1970年(昭和45年)頃に母親と上京し東大病院で難聴の診察をうけました。
私が小学2年生の時です。
私は、この東大の大学病院の耳鼻科で嫌な体験をしました。
東大病院は大きかった。
患者も大勢いました。
行列も凄かった。
最初は、母親の付き添いで診察を受けましたが、検査は一人で受けさせられました。
大勢が順番待ちで、部外者は列に並べなかったからです。
で、一人で検査を受けるはめになりましたが、検査前に説明書を読まされました。
しかし、読めない。
難しい漢字が、いっぱい書いてあって読めない。
せめてルビが振ってあれば、意味がつかめるのですが、それもないから読めない。
小学2年生になったばかりの子供には
「高音」「低音」
「聴く」
「致します」
「御願いします」
「下さい」
という文字は強敵なのです。まだ習ってない。
http://www.jfecr.or.jp/kanji/sakuin.html
例え文字を習っていても「致します」は読めない。
読めたとしても意味を理解するのは難しい。
どうして良いか、オロオロしているうちに、
自分の番が来てしまった。
そして病院の人が事務的に
「説明書は読みましたか?」
と怖い顔で聞いてくる。私は恐る恐る
「(読んだけれど)分かりませんでした」
と答えました。すると
「駄目じゃ無いの! 大勢の人が待ってるんだから無駄な時間をつかわせないで」
と、とりつくしまもなく
「きちんと読んでから来なさい」
と怒られて、もう一度、一番後に並ばせられました。
もう反論というか、言い訳できる感じでは無かったです。
私は列の最後でボーゼンとするしかなかった。
「きちんと読んでから来なさい」
と言われても、そもそも小学2年生に理解できる説明書でないわけですから、どうしようもない。
しかし、そうこうしているうちに、また自分の番が近づいてくるんですが、分からないものは分からないですから、自分の番が近づいてくると、だんだん恐怖をおぼえてくる。幼かった自分は、怒られるのが嫌で、また最後尾にまわってしまった。で、超能力を使って説明書を解読しようとしていたのですが、解読できるわけが無い。どんな念力を使ったところで分からないものは分からない。
これが大人なら隣の人に聞くなどの知恵が働くのですが、佐渡島の田舎から上京したばかりの小学2年生には無理な相談。だいたい昨日まで2階以上の建物を見たこともない子供なんです。エスカレーターも、エレベーターも、自動ドアも知らない土人として育った子供ですから、まわりにいる背広を着た東京の大人たちなんて、エイリアンぐらいにしか見えない。
第一、私が困っていても、みんな無視している。
こんな時、佐渡島の老人たちなら困っている子供がいたら
「どうしたの?」
と聞いてくれるけれど、東京大学の病院に来ている大人たちは
エイリアンみたいにムスッとしている。
だから怖い。
で、何時間も、もじもじしているうちに母親が
「遅いぞ、変だな」
と気がついて見に来ました。
そして、母親の助けを借りて、ようやく説明書の意味を解読することができたんです。
当時の東大病院は、一事が万事、こんな感じですから、いまだに私は東大医学部というものを信用していません。患者よりも、病院の都合を優先してできているという体験を小学2年生の時に刷り込まれてしまったからです。こういう病院が、正しい診療が出来るはずがないと、いまだに偏見をもっています。幼い頃に刷り込まれた体験は、この歳になっても残っている。
つづく
↓ブログの更新を読みたい方は投票を
人気blogランキング
【関連する記事】
- 高所作業の詩 その1
- 明日から高所作業だ
- 最強の洗剤・リンレイの『ウルトラオレンジクリーナー』
- オープン21周年の記念品
- 渡部昇一物語【2】 マーフィーの法則
- 渡部昇一物語【1】 知的生活の方法
- 晴耕雨読
- ストーブにヤカンを見直してみた!
- ユースホステルの今後
- ユースホステルの会員は激減するが、その旅行スタイルは絶賛拡大中な件
- 寝る子は育つ その3
- 寝る子は育つ? その2
- 寝る子は育つ? その1
- 吾妻鉱山 最後に・・・
- 吾妻鉱山の人たちが、佐渡鉱山(金山)を見学した結果・・・・
- 吾妻鉱山の医療事情
- 吾妻鉱山 嬬恋村の『軍艦島』
- 吾妻鉱山 修学旅行が、日本橋三越だった理由
- 吾妻鉱山の謎
- 『ブラックマーケティング』と『学力と社会力を伸ばす脳教育』
なんという病院都合のやり方!
今の日本でも、あちこちで顕著にある形!
マネージャー少年の恐怖感、分かります!
せめて、病院なんだから、子どもの立場で考えてやれないのかー!?
業務多忙と子どもが滅多に来ないからという想像力のなさのせいでしょうかね?
まぁ、似たような仕打ちを規模は小さいながら、某市立病院産婦人科で、体験しました。
急な破水もどきで心配になり、
午前4時に電話したら医師がいないから、外来開始の9時に受診しろと言われ、渋々言う通りに順番待ちして受診したらば、「なぜすぐに来院しなかった?!」と叱責される始末。
まぁ、これは産婦人科医不足という問題も絡まる問題でしたけどね…。
結果として、母子とも助けてもらったからいいんですけど。
ところで、
当時は親方日の丸の東大附属病院。
今は、独立行政法人ですが、相変わらず、なんでしょうかね?
だとしたら、呆れちゃうな…。
私はマネージャやみわぼーさんのような嫌な体験はしていませんが、
正直私も病院にはいいイメージを抱いていません・・・。
マサさん
これは1970年の話しなので、今は改善されていると思うんですが、子供の頃の思いでは、ずーっと後まで引きずるんですよね。当時の私ときたら未開民族に毛の生えたくらいの少年だったので、ちょっと衝撃が大きかったです。
検査の人は、医師ではなかったと思いますが、大きな組織になって大勢を捌くようになると、根本的なところでミスを犯しやすくなるのかもしれませんね。病院が役所のような対応をしてたら、こういうことも起こりやすくなるんだろうな。