つづきです。
あんなり面白い本だったので紹介します。
対談なのですが、おもに佐々淳行さんが語っています。
警察官の現場として、浅間山荘事件などで活躍した佐々淳行さんの語りが面白い。
現場でないと知らないことを語っています。
論より証拠、ちょっと抜粋して紹介してみましょう。
◆阪神淡路大震災でのある支店長の勇断
佐々
それで一つ思い出しました。阪神淡路大震災の時、日銀の神戸支店長に遠藤勝裕氏という傑物がいたんです。彼はジェット機が落ちたかと思うくらいの轟音と激震に遭遇した直後、自分がこの大災害に際して何をすべきかを考え、「そうだ。俺の役割は町に紙幣を出すことだ」と気づくんですね。
日銀の支店は設備の損傷はありましたが、幸いにも大金庫が無事でした。
遠藤さんはそれを開けてしまうんです。
緊急時に普通は閉める大切な金庫を、逆に開けてしまう。
そしてそこにあった札束を全部取り出し、紙幣の流通を止めなかったのです。
本人は「兵庫児一日分の金額が入っていた」と言っています。
だから何十億円でしよう。
渡部
随分と大胆な行動ですね。
佐々
そして次に被災地の民間銀行が壊れていないかを点検しました。
そうしたら日銀のほかに一つだけ壊れていない銀行があった。
すると三日後には、そこと日銀神戸支店内に、
被災して休業中だった各銀行の支店の臨時窓口を開設するわけです。
さらに兵庫県警本部に連絡を入れて警備を要請しました。
普通なら各支店に配置しなくてはいけない。
二百人の警察官が二か所で済むわけだから、本部長も随分助かったと話していました。
二十名で済んだそうです。
もっとすごいのは、震災当日のうちに金融特例措置という五か条の布告を独白の判断で出したんです。例えば通帳や判子がなくても身分証、免許証を提示したらお金が借りられる、半焼けの紙幣は普通の紙幣と交換する、などと。
もちろんこんなことを日銀本店や大蔵省本省がすぐに承認するわけがありません。
ところが、当時の大蔵省の神戸財務事務所長というのがまた傑物でね。
これを決裁するんです。
そしてこのルールでどんどんお金を出しました。
渡部
ほう。
佐々
こんな話もあります。
遠藤さんが震災後、市内を視察すると、
コインを持たない被災者が自動販売機を蹴っている様子を目にするんです。
そして「そうか、物があってお金がないと暴動が起こるな」と考えた。
そこで銀行協会に申し入れて、
百円玉九枚と十円玉十枚を入れた千円の袋を四千袋つくり、
避難所に行って「銀行協会からの義援金でございます」と渡して歩いたそうです。
渡部
いやすごい話だ。
初めて聞きました。
その遠藤という方はその後どうなりましたか。
佐々
本当はクビだったんです。
なにせ日銀のあらゆる掟を破ったわけですから。
当時私は遠藤さんとは一面識もなかったんですが、解任だと聞いた時はカッときて日銀の役員に電話で談判しました。「遠藤さんを辞めさせると聞いたけれども、本当か」「いや、いま内部でそれが問題になっているところです」。聞いてみると、災害に遭った地域を救済するために過去に何度かこのような超法規的行為をやっていた札付き″の支店長だったらしいです。
日銀内部は「とんでもない日銀マンだ」「これこそ日銀の鑑」という二つの意見に分かれていて、私はその日銀役員に「彼のような功労者をクビにするなんてとんでもない。本店に栄転させなさい」と強く言いました。それが聞き入れられたのか、遠藤さんはクビにならずに調査役になりましたよ。
◆大震災当日に実感した日本人の我慢強さ
佐々
緊急事態が起こった時、高層の高い場所にいると大変ですよね。アメリカのペンタゴンというのは五階建てです。あれは軍の施設や危機管理担当施設が高いところにオフィスを要求するのは愚かだという思想なんです。エレベーターが止まっても、すぐに駆け上がったり駆け降りたりできなくてはいけないからと。それで石原慎太郎さんがこの間、彼のいる知事室は七階ですから、「俺、七階まで駆け上がれない。失格だ」って言っていました。
渡部
知事室を降ろせばいいんですよ。
佐々
一階か二階にすればいいんですよね。旧警視庁では、一階二階というのは古くから鑑識とか捜査一課とか刑事部がとったんです。私は警備部でしたが、かろうじて三階に入りました。それで公安が四階。それより偉い人は五階でも六階でも、どうぞお好きなところへというわけです。われわれは停電でエレベーターが止まった時に、駆け上がり駆け降りしなければいけないから。ところが、新警視庁の警備部というのは十何階かにあるんです。
渡部
今度の地震で懲りたでしよう(笑)。
佐々
懲りたと思いますよ。前に後輩の警備部長のところに行ったら、「先輩、もう一時間ぐらいお茶飲んでいてください。素晴らしい夕陽が見られますから」と言うわけ。それを聞いて私はちょっと皮肉を言った。
「君ね、俺たちは刑事部と三階と二階の取り合いっこやったんだぜ。駆け上かり、駆け降りしないといけないだろう。それだけの緊急性のある仕事だし、忙しいからエレベーターなんて待っていられない。ちょっと見たところ、君、だいぶ贅肉がついているようだけど、ここまで駆け上がれるのか。駆け降りるのはもっと大変だぜ。足がもつれるから……」
なんて(笑)。
ペンタゴンの周りなんて昼休みになるとみんな走っていますよ。フィジカルフィットネスといって基準となる体型が決められていて、ときどきチェックされるんです。太ってきたら「やり直し」とダメ出しされる。それでも自己管理できないとペンタゴンから追い出されてしまうんです。それで「ちょっと私らの時よりたるんでるぞ」なんて言うものだから、若造たちに煙たがられるの(笑)。
◆アメリカの救援を拒んだ村山内閣
渡部
