(取扱い注意−これは平成7年に発行されたもので、現在では中身が古くなっています)
第7章・第四に避難
★一時退避の善し悪し
避難所は、すぐにいっぱいになります。救援物資が避難所に一番早く届く事も事実です。二次災害を防ぐために消火活動をしたり、人命救助をしている間に避難所に入れなくなる事も充分にありえます。
こう言っては何ですが、世の中のため、人のために活動した人が避難所に入れず、救援物資をもらえない可能性があるわけです。という事は、他人の事なんかほっといて、みんな我れ先に避難所に席を取りに行った方が得だという事になります。
しかし、サッサと避難所に逃げてしまう事がよいかと言えば、疑問があります。みんなが避難所に行ってしまえば、二次災害は拡大するばかりです。
ここで関東大震災の御話をしましょう。
関東大震災は、14万人の死者を出した史上最大の災害です。これは東京大空襲や、広島の原爆投下の時の被害より大きいです。しかしながら地震による死者はほとんどなく、二次災害(火災)で多くの死者を出しました。
その時の状況は、まさに地獄絵図そのもので、どこに行っても火の海。逃げる所なんてなかった。川に逃げ込んだ人たちもいましたが、全滅です。火炎は川に向かって注ぎ込みました。
本所(浅草あたり)付近では、火災旋風が発生し、4万人近くが一挙に死亡するという大惨事になりました。火災旋風というのは、火災の熱風によって発生する竜巻のことで、核兵器に匹敵する殺傷力を持っています。
二次災害というものは、かくも恐ろしいものですが、ほとんど被害のなかった地区もありました。千代田区佐久間町と千代田区和泉町です。
ほとんど被害のなかった佐久間町と和泉町。
一挙に4万人の人間が死んでしまった本所地区。
ものすごい差ですが、いったいどうして、こんなに被害に差があったのでしょうか? 佐久間町と和泉町を救ったものは、いったい何だったのでしょうか?
関東大震災の時、人々は最初、火災に鈍感でした。火災は遥か遠くに見えるだけだったのです。
しかし、水道は断水。都内6700カ所の消火栓は全て使えません。道路は壊滅状態のために消防自動車や救急車は通れない。そのうえ倒壊家屋が道路に折り重なって、火がそれらに伝わって火災がドンドン拡大しました。
そうなって初めて人々は逃げようとしました。しかし、気がつくと東に西に南に北に火災の渦です。東西南北に、どこにも逃げ道がなくなってしまっています。こうして多くの人たちが焼け死んだのです。公園などに逃げて助かった人もいましたが、しかし、命以外の全てを失ってしまっています。
しかし、千代田区佐久間町と千代田区和泉町の人々は違っていました。
「おじいちゃん、火事だよ、逃げなくっちゃ!」
「いや、逃げてはいかん」
「どうして?」
「逃げては命が危ない。火事から生き残るには、火事と戦わなくては!」
江戸時代、江戸(東京)は何度も大火事の被害を受けました。そために幕府は、大名に自衛消防団を組織させ、町人にも☆☆☆組といった自衛消防組織を編成させました。時代劇に出てくる『町火消し』たちです。『町火消し』と言っても、公務員ではありません。ボランティアです。けれど、いざ火事となった場合には、このボランティアの『町火消し』たちは、命をかけて火事と戦いました。
江戸っ子が多かった千代田区では、この『町火消し』たちの伝統が残っていたのでしょう。彼らは、火事から逃げるのではなく、火事と戦うことを選んで立ち上がりました。
「火事と戦うって、おじいちゃん、どう戦えばいいの? 水は出ないし、消防自動車も来ないのよ!」
「てやんでい! 江戸の昔だって、水道も消防自動車もなかったんだぞ。だがよ、火事から逃げはせんかった。みんな力を合わせて火事と戦ったもんさ」
「へ〜」
「感心してる暇があったら若い衆を集めてこんか」
「はい」
「火災は、2〜3日では終るまい。おそらく寝る暇もないかもしれん。だがよ、戦えばきっと消火に成功するはずよ。なに心配するな。安政大震災の時だって、火を消したんだからな?」
「安政大震災って何だい?」
