今回は、ちょっとオタク向けの話をします。
実は、ザックの原点は、ランドセルでした。
当時は、背嚢と言ってました。
江戸幕府が、洋式軍隊を作ったときに装備として背嚢(ランドセル)も導入しています。
もちろんオランダ語です。
オランダ語のランセル(ransel)がなまってランドセルになっています。
幕末の教練書である『歩操新式』の元治元年(1864年)版ラントセルのルビがあります。
では、どういう構造になっていたかと言いますと、今で言うフレームザックに似てました。
ただし、木製の箱形フレームに布張りをして、
そのまわりをランドセルのように革で覆い被さっていました。
革を使っていた理由は、防水と関係あると思われます。
米は濡れたらおいしまいでしたから。
しかし、それでは高価になってしまうので、一般の兵士たちは、ランドセルを総キャンバス布にして、フレームの無いものにしてしまいました。そして、その布製ランドセルに、タコ足のように何十本もの紐をつけ、いろんなものを縛り付けるようにしたんです。昭和4年に登場するキスリングは、あきらかに、その影響があると思われます。
インターネットなどで調べると、キスリングは、「昭和4年(1929年)、2代目・片桐盛之助のもとに、槙有恒氏と松方三郎氏が、スイスのヨハネス ヒューク キスリング氏の考案・製作したザックを持ち帰り、それをもとに、盛之助は、日本で初めて、キスリング型リュックサックを製造した」なんて、書いてありますが、私は「本当かよ?」と疑っています。
http://katagiri1914.com/index.php?%E7%89%87%E6%A1%90%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
全部うそとは言いませんが、日本陸軍の背嚢の影響を無視しているところが、ちょっと怪しい。ただ、キスリングと背嚢では、決定的に違うところがあります。キスリングは、全ての荷物をザックの中に入れてしまうのが基本なのですが、陸軍の背嚢は、ある程度、ザックの外にくくり付けておくのが基本であるということです。
兵士たちは、常に弾薬を消費します。そのつど、パッキングを変えていたら仕事にならない。だから消費しやすいものは、ザックの外にくくり付けた方が良い。あと、よく使う道具(組み立てスコップ)なども、ザックにくくり付けた方がよい。いちいち、ザックの中から取りだして、パッキングを直してたら時間がいくらあっても足りないからです。
しかし、登山家たちは、そうではない。パッキングを変えるのは、日没と早朝だけですから、全部ザックに入れておいて完璧なパッキングを行っていた方が便利だった。で、どうしたかというと、100リットルから150リットルの大型ザックを作って、鍋やら米やらテントやら寝袋やらを全部ザックの中に詰め込むようにした。そして、その綿製大型ザックに防水コーティングをして、新品の野球グローブのようなガチガチの布地にして水をはじいたんです。これがキスリングの始まりだと私はにらんでいます。ですから背嚢にくらべてキスリングは大きいです。
じゃあ、このキスリングとやらは、現代のザックと、どこが違っているかと言うと、横幅があるんです。現在のザックが縦に細長いのに対して、キスリングは横幅がある。どうしてかというと、フレームがないから、縦長にできないんです。饅頭のような形・巾着のような形にしかできない。で、両サイドに大きなポケットを作った。そのほうが、安定するからです。
しかし、これは非常に担ぎにくかった。
全部の重量が、肩に食い込むからです。
だから昔の山岳会では、腕を組んで猫背になって山を登るように指導していた。
ちなみに、このキスリングは、私が中学生だった1970年代の半ばまで、日本の登山家たちは、みんな担いでいました。1975年頃から日本にも現在のようなフレームザックがでてきます。では、どのようにして、現在のザックが登場したのでしょうか? 実は、ザックに革命をもたらした犯人がいます。ドイツ軍です。
ユースホステル運動・ワンダーフォーゲル運動の盛んなドイツでは、ザックの性能が著しく進化しました。その結果、ドイツ軍は、ランドセルを肩ではなく腰で担ぐようにしたんです。具体的に言うと、ザックとは別に大きなベルトをしたんです。念のために言っておきますが、ズボンのベルトではないですよ。ザックのベルトでもないです。しいて言えば、ウエストバックみたいなものです。ここに拳銃とか手榴弾をぶらさげたんです。当然のことながら、そのベルトは重くなります。しかし、その重くなったベルトをサスペンダーで吊り上げて、そのサスペンダーにザックを乗せたんです。この方法によって、ザックを肩と腰で担ぐようにした。よーするに、リュックサックにストラップをつけて、それを前から腰ベルトに装着し、天秤棒のようにバランスをとりつつ、腰でもザックの重さを負担するようにしたんですね。