今回の菅政権の対応はことごとく後手に回りましたね。
あるいは、無駄に時間の浪費をしていたように思えてなりません。
何を考えているのかと首を捻りたくなるようなことがしばしばありました。
佐々
これも大切な教訓だから申し上げておきますと、阪神淡路大震災の時、首相の村山富市さんも官房長官の五十嵐広三さんも地元出身の土井たか子さんも、社会党の面々はガバナンスという点でまったく駄目だったんです。自衛隊は憲法違反だから災害の救援に来るなと言う人たちですから。
渡部
自衛隊アレルギーの連中ばかりです。
それに、いつまでも自衛隊に出動を要請しなかった
当時の貝原俊民知事の責任も避けられません。
佐々
ただ、この時の政権は幸いにも自民党が与党に入っていました。役に立ったのが運輸大臣の亀井静香君でした。
アメリケアーズというアメリカ最大のボランティア組織があって、震災後、日本国際救援行動委員会の理事長だった私に「ノースリッジ地震のお礼をします」と電話をかけてきたんです。ご存じのように阪神淡路大震災のちようど一年前の一九九四年一月十七日、ロサンゼルスで震災が起きて、日本は懸命に支援したんです。
「そのお礼にジャンボ機一杯の百トンの物資、それに人名の医師団、数十人のボランティアを連れて日本に向かう。一月二十三日午後一時に関西空港を開けてほしい」
という電話でした。
ところが、村山さんも五十嵐さんも
アメリカの恩を受けたくないという理由で申し入れを断ってしまうんです。
それとは別に、インディペンデンスという空母がヘリコプターで重傷者を搬送して救急医療を引き受けるという申し入れもありました。空母ですから、パイロットが怪我をして帰って来た時に治療をするため、外科医がたくさん来っている。百床くらいベッドを持っています。ところが村山さんはこれも断りました。外務大臣の河野洋平さん、彼もだらしのない男で、右へならえで、この話を蹴ってしまう。
それでアメリケアーズからの支援をどうしたかというと、理事長の私が受取人になったんです。ところが、受け入れるには運輸大臣に空港を開けてもらわなくてはいけない。亀井大臣はあさま山荘事件で一緒に仕事をした私の後輩ですしね。追いかけ回してなんとか自動車電話で連絡をつけました。
「亀井君、君のバカ力が役に立つときがきた。関西空港を開けてほしい。援助物資を運ばなくてはいけないが、陸路は使えない。ついては君の指揮下にある海上保安庁の巡視船とヘリコプターを手配してほしい」
と。周囲は「無理でしよう」と言っていたんですが、空港に着くと「大臣の命令により」と言って海上保安庁の隊員百五十名が整列して待っていて、敬礼して通してくれました。驚いたことに四隻もの巡視船とヘリコプター三機を借りることができた。その協力のおかげで、援助物資は無事、神戸の災害対策本部に送ることができたんです。
渡部
まさにお手柄でしたね。震災の当日といえば、僕は村山さんと懇談会をやっていたんです。
佐々
ああ、知っています。新春文化人懇談会というのですね。私はこの日の総理の行動をきちんと把握しようと皆に聞きました。村山さんのもとに第一報が入ったのが午前七時なんです。地震発生から一時間十四分も経過していた。そして十時からの閣議の後、二十一世紀地球環境懇話会という会合に出席しています。神戸でどんどん人が焼け死んでいる時に、オゾン層を破壊するフロンガスの規制をどうするか、といったことを話し合っていたんです。神戸のことは「ひどい地震だったらしいね」という程度で話題にもならなかったらしい。渡部先生たちとの懇談合もこの日だったんですね。
渡部
そう。「総理、神戸が大変なのにこんなことをしていてもいいのですか」と言ったら「大丈夫ですからどうぞ」と言って予定時間を十五分もオーバーしました。
佐々
その間も自衛隊の車両やヘリコプターはエンジンを回し、いまかいまかと指示を待っていました。天災が途中から人災に変わったんです。それに比べれば、今回は官邸に入ってくるのは割に早かった。地震直後の二時五十六分ぐらいには来たみたいです。阪神淡路の経験がありましたから、実働部隊もみんな早く反応しました。自衛隊の偵察機が飛び立ったのが十分後だと言いますから、非常に反応はよかった。
ただ、問題はそれからです。
官邸で何があったかというと、菅さんが
「まず防災服に着替えよう」
というところから始まったそうです。それで閣僚がみんな着替えて閣議を防災服でやるという物々しいことになった。ところが、現場に行くわけじゃないですよ。官邸の中で防災服を着て緊急事態に対応しているという気分″になっていったんです。
渡部
パフォーマンスですよ。
佐々
まさにそうですね。私が防衛庁にいた時、「九月一日の防災の日に着ろ」と防災服が配布されたんです。その日の朝、仮想大地震があることになっていて、防衛庁の参事官会議には全員防災服で出ろと言うわけです。
私はそういうのが嫌いなので苦々しい顔をしていたのですが、そのうち全省庁でトラブルが起きました。全省庁の官房長が電話のやりとりをしている。何をやっているかと思ったら、防災服の上着はズボンの外に出しておくのか、ベルトの内側にたくし込むかという相談をやっている(笑)。
おそらく今度もそのたぐいのことをやったと思いますよ。
各大臣の秘書官だとか総務課長が互いに官邸に電話して
「防災服はベルトの下に入れましょうか、外に出しますか」
って絶対やったと思う。
まず防災服に着替えようなんていうのは、そういうレベルの話なんですよ。
これから劇場型のパフォーマンスをやるための舞台衣装なんですね、彼らにとっては。
つづく
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