2013年02月28日

記憶の話2 世の中何が幸いするかわからない

子どもの頃の私には、数分前の記憶の一部を失うことがよくあった。
5分前のことを全く覚えてないことが、時々あったのである。
この症状がでるとタイムスリップした感じというか、
時間と空間をワープしたような感じになる。
つまり5分間、自分が何をやったのかの記憶が無いのだ。
これには苦しめられた。

 ところが、他の記憶は人よりよいのである。
 大昔の記憶は、むしろ他の人よりもよく覚えていることが多かった。

 まあそれはどうでも良いとして、5分前のことを覚えてないと言う事は、どういう事態を引き起こすかというと、これはちょっと具体的な例を話してみないとわかりにくいのかもしれない。

 子供の頃に親から自転車を買ってもらった。私は自転車に乗って遠くに遊びにいくのだが、その時に5分間の記憶を失ったとする。すると、なぜ自分がそこにいるのかがわからなくなるのだ。つまり、自宅にいたはずの私が、なぜか神社の境内で座っているのである。まるで瞬間移動しような錯覚に陥るが、そんな事は無い。私はそこまで自転車で向かっていることは確かなのだから。要するに自転車に乗って神社に行ったことが記憶にないだけなのである。

 びっくりした私は、自宅にとぼとぼと歩いて帰った。当然のことながら、自分の自転車は神社のところに置いてある。そして、父親と母親が、仕事から帰ってくると、私の自転車がないことに気がついて、自転車はどこに置いてあるのだと私に聞いてくる。ところが私にはその自転車のありかはわからない。何しろ記憶にないのだから。

 ここで、ちょっとした不幸な巡り合わせがあった。
 私の父親は自衛官であった。

 自衛官は、ものの紛失を非常に嫌う人たちである。例えば仕事の時、部品1個でも紛失してしまったら、何時間かかっても探し出す。そういうお仕事なのである。何しろ危険なお仕事なので、一つでも部品が紛失したら人命に関わってしまう。だから、モノは絶対紛失してはいけない。そのように教育されて何十年も生きてきているのが自衛官なのである。

 このような仕事をしている父親は、自転車が見つかるまで絶対に許さない。まあ自転車なら当然のことといえば当然のことなのだが、ドライバー1本から、鉛筆1本、定規や消しゴムに至るまで、ものを失うとひどく怒った。筆箱を何時間も探しても見つからなくて、暗真っ暗な小学校の机の中まで探しにいかされたこともある。
 例えば工具などは、ベニヤ板に黒いシルエットを書いて、全て整然と並べておく。一つでも無くなったら、一発でわかるようになっている。そし、もし何かなくなっていたら、たちまち私のせいにさせられ、何時間かかっても私に探させた。何故ならば、一番ものを無くすのが私たったから。もちろん弟が無くす場合もあったろうが、それでも私だけか疑われて、見つかるまで探させられたが、そもも記憶が無いのだから、なかなか見つからない。こんな状態だから私は一日の大半をものを探すことに明け暮れることもあった。

 話は元に戻るが、自転車は見つかった。そして取り上げられた。自転車は弟のものになったのである。子供に所有権というのはなかった。ものを大切にしなければ、親は平気で取り上げる。そういう時代であった。今とはちょっと違う世の中なのかもしれない。今よりも、物が大切に扱われていた時代であった。それだけに5分前の記憶がなくなるということは、子どもにとって生きていく上で非常に辛い時代でもあった。私は、弟が自転車て遊ぶのをうらめしそうに横目に見ながら、一人、歩いて山に登っていた。

 しかし、悪いことばかりではない。子供の頃の私は、単に自分の記憶力がないと思い込んでいたので、昔の事を思い出す訓練をしていた。そして、記憶力を鍛えて大昔のことを思い出す力に目ざめていった。おまけに記憶力もよくなっていった。 5分前の事は思い出せないのだが、 1年前のことはよく思い出せるようになっていた。 10年前のことならばさらに良く思い出せるようになっていた。

 また昔の事を調べるようになっていた。親に怒られないように、いろいろ昔の事を調べるような癖がついたのである。これが、私を、歴史というものに向かわせることになった。私の歴史好きは、こういうところに原点があった。

 その上、文章を書く癖がついた。文章書くことによって、忘れ物をしないようにするためである。それが、私を文章好きにさせて、それが結果として、北軽井沢ブルーベリーユースホステルのホームページやブログとなっていったのである。何事も悪いことばかりでは無い。いや、プラスマイナスで考えたら、プラスの方が圧倒的に多かったような気がする。というか、圧倒的にプラスだったと思う。世の中何が幸いするかわからないものだ。

 ちなみに北軽井沢ブルーベリーYGHには、なんでも複数ある。歯ブラシも複数あるし、工具箱も8個もある。本当なら1個で足りるはずであるが、いくつもある。全く無駄な数であるので、ラズベリーYHの曽原氏に何度か怒られているのだが、これは私の欠点を補うためにおいてある。もちろん、ほとんどは同じ倉庫にしまってあるのだが、私が持ち出して、記憶をなくして見つからなくなってしまうから、同じものが複数おいてあるのだ。もう、独立しているので父親に怒られなくてすむので、こういう工夫ができるので、ちょっと嬉しい。

つづく。

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posted by マネージャー at 11:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 教育問題を考えてみる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
以前から宿主さんの人生経験談には感服致しております。

いわゆるハンデを克服する以上の強み高みにまで持っていく取り組み努力は素晴らしいです。
そして物事の捉え方のなんとポジティブなことか!

とても心豊かに過ごされている様子に、読み手も満たされ元気づけられる思いです。
いつもありがとうございます!

習い楽しんでいます♪



Posted by 625 at 2013年03月03日 00:03
いやー、ポジティブと言うより、本気でそう思っているだけです。実際プラスのことの方が多かったし、いろいろ得をしました。ただ、得をするのは、人生の終わりの方になってからなんですよね。若い頃だったら、損得で言うと孫の方が多い。ところが、歳をとっていくごとに、すごい得をしてくる。

これはとても重要な事かもしれません。若い頃に得したと思っていても、歳をとると、得したと思った事は、実はものすごい損をしている事があるかもしれないですよね。その逆も真なりです。まぁ要するに、人生においてプラスとマイナスは、つじつまが合っているのではないかと思います。
Posted by マネージャ at 2013年03月04日 08:37
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