みわぼーさん
> そもそも、ドラマ史というか、過去の優れた映画、
>ドラマ作品を最近のシナリオライターさんたちは、
>その歴史を重視した講義ってのは、受けてないのでしょうか?
これ、授業ではやってないですね。
日大芸術学部でもやってないです。
映像関係の学校で、これにとりくんでいるところは皆無じゃないですか?
> とにかく書いて、添削してもらって…ってことなのかな?
> シナリオセンター副所長ってことは、あの新井一先生のお弟子さんでしょうにね…
>(私の大学時代に受講した、ドラマ演習という、
>戯曲やシナリオを書く授業のテキスト「シナリオの基礎技術」の著者)。
新井一先生は、知っていたりするんですが、あの方は天才でしたね。
特に早書きの天才でした。
一晩でペラ(200字詰原稿用紙)400枚くらい書いちゃう。
しかも面白い。
構成や箱書きは、頭でやるので、下書きさえしない。
かなり知能指数の高い方でしたね。
で、この人の口癖が「どんな名作もエンドマークのないシナリオは、無価値」でした。よーするに完成してないシナリオは、価値が無いと言ってました。どんな下手なシナリオでも、完成さえしていれば価値があると言ってたのです。つまり、昔は未完成の大作を誇る馬鹿なシナリオ作家志望者が多かったのでしょうね。
で、この新井一という天才シナリオライターは、
「シナリオは技術だ」と言い切った最初の人です。
おそらく。
新井一が、言い切る前には、シナリオは芸術だという輩も多かったはず。けれど、新井一は、シナリオは技術だと言い切って、その技術をジャンジャン公開してしまった。脱線しますが、似たようなことを言った映画監督に「ヒッチコック」がいますね。彼は「映画は小道具だ」と言い切っちゃって、そのとおりの映画をジャンジャン作ってしまった。
まあ、そんなこと、どうでも良いんですが、新井一は、シナリオは技術だと言い切って、その技術をジャンジャン公開してしまった。今あるシナリオ入門の本の大半は、新井一が公開した技術がベースになっていると思います。
さて、技術と芸術。
どこが違うかと言いますと、
技術は収得できるが、芸術は収得できないんです。
つまり、才能関係なしに誰でもシナリオライターになれるというのが新井一の考え方なんです。
技術は、誰にも学べますから。
で、その技術の習得の仕方の、最も簡単な方法を新井一は考案した。
これが20枚ペラ修行です。
これは原稿用紙20枚の短編を50本書かせる授業なんですが、新井一は、弟子たちに、原稿用紙200枚の大作は書かせなかった。そういう修行は無駄だと思ったんですね。それより原稿用紙20枚の短編を50本書かせる。そして短編1本につき1つの技術を習得させ、卒業までに50本の技術をマスターさせる。こういう手法でジェームス三木などの大家を大量生産させていった。
この手法は、なんと山手樹一郎に通じるんです。
実は、山手樹一郎も新井一と似たところがあって、
大勢の作家を育てているんです。
>山手さんと、池波さんは、同じく、長谷川伸門下だったからです!!
これね、確かに長谷川伸門下には違いないですが、
長谷川伸を育てたのは、山手樹一郎だったりします。
山手樹一郎が、長谷川伸門下に入ったのは、
編集者を辞めて本格的な作家デビューしてからです。
ところで話をもどすと、私は新井一先生に何度か教えてもらったことがあったのですが、やはり新井一は天才でした。教え方がすごく具体的なんです。どんなに、つまらないシナリオさえも、新井一の手にかかったら、ものすごく面白くなってしまう。それも、ほんの少しいじるだけで、ものすごく面白くなってしまう。そういう事をやらせたら新井一は、まさに天才でしたね。
で、その具体的な手法の一部を公開すると、
「天地人を変える」
という手法がありましたね。
天は、時代。
地は、場所。
人は、登場人物。
この3つを変えるだけで、つまらないシナリオが面白くなるんです。武士の家計簿を例にとると、
天を変える・・算盤サムライを平成時代にタイムスリップさせるなど
地を変える・・旅先の東海道の宿場町を舞台にするなど
人を変える・・草履取りを主人公にするなど
といった方法で、設定を変える方法です。
で、この「天地人を変える」手法の中で、最も効果的な方法が「地を変える」ことだと、新井一先生が、極意として私に教えてくれました。例えば、ラブストーリーの告白シーンなら、「地を変える」ことによって、どんなにつまらないシナリオも、面白くなる。具体的に言うと、レストランでプロポーズするといった、ありきたりのシーンを、このように変えると面白くなる。