http://gerhard03.blog61.fc2.com/blog-entry-17.html
さらに「Y型サスペンダー」を開発し、Dリングというものまで作ってしまった。これだと体が左右に傾いても、片方の肩だけに過重がかかることはなくなった。どんなに傾いても、両肩に等しく荷重がかかるようにしたんです。よくナチスドイツ軍の映画なんかみると、やたらとベルトがでてきますよね。あれです。あれは非常に便利だったんです。だから第二次大戦後の米軍なんかもナチススタイルを取り入れたりした。ここからウエストベルトが発展し出すのですね。
1952年。一つの革命が起きます。
アメリカのアウトドアメーカーであるケルティ(Kelty)の登場です。
ケルティは、背負子タイプのフレームにザックをくくりつけたものを開発しました。これが全世界に大流行します。流行させたのは、ユースホステルのホステラーたちです。全世界のユースホステルのホステラーたちが、ケルティのフレームザックでバックパック旅行をしだしたのです。このフレームザックには、ウエストベルトもついていたし、ショルダーストラップもついていました。あきらかにドイツ軍の軍装の影響をうけています。
当時、海外のユースホステルで、ケルティを見かけない日は無かった。
バックパックといえば、ケルティ。
ケルティといえば、バックパックだった。
一時期のケルティは、世界のホステラーの標準装備だった。
ケルティを知らずしてバックパックを語るなというくらいの勢いだった。
けれど、これは日本では、全くもって流行らなかった。日本では
「ケルティって何? それ美味しいの?」
てな具合だった。
実は、私もケルティの赤いフレームザック持ってまして、
http://blogs.yahoo.co.jp/tksh4714/11270282.html (←こいつです/売ってたら欲しい)
これで世界中を放浪しています。
北海道で土井君や、今の嫁さんと出会ったときも、
こいつをもって旅していました。
買ったのが、1980年で、廃棄したのが2000年ですから20年間使い続けてびくともしなかった。登山用ザックは、どんどん駄目になったんですが、ケルティのフレームザックは頑丈で劣化しにくかったです。しかし、こいつは、どういう訳か日本ではメジャーにならなかった。海外では、どのユースホステルでも見かけたんですが、日本のユースホステルでケルティのフレームザックを持ってるのは、私一人でした。どういうわけか日本では、キスリングが主流だったんです。キスリングからケルティのアウターフレームザックにうつらず、インナーフレームザックに移ったんです。
ケルティのフレームザックは、背負子にナイロンザックを装着したタイプです。
それに対して、ザックの中にフレームの入ったものが登場した。
これがインナーフレームザックです。
よーするにキスリングを細長くして、その中に骨組みとなるアルミフレームを入れたのが、インナーフレームザックです。これだと、大きなザックでパッキングしてもフニャフニャしない。おまけに、サイズを調節する場所が、ベルトと肩の2ヶ所しかない。これがケルティのフレームザックだと、何カ所も調節しなければない。おまけに背負子のようなフレームが、木の枝に引っかかってしまう。
しかし、ケルティのフレームザックは、平地歩きにはすごいパワーを発揮します。平地なら、こっちのほうが担ぎやすい。フレームだけにして背負子としても使えますし、いろんなものをフレームに縛り付けることもできる。椅子にもなるし、徒歩旅行には便利だったんです。しかし、山には不便だった。フレームが邪魔するからです。
「じゃ、海外では邪魔しないのか?」
と思うでしょ?
邪魔どころか、海外の山には木がなかったりするんですよ。
嘘だと思うなら、スイスの山に出かけてみてください。
トルコの山にでかけてみてください。
どこに木があるのか?てなぐあいです。
仮に木があったとしても、枝がフレームにひっかかるというほどの藪ではないし。
つづく。
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