モテキというドラマがありました。人間には、誰にでも一度はモテる時期があると言います。それを過ぎると急にモテなくなる。そういうものらしい。但し、モテキが5歳の頃なのか、50歳の頃なのか、25歳の頃なのかは、人それぞれらしい。
この「モテキ」という現象、ある意味、真実をついてると思いますね。私の友人(男)に、すごくモテる奴がいたんですが、何故か彼女は、みんな5歳くらい年下だった。で、35歳くらいまでは、すごくモテモテだったんですが、45歳の現在、全くモテなくなってしまった。
45歳だと、5歳年下は40歳。つまり、その世代の女性の大半は結婚してるか、結婚をあきらめてマンションを買っているかですから、対象となる5歳年下の女性そのものが少なくなっているからモテなくなる。つまりモテキは終わってしまっているわけです。
高校時代に、なぜか先輩にだけモテる男がいましたが、高校3年生になると、バッタリもてなくなってしまった。こういうケースもある。やはり、人には、それぞれのモテキがあるみたいです。カップルになるための相性というものがあるんですよ。それがモテキを形成するための重要な要件となる。
ここからが本題です。
実は、若者と老人たちとの相性というのも、ある気がします。
というのも私は、明治生まれの人と相性が良かったからです。
明治生まれと、大正ひとけた生まれでは、
同じ老人でも気質がまるで違っていたからです。
これが大正二けた、昭和ひとけたになると、まるで違ってくる。
明治生まれの老婆には、字の書けない人が多い。スミとか、トメという名前の老婆が多いのも、この世代なんです。そして、必ず兄弟が十人以上いる。後妻の子供と、前妻の子供でわかれていたりする。
私の祖母の名前も「スミ」でした。
そして明治生まれでした。
祖母は、大勢の兄弟の中で、
学校に行かず子守ばかりしていたために字が書けなかった。
しかし、決して無教養であったわけではなく、
むしろ今の高校生より、ものを知っていたと思います。
で、私が二十歳の頃、あれは1981年頃のことです。ある町工場で雑用のアルバイトをしたんです。そこに明治生まれの老人が働いていて、なんだか良く分からないけれど、すごい職人だった。私は、その老人から、とても可愛がられたんですね。逆に昭和生まれの専務には、ひどく嫌われたんですが、明治生まれの職人さんには、ものすごく可愛がられてしまった。
で、明治生まれの職人さんのそばで、ずっと働いていた。私は、好奇心いっぱいで、老職人さんの仕事をじーっと見る。見ながら、休み時間に見よう見まねで、真似をしたりする。それを年老いた老職人が、目を細めながら、時たま禅問答みたいなことを言う。
「肘だ」
「え? 肘って、どういうことですか?」
老職人は、ニヤニヤ笑うだけで、それ以上答えてくれない。仕方ないので、休憩が終わった後に、ジーッと盗み見るわけですが、わけが分からなくて、首をかしげてしまう。それをまた老職人は、ニヤニヤ笑う。そんな毎日なんですが、そういう現場を昭和一桁生まれの人に見つかったら、たいへんです。怒鳴られ蹴られてしまう。
「何ぼけーっと見てるんだ! さっさと働け」
と雷をおとします。彼らは、働いてるふりでもいいから、忙しそうに動いてないと機嫌が悪い。もちろん明治生まれの老職人は助けてくれません。笑いながら見ているだけ。しかし、時々助けてくれることもある。怒られてる最中に
「たばこ買ってきてくれ」
と用事を言いつけてくれる。私は、よろこび勇んでタバコを買いに行きました。
ちなみに、この老職人たちは、その世界では人間国宝みたいな人だったらしく、造のエンジン部品をつくっていました。当然のことながら造船所や大きな工場に出張に行くことが多い。役立たずだった私もお供するのですが、通用門に入るときなど、名前を書くときに必ず私が代筆しました。
現場では、私は役立たずなので、私の仕事は、この代筆くらいなもんです。代筆だけの仕事で、1万円の日給はもらいにくいので、ある日、アルバイトを辞めることを決意し、老職人にうちあけました。すると驚くことに老職人は、こう言ってきたのです。
「困ったな、俺は字が書けないんだよ。また新しく別の奴をさがさないとな」
「・・・・・」
最初、冗談かと思いました。
難しい図面を読める人が字が書けないわけがない。
新聞だって読んでるし、難しい計算もバッとこなす。
だいたい、人間国宝といわれている人が、字が書けないわけが無い。
しかし、字が書けなかったのは本当だった。
読めても書けなかった。
文字を書かせると書き順がデタラメだった。
あきらかに学校教育をうけてない。
しかし、文盲というわけではない。
逆に凄いレベルの知性をもっている。
なのに何故?
「むかしはよ、学校に行かなくても本は読めたのさ。横に小さなカナをふってあったからな」
「そういう問題ですか?」
「ははははは」
老職人は言います。
「そうか、辞めるのか。おめーは見込みあると思ってたんだがな。若い奴には、珍しく、おれの仕事を盗もうとしてたからな」
「あれは、好奇心というか、なんというか」
「他の奴はよ、専務の顔色をみてばかりなのにな」
「・・・・」
「専務は、動く奴が好きなのよ。働く奴よりもな。人偏(にんべん)は、いらねえんだ」
「でも、私は、まだ働けてせん」
「そう簡単に働けるようになってたまるかってーの」
この後も、この明治生まれの老人には驚かされることばかり続いた。
明治生まれの老人の中には、このような破天荒な人が多い。
今の価値基準では、計れきれない。
つづく
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という私も、父が英国式のセビルー(背広)を仕立てる職人で、中学3年の時に跡を継げと迫られたのですが、大学にいってしまいました。
今はもう、誰も出来なくなってしまい、父に悪いことをしたと思いますが、洋服の青山では生かせませんね。
若い頃には、理解できないことがあるんですね。
歳をとらないと分からないことが。
そうなんですね。。。こういうことかぁって思いました。
これで思い出すのは、司馬遼太郎さんが書いていた小説です。
吉田松陰が子供のころに勉強をおそわっていた
めちゃくちゃ厳しいおじさんが、
年に一日だけ幼い松陰と相撲を取ってくれて、
思い切り遊んでくれたというシーンです。
人間の心の形成とその後の行動の原動力とか、そこには
なんか大事なものがあるんだろうって感じました。
伯父の玉木文之進ですね。
乃木希典の親戚です。
この人は、公私に厳格で、
公では厳しく
私では優しいんです。
だから講義が終わると優しいおじさん。
でも授業中は鬼教師。