家内が妊娠してしばらくすると、友人たちからいろいろなプレゼントが届いた。使わなくなったほ乳瓶や、古い子供服などである。そして不思議なことに、必ず一緒に届けられたのが、育児本である。
というわけで、我が家には育児本が何冊もおいてある。
私は全く興味がなかったので、最初は何も読まなかったのだが、家内は違っていた。うちのかみさんは、貪るように育児本を読んで、その後図書館から何冊も借りてくるようになった。そして毎週のように図書館に行って、また新しい育児本を借り直すのである。そして図書館の育児本を全て読み終えると、また別の図書館から借りてくる始末である。あんまり熱心に育児本を読んでいるために、私も少し覗いてみた。
実は私は育児本を昔大量に読んだことがある。というか、私の実家に大量においてあったのである。私の母親は小学校の教師であった。そのために育児本や大量の教育関係の雑誌のバックナンバーが何十年分もおいてあった。専門的な教育関係の著書も大量においてあった。そしてその大半が、本棚で埃をかぶっていた。
もちろん子供の頃の私はそんなものには興味がない。
しかし、私が小学校5年生の時に、弟が生まれた。
私には3歳年下のもう1人の弟がいたが、 10歳も年下の弟となると、まるで違ってくる。 3歳年下だと、競争相手でありライバルである。喧嘩もよくする。しかし10歳年下にもなると、ライバルというより自分の子供のような気分になってくる。実際可愛い。十歳年下の弟が3歳になると、私は13歳である。つまり中学生である。中学生ともなると、 3歳位の子供が可愛くて可愛くてしょうがない。いろいろ面倒をみたりする。かわいがったりもする。そして、実家においてある大量の育児本や教育関係の本に興味を持ち出した。埃をかぶった大量の教育関係の雑誌のバックナンバーを片っ端から読み始めた。
ここで話を元に戻す。
うちの嫁さんが、一生懸命読んでいる育児本を私もチラリと読んでみた。
そして驚いた。
どの育児本にも致命的な欠陥があるのである。
その致命的な欠陥とは何か?
一言で言うと、時代背景を無視しているのである。
これはどの本にもみられる欠陥である。
私が中学生の時、大昔の教育関係の雑誌を大量に読んだことは前にも述べた。私の中学生の時のことであるから、昭和50年である。昭和50年といえば、今から40年も前の話である。そんな大昔に、もっと大昔に発行された教育関係の本を読んだのだから、ものすごい大昔の教育に関する考え方を書いた文章を読んだことになる。昭和30年代や昭和40年代の当時の考え方や、もっと大昔の考え方を読んだのだ。
で、当時の私が不思議に思ったことがある。育児に関する考え方は、時代によって変化するということである。それも10年くらいで劇的に変化するのだ。変化する理由は、その時々の時代背景による。
例えば戦前において、育児に対する考えは今のものとは全く違っている。戦前では、子供に余計な教育をしてはいけないと言う考え方があった。どうしてかというと、当時は子供が多かったのだ。 5人くらいは当たり前で、ひどいのになると10人ぐらいの子供のいる家もあった。そして、そのような時代背景では、子供に対する不平等が子供の心に深刻な影響を与えることが問題になっていた。
具体的に言うと長男になるほど可愛がられ、末っ子になるほど子供が放置される家庭が多かったのだ。子供が多いと、親は平等なつもりでも、どうしても不平等な躾をしてしまうのである。それを題材に多くの児童文学が生まれたが、次郎物語やニンジンなどがその代表作である。このような作品は世界中で映画化されたり小説にされたりした。
なので当時の教育雑誌等には、子供の教育は親の背中でしろという考え方があった。親の働く背中を見せることによって、子供たちは自然と大人になっていく。それで良いとされていた。当時は、サラリーマンなどは非常に少なく、ほとんどが農家や自営業だったので、そのような教育スタイルで、親孝行で立派な子供たちがたくさん育ったのである。
この方法は、現代には通じにくいが、嬬恋村のような、農家やペンションオーナーが多いようなところでは、非常に参考になるであろう。実際、嬬恋村の知り合いの教師の話でも、農家の子供さんや、ペンションの子供さんたちは、平均して良い子たちが多いと証言している。これは、子供たちが親の背中を見て育っているからだと思われる。まさに戦前型の育児の結果である。
さて、育児本の話である。
話が長くなったので、続きは次回にするとしよう。
つづく。
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じ、次回から、本論ですか…!
続きが気になるので、よろしくお願いします。
育児本によって、本当に正反対なことがあるし、そして、価値観の多様性からか、育児方針が親御さんによって、まったく違っていることが多いです。
また、地域間の考え方の差もあります。
地域間で差があるのは、ママ友コミュニティーの問題があります。
そのママ友同士の情報交換の中で、やはり、オピニオンリーダーが出てきますから、そういう人の意見に引っ張られる人もいる訳で…。
オピニオンリーダーたちと、子育て意見が合わないけど、子供同士は仲がいいから、と、我慢してます、みたいな悩みの人もいたりします(苦笑)
今は、「子供個性を大事にする」「叱らない育児」みたいなのが主流ではないでしょうか?
まぁ、私は、ある程度読んで、「私にはできないやり方だ…」と挫折して、とりあえず、公共心は大事にするくらいの最低限のことしか躾けてないです…恥ずかしながら。
どうしても、叱ってしまうし、個性は大事にしようと思うけれど、やっぱり、もう少し、人と交流もって生きていかんかい! とか思ってしまう。
親は、我が子にないものを期待してしまうものですね。
我が子がもともと持っている素質が、美しいかも知れないのに。
難しいですよね。育児って。
そもそも、その育児論が、正しかったかどうかなんて、子供が25歳〜30歳過ぎるくらいまで、分からないじゃないですか…。
結局のところ、精神的にも経済的にも自立して、さらに、可能ならば、他者とも折り合って生活して、家庭を築くことも可能であるかどうか、という能力もまた、伸ばせる土台を作ってやれるか、のような気がします。
親が子を育てる、ということは。
たぶん。
基本的には親から受けた教育や、きょうだいあるいは年下のいとことの実際の関わりの中で身につけたものが自分の行動としてあらわれましたね。
もちろん、常に軌道修正中ですが。
それから、いわゆる育児本は読みませんでした。看護学校でも「情報過多はかえって母親を混乱させる」と聞いていましたし…
また、仕事やボランティアなどで子どもたち(障害のある子もない子も…)との関わりからは様々な影響を受けました。
奥様も、実際にお母さんになったら、目の前の赤ちゃんから、それから宿を訪れる子どもたちから、本以上のものを獲得されることでしょう。
あんみつさん
うちの嫁さんが、やたらと育児本を読んでいるので、なぜだろうと思ってていたら、妹や弟がいなかったためだったようです。私は、 3歳年下と10歳年下の弟がいましたから、親がどうやって弟たちを育てたかよく見て知っています。だから、あまり不安は無いのですが、うちの嫁さんはいわゆる末っ子だったので、親が妹弟を育てている姿を見てないのですね。これはうちの嫁さんに限ったことではなく、全国のほとんどの妊婦さんに言える事では無いでしょうか?
そのために、育児本が大量に出版されてるような気がします。昔だったらこんなに売れてなかったような気がします。今はこれだけ売れているのは、知る機会が少ないからではないでしょうか?