「おや、知らんのかい? 無理もねえか、70年近い昔の事だからなあ〜。ありゃ御維新(明治維新)のちょっと前のことだ。ものすごい大地震がおきたんだよ。その時も、町中の人間が力を合せて火を消したものさ。大地震は、70年ごとにやって来るが、そのたびに江戸っ子は、力を合せて火を消してきたんだよ」
関東大震災の直後、東京全土が火の海になり、本所地区の住民4万人をアッという間に殺戮した火災旋風があちこちで発生し、四方から火災の津波が襲ってきた時、千代田区の人々はバケツリレーという、もっとも原始的な方法で火事と戦いました。その方法を再現すると、こうなります。
@年寄りと子供たちを、学校などに避難させる。
A男たちは全員消防隊となって、町内会ごとに破壊消防とバケツリレーなどによって、組織的に消火活動を行う。
B女たちは全員、炊き出しを行い、男たちの消火活動を支える。
何人かの見張りが風向きや火の勢いを計算して、男たちはそのつど力を合せてバケツリレーを行いました。休む間もなく、三十六時間も続けたというから驚きます。
男たちだけではありません。女たちも戦いました。食事を炊き出し、怪我人を手当てし、子供たちや年寄りの世話をしながら懸命に働きました。
そして、みんなの必死の努力の結果、みごと消火に成功し、残された1600戸の民家と東京都民の食料倉庫一万数千俵が焼け残っているのを見た人々は、一同われにかえり感動のあまり泣きだしたと言います。
もし千代田区の人たちが、自分さえ良ければいいと思って各自が勝手に逃げていたら、何万という死者が出たと思います。東京都民の食料倉庫一万数千俵も焼けてしまい、多くの被災者たちは飢えていたと思います。
しかし、逃げずに戦ったからこそ大勢の命と、大量の食料と、財産が守られました。「政府は何やっとる」とか、「消防署はなにやっとる」と叫ぶ前に、自分で火事と戦う。避難所に逃げる前に、一致団結して火災と戦う。そんなこと今の世の中では不可能ですかね? 関東大震災の時の千代田区の人たちのような活躍が、今の私たちにはできないですかね? 私は、できると思いたい。いや、できなけれはならないのではないか?
★避難について!
避難所に避難するのについて、絶対に忘れてはならない事があります。家族の無事と、避難先を、倒壊家屋の所に書いておく事です。これをしておかないと人命救助をする人にも、救援活動する人にも、安否をきずかう知合いの人にも二度手間をかけさせます。
ちなみに阪神大震災の直後は、あまり車が走ってなくて渋滞もなかったです。これは早朝だったからか、それとも地震の直後で、みんな茫然としていたからでしょうか? もし車で避難するなら、地震の直後にするべきですね。時間がたつと、渋滞で動けなくなります。
あと、避難といえば防災ずきんやヘルメットなど頭の保護が言われてきていましたが、実は足の保護が大切であるということが、阪神大震災の教訓となっています。足を怪我したら逃げることができないからです。
阪神大震災では、ものすごい瓦礫の山の中を逃げなくてはいけなかったのですが、底の薄い靴・ハイヒール・サンダルなどでは、すぐに怪我をしました。いったん怪我をしたら最後で、避難所に逃げる事が出来たとしても、食事や水の配給をもらったり、瓦礫の処理などをしたくても出来なくなり、ものすごい不便をしたと聞きます。
あと安物のスニーカー・ゴム長靴・ゴム底靴も怪我のもとになりました。特に火災が迫っている時に、熱のために靴底が溶けてしまい、被災者の避難を困難にしました。
結論を言えば、『震災には登山靴が必要不可欠である』という事になります。丈夫そうなスニーカーを履いていても、底に釘が刺さって怪我をし、足の裏を化膿してしまったケースがありました。被害の度合いにもよるのでしょうが、登山靴ほど役にたつ防災グッズはありません。にもかかわらず、市販されている防災グッズの中には登山靴は見当たりませんよね。
ですから、震災に備えてヘルメットを用意するくらいなら登山靴を買ったほうがよいと思います。そして、履きならす意味も含めて、2〜3度ハイキングに出かけてみてはいかがでしょうか?
