市村記念館は、近衛文麿公、市村今朝蔵が別荘として利用したものですが、平成9年、長倉の雨宮御殿の中に移築され、市村家より町に寄付されました。
ここで重要なキーワードがでてきます。
近衛文麿
市村今朝蔵
雨宮御殿
です。何のことか分からないという方に、この3つを説明します。まず、近衛文麿とは、有名な総理大臣の名前です。つまり、市村記念館は、近衛文麿総理大臣の別荘なんですね。それがどうして『市村記念館』なのかと言いますと、市村今朝蔵という人が、近衛文麿総理大臣から買って、ながいこと使っていた建物を町に寄付したから『市村記念館』なんです。市村さんの寄付だから、市村記念館なんですよ。
じゃあ、雨宮御殿とは何かと言いますと、その市村記念館が建っているあたりの持ち主が、雨宮敬二郎という人の御殿だったからです。つまり、市村記念館のある、この広大な土地は元々雨宮敬次郎のもので、軽井沢でプランテーションを行なう中で開発し、最終的に町に寄贈されたものだったのですね。そこに市村さんが寄贈した市村記念館を移築してできたのが、『市村記念館』なのです。
雨宮御殿の門
雨宮御殿
つまり、この市村記念館の見学のポイントとして、
近衛文麿 総理大臣の別荘として歴史をしのぶ
市村今朝蔵 市村記念館の主として歴史をしのぶ
雨宮御殿 広大な土地を開発した財閥の夢の後をしのぶ
という3点に気をつけなければなりません。
市村記念館。記念館の建物は、大正時代に洋風住宅建築会社「あめりか屋」によって建てられたもので、大正15年に近衛文麿が軽井沢第1号別荘として野沢源次郎から購入し、昭和7年に政治学者として近衛と親交があった市村今朝蔵が購入したのち、昭和8年に南原に移築されました。
平成9年に現在の場所、雨宮池の東端に移築復元され、旧姓市村信江、令子姉妹が中心となり、母・きよじの逝去後、この地に移築して寄贈、歴史資料をちりばめた市村記念館としてオープンされたものです。南原の別荘地としての開発に尽力した市村今朝蔵とその夫人で名誉町民となった市村きよじの資料をはじめ、雨宮敬次郎、近衛文麿の資料が展示されています。
ところで、移築に際し、建材の新調は無かったのだそうでと、補修すべき個所を除いて、そのままなのだそうです。つまり築80年の貴重な建物だそうです。ですから、1階の居間に、近衛首相の残したゴルフ靴の跡がわずかながらも残っています。
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