ここは、アニメ「サマーウォーズ」の舞台になったところです。
この城をみると、真田軍団の強さの秘訣を知ることが出来ます。
まず、どれが主要塞なのかわからない。
北の枡形城、南西の米山城、南の砥石城。
危機におちいったら戦線を移動できるようになっています。
敵に打撃を与えながら後退し、こちらは兵力を温存する方法です。
この戦法は、真田一族の得意技で、第二次世界大戦で栗林中将が、硫黄島でも行っています。
そのさい、アメリカ軍は、建国以来最大の被害をうけました。
硫黄島では、米軍の死傷者が、日本軍の死傷者を上まったことで有名ですが、それは兵士にかぎったものであって艦船の被害を含めると、実際の被害はもっと大きく開きます。また、日本軍の被害も、微々たるものであり、死傷者の大半は、軍医による薬殺であったことが、捕虜の軍医の証言によってあきらかにされています。つまり、米軍の砲弾で死んだ日本兵は、驚くほど少なかったわけですが、もし、日本軍に充分な食糧と砲弾の備蓄があれば、米軍はもっと苦戦したことはまちがいないと思われます。これも真田軍団の得意とした機動防御を硫黄島戦で応用した結果とも言えます。
ちなみに機動防御の天才が、ドイツ軍の天才マインシュタインですが、彼の戦法は、まさに真田軍団の戦法ににています。敵に攻めさせて、つかれた所を叩くのが機動防御。この機動防御によって、強兵徳川軍を二度も大敗させたわけですから、真田の城の構造は、非常に面白い構造になっています。
ふつう、城には武器・食糧が備蓄されていて、そこに籠城するのですが、真田軍は簡単に城を捨てます。捨てても北の枡形城、南西の米山城、南の砥石城と陣地を変えられるし、そもそも城にこだわっていません武器食糧にこだわらずに、身軽に移動します。あまり長期戦を想定してないと思われます。城も、ぬけ道がたくさんあって、いろんなところに出られるようになっています。
つづく。
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数年前に行きましたが、あまりの構造に驚き、信玄公唯一の敗戦というのが頭をよぎり、真田発祥の本城を思いだしました。
ハイキングする時間はありませんでしたが、次回は岩櫃城へ行きたいと思っています。
余談ですが、先日龍岡城に行きました。
ミニ五稜郭は、桜の頃が最高です。
小学校になっているのは残念ですが
ツアーで大勢で行きましたね。
函館以外にも、五稜郭があるなんて思ってもみなかったので、何故、信州に洋式城を作ったのか?
函館は北方のロシア対策で作りましたが〜
陸軍奉行が作ったようですが、早朝に行ったため、資料館が開いていなかったので、知っていたら教えてください?
えばさん!
岩櫃はそんな山なんですね!
以前、近くを車で通りかかったときも、険しそうに見えました。しかし魅力的に映りました。
最近、「真田太平記」のDVDを見たので、また、行く気が湧いてます。
けれど飛び地の佐久は、領土が広かったのと、人口が多かった。フランスのような農民兵をつくるためには、多くの人口が必要だった。だから飛び地にフランス式の城を造った。いずれは、農民を城に入れて訓練するつもりだったのではないでしょうか? これは私の推測です。