なのに水戸黄門は、見ていたらしい。
「そうそう、テレビの水戸黄門シリーズは終わるんだってね」
「本当? そりゃ残念」
「あれ、面白かったからね」
「忠臣蔵の浅野内匠頭と違って、水戸黄門は正真正銘の正義の味方だしね」
これだから素人は困る。
と、言って切り捨てても仕方ないので、
歴史オタクのはしくれとして、真実を伝える気になってしまった。
「あのね、水戸黄門って、悪者なのよ」
「ええええええ? またなの?」
「いやいや、本当」
「ドラマじゃ正義の味方だよ」
「ところが実際は、江戸のホームレスを相手に、刀の試し切りをして遊んだバカ殿。いや、狂気の暗君」
「うそでしょ? 証拠あるわけ?」
「あるある、おおあり! しっかり証拠が残っているし、歴史の本にも分かりやすく書いてある。たとえば、この本を読んでみな」
「うーん、じゃ悪代官をやっつけたという話は?」
「嘘も大嘘」
「そんな。でも、火のないところに煙はたたないともいうし」
「そこが問題なんだよ。そもそも水戸黄門の時代の将軍は、誰だか知ってる?」
「さあ?」
「五代将軍綱吉。生類哀れみの令を発した犬公方」
「やっぱり、悪い将軍なんだ」
「とんでもない。五代将軍綱吉こそは、徳川家十五代将軍の中で最高の名君なんだ。ホームレスに食事をあげたり、罪人たちの人権に気をつけたり、動物虐待をやめさせたりした。能力主義で人材を活用するシステムを作ったのも綱吉。そして四百万石の直轄領を細分化して、能力ある代官を派遣したのも綱吉。つまり代官制度を作ったのは綱吉で、これ以降に直轄領の生産性は大きくはねあがることになる」
「ほう」
「ここで思い出して欲しいのが水戸黄門のドラマ。悪代官をやっつける筋書きでしょ? つまりね、あれは綱吉の子分をやっつけるということなのよ」
「ええええええええええええええええええ?」
「綱吉のせいで、ホームレスを相手に、刀の試し切りをして遊ぶことができなくなったサムライたちは、犬を相手に刀の試し切りをして遊んだりしたけれど、やがて、それもできなくなってしまった。で、腹をたてた連中がいたということ。そういう連中が、水戸黄門あたりを親分にあおいだ」
「・・・・」
「で、水戸黄門は、自国の領内で犬狩りをして虐殺し、綱吉に毛皮を届けたりした」
「将軍は怒ったでしょう?」
「いやいや、そこは、将軍の方が大人ですからね」
「結局、水戸黄門は悪者だったと?」
「うん。だけど、江戸庶民たちは、ワルの水戸黄門の方に憧れて、それが講談『水戸黄門漫遊記』になって後世に伝わったわけだ。あれは、水戸黄門を称えると言うより、綱吉を陰でバッシングする物語なんだよ。講談に出てくる悪代官は、綱吉をかさねてるんだな。だって代官制度を造ったのが綱吉なんだから。かわいそうに綱吉は、正真正銘の名君だったのに、なぜか庶民から嫌われていた。で、ワルだった水戸黄門の方が庶民から人気があったのよ」
つづく。
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ラベル:逆説の日本史
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それには、徳川光圀は、若い頃は、本来は、兄が継ぐはずの家督を弟である自分が継ぐことになり、兄は、水戸家の支藩として、四国高松藩を立てることになったことを気にして、グレた、と。そんで、『史記』の「伯夷・叔斉」という兄弟が、国の家督を譲り合って、そして、餓死したというエピソードを知って、勉学に励み、名君となった…なんて書いてありました。
そもそも、光圀の父・水戸藩初代の頼房自身も、若い頃、三代将軍にして、頼房の甥・家光とつるんで、江戸市中に出て、悪さをしていたという説も聞いたことがあります(記憶曖昧なので、出典は不明ですが)。
それを思うと、ちょっと血筋なのかなぁ…と。
子孫で、幕末の水戸藩主だった、斉昭も相当に女癖が悪い殿様だったという話だし、あんまり品行方正な家柄じゃないのかもですね…というまとめ方は、乱暴ですかね(^^ゞ
大日本史の編纂や尊皇攘夷論は動かない事実でしょうけど…
司馬遼太郎が水戸を嫌っている理由も、そのへんにあるのかな?
