象山地下壕に、政府機関、日本放送協会、中央電話局の施設を建設。
皆神山地下壕に備蓄庫。
舞鶴山地下壕に皇居、大本営を移転することになりました。
3つの地下壕の長さは10kmにも及ぶ。
1944年11月11日に工事が開始。
1945年8月15日のときは、75%が完成していました。
それにしても、無駄なものを作ったものです。
万里の長城クラスの無駄な事業ですね。
なぜ、こんなもの(松代大本営)を作ったのか?
そもそも昭和天皇は、はなっから疎開する気は無かったのに。
こういうものを作る労力があったら、マリアナ諸島に地下要塞を作るべきであった。そこで米軍の死傷率が5倍くらいに上がっていたら、そこで終戦も不可能でなかった。多くの軍艦と陸軍を残しての敗戦なら、講和条件も過酷ではなかったはず。もっとも、それでは軍部が黙ってなかったかもしれませんが。
戦艦大和の沖縄特攻にしても、どうしてあんな無駄なことをしたのか? 他の戦艦・空母・その他の軍艦も、どうして北海道や朝鮮に疎開させなかったのか? そこに疎開させていれば、ソ連の参戦の抑止力になったし、退避運動で貴重な重油を失わなかったし、米軍に撃沈されることもなく、米艦隊の日本本土への艦砲射撃をうけることもなかった。
まあ、そんなことはいい。
硫黄島の栗林中将は、掘削機を50台要求したけれど、
大本営は、送り届けなかった。
松代大本営を作るくらいなら、どうして硫黄島に掘削機を50台やくらなかったのか?
ポツダム宣言の要求が、やわらかい内容になった理由は、栗林中将の硫黄島の善戦にあったといわれています。松代大本営を作る資材を硫黄島に送っていたら、沖縄決戦は無かったかもしれない。現にミニッツもマッカーサーも、真珠湾攻撃が無かったら、太平洋戦争は硫黄島の戦いで終わっていたと言っています。
敗戦直後のことです。
満州国の高級官僚は、こう言って嘆いたと言います。
「日本軍は、最後まで戦争というものを知らなかった。そもそも戦争というものは、談判の手助けにすぎない。ところが日本軍は、決闘だと思いこんでいた。だから決闘なら世界一強かったけれど、戦争はからっきし下手くそだった。あの軍隊が無くなるとは、実に惜しいことだ」
満州国の高級官僚(中国人)は、日本軍が戦争に弱いと言っているわけですが、戦闘には強かったと言っている。そして日本軍が消滅することを嘆き悲しんでいる。そして、その満州国の高級官僚(中国人)たちは、こうも言っています。
「日清戦争の時、日本軍は農家に宿営しても、自分たちは庭にテントをはり農家に迷惑をかけなかった。出て行くときは、庭を箒ではいて出て行った。清国軍とは大違いであった。日露戦争の時も立派であった。戦争をわかってなかったために敗戦となったことは実に残念だ・・・」
この満州国の高級官僚(中国人)の嘆きが分かる場所があります。松代大本営跡(象山地下壕)です。そもそも、こんなものを作る意味がなかった。戦略論を書いたクラウゼッツは、
「戦争とは政治の延長である」
と言ってますが、これは満州国の高級官僚(中国人)の
「そもそも戦争というものは、談判の手助けにすぎない」
と同じです。
つづく。
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ラベル:松代大本営跡(象山地下壕)
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松代は鯉の養殖が盛んだったのです。街中に水路が巡らされているのも実は鯉の養殖の為だったのです。信州は養蚕が盛んなので、絹をとった後の蚕のさなぎがたくさん出ます。それを餌にして鯉を増やし、それで得た収入を教育に廻したのです。物資の乏しい山国で、生き延びるには教育、知恵という真田の伝統が生きているのです。真田は情報を重視しました。
しかし、その半面松城人は一言居士で理屈っぽい人が多いので、葬式や結婚式などの集まりでは延々と議論の場になって、他国の人のはほうほうの態で逃げ出すそうです。
>象山先生の孫弟子に当たるのです。
知らなかった。
不覚じゃ!
ちょっと調べてみます。
そうか、栗林中将は松代出身か!
真田軍団の末裔か。
どうりで、よい戦いをしてると思った。
ある意味、納得しました。
真田軍団の得意技、機動防御を洞窟で展開しているんですから。
あえて言うなら「洞窟機動防御」ですなあ。
鯉とサナギの関係も納得。
さすが松代の人は、ひと味違う。