・神社の縁の下で告白する
・屋根の上で告白する
・階段をころがり落ちながら告白する
・座禅をしながら告白する
・ヘリコプターにぶらさがりながら告白する
という具合に、地を変えるだけで、つまらないシナリオが面白くなるというのです。新井一という人は、こういう技術を大量にもっていた人なんですが、全てのお弟子さんが、それをマスターしたわけではないようです。もったいない。
でも、技術だけでシナリオが書けるわけではないですね。
確かに技術があれば、コンクールで入賞するレベルにはなりますが、
技術だけでは、どっかで見たような駄作ができてしまう。
たとえば山田太一さんなんかは、技術に走ってはいませんね。
あの人は、決して技術のある人ではなかった。
あの人の魅力は、テーマに対する切り口が独特だったところです。
だから誰も山田太一の真似が出来なかった。
彼の作品で「どっかで見たような」作品が少ないのは、そのせいです。
武士の家計簿は、その系統の作品になるべきだったのは、原作を熟読すればわかったと思うんだけれどなあ。
つづく
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私は大学時代に、演劇学を専攻していましたが、演劇や映画の歴史の概略の授業があって、テレビドラマの歴史の概略もやったんですが、所詮、概略。
ほんのサワリ程度しかやってないですね。
戯曲研究って授業があって、そこでも、演劇の台本(戯曲)の分析をする授業はある反面、映画研究って授業もあって、伊丹万作監督の「赤西蠣太」の映画を観て、先生がシナリオからポイントを抜き出して、分析する授業はあったけれど…。
歴史を学び、先輩方が生み出してきた、優秀な作品を観て、研究することが、シナリオや戯曲の実作が結びついていた人は、少なかったと思います。
大学卒業して、20年近く経ちますけれど、つくづく、そこに結びついてなかったですね。
演劇学をやってる割りには、実作(劇研の芝居公演)ばっかりで、ないところで、アウトプットするばかりで、インプット(過去作や、優良な映画や芝居を観ること)を怠っていたなぁ、と、反省しきりです。
まぁ、それは現在も続いていますけれど…。
マネージャーさんは、新井一先生のご指導を直接受けていらしたことがあるんですね!
地を変えることで、面白くなる、という手法は、確かに、現在でも、ドラマや、映画の企画で、見かけることがあります。
地を変えることは、すなわち、テーマの切り口を見直すことにも繋がるのでしょうね。
「武士の家計簿」を別の切り口で(山手樹一郎さん風バージョンで)、あと十年後くらいにでも、リメイクしてくれる人がいいんだけどなぁ。
現実問題としては、ロードショー上映にもっていくには、ハードル高いかも知れないけれど。
自主映画なら…でも、自主映画で、時代劇を取るのは、チャチになっちゃうんだろうな、と、自主映画を作ったこともない私は、いろいろと空想するだけなのですが…。
そういえば、山手さんは、編集者だったんですよね。
編集者であった頃の山手さんは、寧ろ、作家・長谷川伸を育てたという関係ということなんでしょうか?
そういう意味では、池波さんとは、一応、同門ではありながら、山手さんと池波さんでは、言い方悪いかも知れないけど、同じ長谷川伸門下でも、格が違うのかも…。
これは、山ほどある新井一の技術のほんの一部なんですが、
かなり効果のある技術でもあります。
しかし、この技術は、万能ではないんです。
この手法を否定するプロデューサーも多い。
その代表格が、石井ふくこさんです。
石井ふくこさんと、新井一は、この手法をめぐって激論をかわしています。新井一は、屋根の上でプロポーズするシナリオを書いた。地を変えてみたわけです。これを石井ふくこさんは拒否した。彼女は、あくまでも日常の延長線上でプロポーズすることにこだわった。地を変えるという小手先の手法を嫌ったんです。
しかし、そうなると石井ふくこさんの望む脚本を書けるシナリオライターは、日本に数人もいない。ものすごいレベルの人で無いと、駄作になってしまうんですね。で、平岩弓枝さんといった最高レベルの人が、彼女の作品に多く使われるようになったみたいです。
しかし、平岩弓枝さんは、石井ふくこさんの作品の時は、地を変えないけれど、他のプロデューサーや、コバルト文庫や、他の小説なんかでは、ジャンジャン地を変えてますね。やはり平岩弓枝さんは天才ですよ。新井一とは、また別の意味での天才。