今読むと、このマニュアルは古いです。
今回の震災には、あてはまらないかもしれません。
けれど、一応、紹介しておきます。
《自分がパニックにならないためには?》
危険な時に冷静・勇敢に対処した『美談』の多くは、特定の『役割』を持たされた人間が主人公の場合が多いです。例えばハイジャックの時のスチワーデスや、事故現場の警官などがそうですが、彼ら彼女らは『役割』を持たされているから、勇敢になれるんです。
人間には本来的な人格の他に、現在の役割から与えられる第2の人格があり、それが恐怖を乗越えられるバネになると言われています。これを『役割人格』といいます。
例えば、とんでもないグータラ社員が、責任者になったとたんにシッカリ人間になったりしますが、これは責任者という役割を与えられために責任者という『役割人格』が自分の中に生れたためです。
また、こんな例もあります。シンナーでボロボロになり、カミソリを振り回し、親を殴り倒し、家出するといった非行少女が、ある日突然、分別のつく大人になりました。きっかけは出産です。その子は、母親になることによって、母親という『役割人格』が引き出されたわけです。
《みんなをパニックから救うためには?》
人間にとって何よりも恐ろしいことは、危険が迫っているのに何をしていいかわからない事です。けれど、やるべき事を知っており、そのための『役割』を与えられている人は、かなり冷静に行動できます。
ということは、自分がパニックに陥らないためには、自分自身に役割を与えておけばいいんです。震災の時に何をするかを具体的に決めておけばいいんです。たとえば電気のブレーカーを切るとか、ガスの元栓を閉めるとか、親戚に連絡するとか、具体的な行動を行えば、しだいに落ちついてきます。
自分だけではありません。パニックになっている家族や友人がいれば、その人にも役割を与えてあげればいいんです。役割を与えて、その人の役割人格を引き出してあげればいいんです。
パニックになっているから何もさせないのではなく、パニックになっているからこそ何かをさせればいいんです。そうすれば、パニックはある程度防げるんですね。
私が避難所を回って気が付いたことは、避難所によって被災者の表情が全く違うことです。
被災者が生き生きしている避難所では、被災者に『役割』が与えられていました。そして絶望する間もないくらいに活発に行動していました。被災者が進んで救援物資を運び、何でも自分たちでやっていました。
ところが被災者に『役割』が与えられてない避難所では、被災者たちは、「この世の終りだ」と死んだような目をしていていました。そして一杯のトン汁の配給を受けるために2〜3時間の行列を震えながら並んでいました。被災者に『役割』が与えられている避難所と、『役割』が与えられてない避難所では、こんなにも違っていたのです。
そういえば、こんな話がありました。日露戦争の時のことです。日本の軍艦が、ロシアのバルッチック艦隊と戦っている時のことです。日本の軍艦の水兵さんは、とても臆病でみんな恐怖にガタガタ震えていました。それを見かねた海軍の将校は、震えている水兵に次々と用事を言いつけました。
すると、さっきまで臆病風にふかれていた水兵たちは、目を輝かせて働き出しました。用事をこなすことに一生懸命になり、恐怖感を吹き飛ばす事ができたのです。どうやら『役割』というものは、人々を勇敢にする魔法を持っているみたいですね。
《役割人格を失ってしまった場合》
ふだん私たちが目にしている人格というものは、その人の本来的な人格よりも、役割人格である場合が多いような気がします。
父親は、父親であるからたよりになるのであって、父親でなくなったら、急にしょぼくれてしまうことが多いんですね。世間では、会社を辞めると急にしょぼくれてしまう人が多いようですが、それは『役割』を失って『役割人格』を無くしてしまったからなんですね。
このように多くの人々は、日頃から『役割人格』に依存しています。問題は、この役割を失った時です。
母である役割を失った時。
働くことの役割を失った時。
会社員である役割を失った時。
一家の大黒柱である役割を失った時。
そんな時の人間は、ものすごいショックを受けます。そういう時に人間の本性が現われるわけですが、パニックにならずに冷静でいられる人って少ないと思います。人間は、それほど強い生き物ではないですから。
例えば、母である役割に精根を込めて生きてきた人は、母である役割を失った時が一番ヤバイです。役割を失った自分は、このまま生きていてもしかたがないと考えないともかぎりません。自分の役割がないことに絶望して、自殺しないとも限りません。そういう場合は、早く他の役割をみつけてあげないと危ないですよね。
もし子供を失った母親が、もしショックで自殺しかけていたら、子供の葬式をあげるという役割を与えるのも一つの手段です。そうすれば、その役割のために生きる勇気がわいてきます。
葬式が終ったら御墓でもいいです。そうすれば、その役割のために生きがいがもてるんです。無神論者や唯物論者の人たちには、葬式なんか・・・と思う人もいるかも知れませんが、『役割』という点で葬式のもつ意味は、とても大きいんです。
アメリカ映画なんか見ていますと、愛する人に死なれた主人公は、ものすごいパニック状態になっていますよね。ところが日本映画なんかでは、主人公がパニックになっているシーンは少なく、悲しみをこらえながら葬式をきりもりさせているシーンが多いです。何故でしょう?
キーポイントは、『葬式』にあります。
本当は泣きたい。
本当はわめきたい。
本当はパニック状態で錯乱したい。
けれど、それをクグッとおさえて葬式という役割を行う。そういうシーンに我々日本人は涙する。感動します。だから日本映画には、錯乱したりパニックになっている人が、あまり出てこないんですね。
本当は錯乱したいのに、必死に「喪主」という役割をはたすことによって、かろうじて自分を取り戻している。葬式という儀式は、そういう文化伝統は、ずいぶん私たちを支えてくれているんです。
日本でもアメリカでも、愛する人に死なれた場合のショックは同じだと思います。両国にそれほど文化差があると思えません。あるとすれば、葬式の中に「喪主」という役割があるかないかの違いだと思います。
《新しい役割》
話しが、ちょっとズレてしまいましたが、役割を失って絶望している人には、くれぐれも注意して下さい。人間は役割を失ったときが一番危ないといいます。だから、そういう人には、新しい役割をプレゼントすることです。それによってパニックから逃がしてやることです。
その場合、新しい役割は、なるべくなら建設的なものがいいですね。前向きなものがいいです。できれば「葬式をあげる」という後ろ向きな役割ではく、人命救助をするとか、ボランティアを行うとか、社会的な意義のあるものがよいと思います。
阪神大震災で、被災者の明暗を分けたものの一つに、
「人命救助をせねば!」
という新しい役割に早く気がついた人と、ただ無気力に落ち込んでしまった人の差があります。
震災直後に生れて初めてボランティア活動をしたという被災者のNさんは、「こんなこと言うと不謹慎に聞こえるかもしれませんが、震災ボランティアをやっている時が、今までの人生の中で一番充実しています」と言っていました。
Nさんは、震災前には自分の役割を持ってなく、毎日を無気力に生きていたそうです。それが震災によって新しい役割を見つけられた時、それによって充実した毎日がおくれるようになりました。そういう人もいるんですね。
そこで、震災がおきたときに「どのような役割を果たすべきか?」ということをマニュアル化しておけば、極限状態においてカッコ悪い姿を見せずにすみます。そこで、次の章からは、イザという時にパニックにならないための具体的な手順を解説してみたいと思います。
つづく
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