★避難所について
避難所は、震災直後からどのくらいで満員になってしまったか? 12件ほど調べてみたのですが、半数の6件が震災直後から4〜5時間でいっぱいになってしまったとの事です。そして大勢の人たちが避難所に入れず、学校のグラウンドなどにテントを張っていました。
それにしても4〜5時間で避難所がいっぱいになるなんて・・・。さらに驚かされるのは、4〜5時間で避難所に避難した人たちのほとんどが、避難所の場所を知らなかった事です。地震は、朝5時に起きているんです。その4時間後といったら朝9時なんですよね!
みんな避難所を知らないのに、震災直後から数時間で避難所が満員になるというのは、神戸だけの事なんでしょうか? 神戸は学校の多い所なんですけれど、学校の少ない都市だったらどうなっていたのでしょうか? とにかく避難所は、すぐに満員になると考えておいた方が無難です。
★避難所の被災者を捜す方法
避難所について具体的に御話をしましょう。阪神大震災の場合、避難所は管区別に公立の小中学校や公民館が利用されていました。☆☆町☆☆番地は、☆☆小学校というようにです。ですから住所番地を知っていれば、避難したと思われる避難所がわかります。交番や各避難所で聞けば、よいと思います。神戸の人たちは、とても親切に教えて下さいました。
しかし、必ずしも被災者は、割り当ての避難所に避難しているとは限りませんから注意して下さい。知り合いや親戚とのからみで、割り当て以外の避難所に避難している場合があります。あと企業が、独自に避難施設を用意している場合がありますので注意して下さい。
ちなみに震災直後に、企業が社員の住居を確保に走ったため、住む家がなくなってしまったと言われています。無事だったアパート・マンションは、震災直後に、すべて企業が押さえてしまったとのことです。
★避難所の構造
まず学校職員が部屋割りなどを行ない放送や配給の統轄をしています。ですが、完全に避難所を把握しているわけではありません。だから学校職員に何か尋ねても、彼らは何も知らない事が多いです。避難所は意外と出入りが激しいのです。
あと被災者にも、いろいろな人がいますから、あまり良質でない被災者が多い避難所では、かなり気が立っている学校職員も多かったですね。とにかく気になさらないことです。
避難所の部屋割りは、入口の掲示板やノートに書いてあります。避難所を捜し当てたあとは、このノートを読んで、尋ね人が、どの教室にいるのかを調べるのですが、これがなかなか大変です。なかなか見つかりません。
私たちの経験では、人に聞くのが一番早かったです。避難所にいる被災者の多くは、とても親切でした。ただし、震災直後は、かなり気がたっている被災者が多かったようです。避難所の被災者たちが落ちついてきたのは、大勢のボランティアの方が訪れるようになった震災2〜3日後からだと言われています。
ところで避難所に入る時に気をつけなければ、ならないことがあります。土足についてです。体育館などの避難所に、土足でズカズカあがるという無神経な行為は、控えたいものです。
村山首相が視察をしたさいに、避難所に土足でズカズカあがり、被災者の神経を逆なでして大ブーイングが飛んだそうです。体育館と言えども避難所は自宅と同じです。細心の注意をしたいですね。
ちなみに天皇陛下が御見舞に御見えになった時は、裸足で避難所にあがられました。そして被災者に向かって深々と一礼してから入られました。そのためか天皇陛下の評判は、とても良かったと聞きます。
つづく
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