まずは、富岡製糸場を見学。
富岡製紙工場は、一万五千坪の敷地内に開設当時の東・西繭倉庫、繰糸場、事務所、外人宿舎など煉瓦建造物がある近代化遺産です。ボランティアガイドが詳しく説明してくれます。平成二十四年七月、文化庁文化審議会世界文化遺産特別委員会において、「富岡製糸場と絹産業遺産群」を世界遺産へ推薦することを了承しています。
富岡製紙工場は、世界でも有数の規模で、和田英ら数百人の女工が日本全国から集められました。女工の労働環境は充実しており、六工社など後に日本全国に建設された製糸工場に繰糸の方法を伝授する役割も果たしました。
当初は民部省が設置し、大蔵省、内務省、農商務省と所管が移りました。明治八年に日本人による操業が始まりましたが、大規模すぎたため十分に機能を発揮できず、官営工業の払下げ令により、明治二十六年に三井家へ払い下げられました。この間、日本で初めての洋式機械製糸場を前橋に作った速水堅曹が内務省に移り、二度、所長に就任、民営化されるまで操業を支えました。明治三十五年には横浜の生糸商原合名会社(原富太郎)に渡り、昭和十四年、片倉製糸紡績会社(片倉工業)の所有となると昭和六十二年三月五日まで約百十五年間操業を続けました。
つづく。
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