>江戸市中に出て、悪さをしていたという説も聞いたことがあります
弁護してあげるとしたら、当時の武士たちは、
大なり小なりみんな悪さしてましたね。
それを止めさせて、まっとうな倫理を確立したのが綱吉です。
だから綱吉こそは、最高の名君。
ケンペルも、はっきりそう書いてあるし、
綱吉以前と、綱吉以降では、まるっきり世の中が変わってるのは確か。
なのに後世の人からバカにされてるのは、彼が小人(身長120センチ/墓を掘って調べたとか)だったからだという説がありますね。ちびだから、犬も殺せないんだろうと蔑まれ、水戸黄門は犬狩りした犬の毛皮を送ったと。
坂東旅人 水戸義烈さん
ご存じの通り水戸藩には参勤交代はありません。ずっと江戸住まいなので、江戸っ子そのものです。だから、ガラが悪かったのかも知れませんね。他の江戸っ子と同じというわけです。
番組が終わるということで、水戸は大打撃です何十年もあった広告がなくなるんですから、ことは深刻です(-.-;)
署名を集めて、水戸市長はTBSに嘆願しましたが、当然、効果はなし(-_-)
来年の「黄門まつり」はどうなるんだろう
大打撃ですよね。
こうなったら水戸市で水戸黄門の映画を作って配給してはどうでしょう。
1億円もあればできるでしょうし、テレビだって深夜放送で配給してしまえばいいと思う。
ちなみに歴史オタクの私は、何度も水戸に行っています。私にとっては水戸は、黄門様というより、幕末の水戸藩であり、大日本史ですね。あと偕楽園かな。
安政の大獄や藩内の強烈な派閥争いなどで、有望な人材を失い、維新には人物は出ませんでした。
しかし、桜田門外の変・最後の将軍:徳川慶喜・新撰組の芹沢鴨や伊東甲子太郎など、歴史の表舞台には出てきます。
偕楽園は、水戸城の出城だったという説があります。
それだけに水戸藩の業績は素晴らしかったと。
ただ、烈侯が、もっと長生きしていたら歴史は、どうなったのか分からない。
別の形のの大政奉還になり、日本史は大いにかわっていたかも。
実は、軽井沢あたりを通過して佐久あたりで戦っているんですね。
いつかツアーをやろうとねらっているところです。
あのへんを通って佐久の岩村田藩と戦っているんです。
その時に小諸藩も信濃追分で合流するんですが、
小諸藩は腰抜けもいいところで、さっさと退却してしまう。
で、天狗党より兵力の少ない岩村田藩も退却。
小諸藩は、あとで和田峠に遠ざかる天狗党に向かって鉄砲を撃つんですが、実は、その時には天狗党は一人もいなかったらしい。ようするに戦った体裁だけをつくろったと言われています。とんだ腰抜け藩です。
長い泰平が続いたから、しょうがないですが…
天狗党は藩内の保守派に敗れ、京都の慶喜に藩の現状を訴え、助けを求めるべく、筑波山で挙兵し、目立つ東海道を避け、中山道を通り京都を目指しますが、福井で最期を迎えます
腰抜け諸藩ばかりだったとはいえ、福井まで行くとは…
水戸藩はあまりに進みすぎていた…
私的な話になりますが、私の祖父が満州鉄道の面接試験を受けたとき、面接官から「君は水戸の方の出身らしいが、天狗党はどう思うか?」と質問され、即座に「国家に反逆した大罪人」と答えたそうです。むろん、郷土の英雄ですから心にもない答えですがm(__)m
ただ、ゆすり・たかり・略奪・暴行を繰り返していた天狗党を私も全面的には支持しません。しかし、泰平の世であのような行動を取った志は凄いです
その差は、烈候と松蔭の差ですね。
烈候と松蔭。
両方とも生きていたら御荷物なんだけれど、
死んでしまったために後世に影響を残した。
で、烈候は悪い影響。
松蔭は、瓢箪から駒。
欧米列強の最新鋭機に対して、刀や火繩などで打ち払える訳がなく、技術を学びながら成長しなくてはならないに考えを変えましたね。
攘夷論は邪魔になりました。
薩長は実戦で敗れたことで、悟りましたしね。
攘夷論が全国的にブームになりましたからね〜
藩内の派閥争いによる戦争や安政の大獄により、多くの優秀な人材を失いました〜
しかし、天狗党や桜田門外の変そして新撰組と水戸は幕末に深くかかわってきます。
そういったこともあり、旅先で年配者から頭が良いと見られることもありました。
司馬遼太郎は水戸学を嫌ってたようで、「街道を行く」シリーズで5街道に次ぐ水戸街道は出てません。
司馬遼太郎のファンであるので、その事実を知ったときはショックでした
具体的に言うと、長野県を好いてなかった。
街道へいくの佐久の道を読むと分かります。
議論好きが嫌いなんですね。
だから長州も最初は嫌いだったはずなんですが、
途中で好きになってしまったようですね。