミングで
この文章を紹介するのには、訳があります。
そろそろ直接の災害とは別の問題がでてくるからです。




◆震災で失ったものって何でしょう?

 その昔、阪神大震災の直後からNGO(ボランティア団体)で積極的に活動をしていた神戸市須磨区の被災者Kさんに、震災についてインタビューさせて頂きました。その人に私は、こんな質問をしました。

「震災で失ったものって何でしょう?」
「人間関係です」
「え?」
 ウ〜ムと考え込む私に、Kさんは追い討ちをかけるように言いました。
「人間の真価は、極限状態に現れるものなんですね」
「・・・」
「もし、震災がなかったら、私は人間の真価を見ずに済んだかもしれない。今でも皆と一緒に仲良くワイワイやっていたのかもしれない」

 Kさんは、それ以上の話になると口をつぐみ、何を聞いてもウンともスンとも言わなくなりました。しかし酒好きのKさんに、ジャンジャン酒を飲ませると、Kさんは狂ったように叫んだのです。

「人間関係を失った人たちというのは、何かをやった人たちなんです。行動した人たちが人間関係を無くしたんです。震災を目の前にボランティアをやった人たちが、それぞれの主義主張、それぞれの方法の違いで対立しあったんです」
「・・・」
「でも、何もしなかった人たちは、何も失わなかった。カヤの外にいた人たちは、何も失わなかったんです。そりゃそうですよ。何もしなければ、何の失敗もないですからね。もらうものを貰って、それでおしまいです」

 考えさせられました。
 何かをやる。
 やるからには成功だけではなく失敗もある。
 そして、やった人が傷ついて、何もしなかった人間が人から尊敬されたりしていたらどうなんだろう?

 震災直後に絶叫しながら人命救助をし、そのあと熱心にボランティアに取り組んだ人が、その熱心さに叩かれ、何もせずにボーッとしていただけの人が人徳者のように言われたら、何かをした人の立場というものは、いったいどうなるんだろう?

 これが平和な時なら問題ないです。何かをする個性の強い人より、何もしない人徳者の方が、人々に喜ばれるのかもしれません。けれど、いざ震災になったら、危機的状況に陥ったら、誰かが何かをしなければならない状態になったら、何百人の何もしない人徳者がいたって、どうにもなりません。

 今の世の中は、この平和な日本という国では、『減点主義』がはびこっています。もっとわかりやすく解説すれば、失敗しない主義です。

 失敗をしない。失敗して不評を買うぐらいなら何もしない。出るクイにはならない。あたりさわりのない事をし、皆の顔色をうかがいながら行動し、とことんミスを犯さないようにすること。これが減点主義です。
 でも、イザというときに減点主義では、どうにもならない事があります。目の前で人が倒れていれば、駆けつけなければならない。失敗を恐れずに駆けつけなければならない。そんな場合は、人の顔色をうかがっている場合ではないです。
 通りがかりの人に「救急車を呼んでくれ!」と怒鳴らなければならない場合もあるでしょうし、どのように応急処置をするべきか、他人と喧嘩口論をしなければならない場合もあるかもしれない。こういう場合は、減点主義でなく『得点主義』で行動しなければならない!

 得点主義とは、点をとろうとする主義です。点をとるには、解答欄に答えを書かなければなりません。けれど、そのためには、ミスを覚悟しなければならない。

 ミスをしたくなければ、答を書かなければいい。書かなければ、点もとれない代りにミスをすることもない。それが減点主義。減点主義というのは、何もしない主義というのと一緒なんですね。そして何もしない人は、誰とも喧嘩することもなく、誰からも恨まれることもなく、決して責任を負うことなく、大勢に同調して、しぶとく生き残っていくんです。そして何も傷つかないですむんです。

 阪神大震災で活躍した人、阪神大震災で大勢の命を救った人は、ミスを覚悟で、それぞれの解答を書いた人たちでした。体をはって戦った人たちでした。そういう人たちが損をする世の中。そういう人が傷つく世の中を、私たちは許してしまってよいのでしょうか?

 では、どうすれば、よいのでしょうか?

つづく

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posted by マネージャー at 04:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 特設 被災者の疑問を調べます | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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