2011年03月15日

阪神大震災の震災マニュアル紹介10(平成7年に発行されたものです)

阪神大震災の震災マニュアル紹介10
(取扱い注意−これは平成7年に発行されたもので、現在では中身が古くなっています)


第11章・ボランティア団体の活躍

★ボランティア団体の活躍
 阪神大震災ではボランティアが大活躍しました。特にNGO(非政府組織民間援助団体)、YMCA、赤十字などのボランティア団体は、過去に救援活動の実績があり、規模、組織力、ノウハウの点で個人的なボランティアの及ばない活躍をしました。
 こういった団体の災害時の対応は早く、震災直後から対策本部を設立、救援活動を始めました。最も早い救助隊は、山のような救援機材と物資を持って、その日のうちに神戸に入っています。
 情報が入らず、政府、行政が右往左往している間に、YMCAは対策本部を設置、系統だてた救援活動を行なう体勢を整えていました。
 NGOの各団体は、海外での救援活動の実績を生かし、それぞれの団体ならではの支援活動を行ないました(一口にNGOと言っても、その実態、活動内容は様々です)。
 ピースボートは救援物資とボランティアを乗せた船を出し、赤十字は真っ先に医者と看護婦を現地に派遣しました。ほとんどの宗教団体も、宗派を越えて救済活動に取り組んでいました。
 こういたボランティア団体で動いていたのは、もともと団体に登録していた人々だけではありません。震災後にボランティア登録して組織に入った人も多数いました。
 今までのボランティア活動への参加は、女性や高齢者が中心でしたが、阪神大震災では若者が積極的に参加しました。時間と体力のある学生のボランティアも大活躍です。震災後、しばらくして春休みになった事もあり、大勢の学生が(人によっては試験をも投げ出して?)被災地に入りました。

 しかし、残念ながら自治体では大量のボランティア志願者を有効に使えませんでした。震災直後で行政も混乱している状況では、役所のボランティア窓口は有効に機能しません。いくらでもボランティアは必要だったのに、役所では早々に募集を締め切ってしまいました。ボランティア登録をしたのに、役所からは声がかからず、結局は何も出来なかった人も結構いたそうです。
 私達『風のたより』隊も神戸に行きましたが、出来たのは水や救援物資を運んだ事、友人や読者の安否の確認(ほとんど本人には会えませんでした)、その他の雑用にとどまりました。


★ボランティアをする時の注意
@自分の食料、水、寝袋は自分で持参すること!
 でないと自分自身が被災者になります。

A何が出来るか分からないが、何かをしたい!
 そういう人はボランティア団体の門をくぐるべきですね。個人活動ならではの、きめ細かなボランティアも必要です。しかし、何をやるべきかを、はっきり分かっている人でないと、逆に何も出来ないという状況になりかねません。自分に何が出来るか分からない。何をすればいいのか分からない。でも何か手伝いたい。ボランティアをしたい。こういう人は、ボランティア団体の組織のもとで活動した方が、いいのではないかと思います。

Bボランティアが全てを行なってはいけない!
 被災地も、いつかは復興、自立しなければなりません。できれば早いうちに、地元の人達に任せるべきです。全てが地元の人達でまかなえるようになった時、その場所におけるボランティアの役割が終わります。


★ボランティア十訓
 島原ボランティア協議会のメンバーが長年の体験をまとめて作ったものです。西宮市が、これをコピーして各ボランティア団体に配付したそうです。とてもよく出来ていますので掲載してみました。何かの参考にして下さい。

一.自分の意思と責任において自給自足を旨とすべし。
一.活動は自分で探し、自ら行動すべし。
一.活動内容に上下はあらず、えり好みは慎むべし。
一.活動は思慮深さとやさしさと人間を愛する心をもって なすべし。
一.活動は人のためにあらず、わがためとすべし。実を残 して徳を取れ。
一.活動は自由参加とて無責任にはあらざるべし。
一.人の痛みをわが痛みとして、相手の立場で行動すべし。
一.目立たずおしまず行動し、けなさず怒らず名も無く去 るべし。
一.われわれは被災者の自力復興への応援団であり、陰の 支援者である。去るべき時を知り、有事の友をつくれ。

★フランス人のレスキュー隊チームとの出会い
 被災地を回った私たちにとって、一番ショッキングだったのは、フランス人のレスキュー隊チームとの出会いでした。
 『風のたより』読者を訪ねて、灘区の避難所(小学校)をウロウロしていた私は、3人の外国人に出会いました。彼らは、ミレーのザックに、11ミリのレスキュー用のロープを入れ、大きな器材を持っていたのです。
「レスキュー隊だな」
と思った私は、英語で
「どこから来たんですか?」
と尋ねましたが、彼らは、とても無愛想な返事しかしません。どうしたんだ? と聞いてみますと驚くべき事実がわかりました。

 阪神大震災のニュースをテレビで見た彼らは、仕事を休み、ポケットマネーで飛行機に飛び乗りました。彼らの本職は、レスキュー隊。
 セメントの下に埋まってる生きた人間を捜し出す機械を使って人命を救助するのを仕事としています。いわば人命救助のプロであり、その技術は、かなりの特殊能力と思われます。
 ところがです。
 そんな彼らを、日本国政府も、兵庫県も、神戸市も、警察も、消防署も、自衛隊も、どこの団体も、どこの避難所も使ってくれないのです。彼ら言いました。

「外国の政府からの派遣特使なら、働いてもらえますが、民間のボランティアの人を、私たち公共団体が働かすことは出来ません。ボランティアの方は、ボランティア団体で活躍なさって下さい」

 しかし、ボランティア団体に連絡すれば、
「炊き出しをやって下さい」とか
「荷物運びをして下さい」と言ってきます。
 冗談ではないです。
 そういったボランティア団体では、彼らの特殊技術は生かされません。
 ボーゼンと無駄な時間をすごす彼らに、誰一人として手を貸す人はいなかった。彼らに話しかける日本人もいなかった。
外国人を、珍しそうにジロジロ見る日本人はいても、だれ一人、彼らを相手にする人はいなかった。

 私が避難所で彼らを見つけた時は、彼らの回りには誰もいなかった。その避難所には、警察も、消防署も、自衛隊も、学校の先生も、被災者も、みんないたのに、大勢いたのに、誰も相手にする人はいなかった・・・。
 異国の街の中で、言葉の通じない外国の中で、どこからも拒否され、誰からも相手にされずに、何も出来ないまま、何一つさせてもらえないまま、どこかで人が死んでいくのに、どこかで人が叫んでいるのに、何も出来ないまま凍えている。
 そんな三人の外国人を
 どうして、みんなほっとくのだろう?
 どうして、誰も声をかけてあげられないのだろう?
 私は、フランス語はできないし、英語だってろくに話せない。でも、この避難所には、たくさんの学校の先生がいるはずだ。立派な教育をうけた先生様がいるはずだ。被災者の中にだって、私より語学の出来る人は、何十人もいるはずだ。どうして、話をしないのだろうか?

 学校の先生たちは知っていた。彼らがフランスから来たレスキュー隊のボランティアであることを知っていた。彼らが置かれている状況を知っていたのだ。
 でも、御茶の一つも出さない。御茶どころか何一つ話しかけようとしない。遠いところからやってきた人たちに、何の話もしない。その代わりに職員室でボーッとしている。一体どうなってるんだ?

 避難所の中には、私たちが「東京からきた」と知って、いろいろ声をかけて下さった人は、とても多かったです。でも、その心をフランス人のレスキュー隊の人たちにも欲しかったです。なんだか自分の国が、自分自身が恥かしくなったです。だって、もし、フランスで大震災がおきたとしても、自分は、絶対にこの人たちと同じような行動が取れないですからね。もし、仮に行ったとしても、こんなに冷たい仕打ちにあってたら、絶対に怒り狂っているはずです。だから、恥かしかったです。

「ありがとう!」

 私は、彼らにお礼を言ったが、ムッとした彼らからの返事はなかったです。
 つらかった・・・。




つづく

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posted by マネージャー at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 特設 被災者の疑問を調べます | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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