例年よりはやいですね。
そういえば、桜前線があがってきているとか。
すごいですね、もう春ですか。
というか、今は春休みなんですね。
ここ何日かは、ファミリーの方が多く泊まられています。
で、何十年ぶりにユースホステルに泊まるといってたお父さんが、
最近のユースホステルの豪華さに驚いていました。
無理も無いです。私が学生の時は、鉄パイプの2段ベットで、よくゆれましたから。2段ベットの上の段に寝ている人が、寝返りをうつたびに、ぎしぎしうごいてました。しかし、今時、そんなユースホステルなんかないですよね。今は、たいていのユースホステルは、ペンションや民宿と大差ありません。場所によっては、かえって豪華なところもあるくらいです。
でも、これはユースホステルが良くなったと言うより、人々の生活レベルがあがった結果なんですよね。
よくワーキングプアなんて言葉がきかれますが、どれだけ貧乏なのか?と思って月給を聞いたら手取り18万円だという。確かに少ないことは少ないけれど、私が20歳の頃、つまり1980年頃は、月給12万円なんてざらだったけれど、ワーキングプアとは言わなかったなあ。
もちろん物価は今とかわりない。
吉野屋の牛丼が、1980年は400円だから、
むしろ今の方が物価はやすいくらい。
なのに月給12万円でも貧乏だとは思ってなかった。
どうしてだろう?
と考えてみたんですが、生活レベルが今と違っているんですよね。
1982年だと、東京池袋から徒歩10分くらいのところで、3畳一間を8500円で借りられました。
貧しかった人は、そんなところに住んでいました。
ピンク電話もあって、20人で共同で使えたので、電話も引かなくてよかった。
管理人さんがつないでくれるし、メッセージも残してくれる。
さらに管理人さんは新聞の押し売りも撃退してくれる頼もしい存在。
共同炊事場・共同トイレもあって、その経費が2000円くらい。
だからガス代や水道代もかからない。
トイレットペーパーも買わなくて良い。
かかるのは電気代だけれど、10アンペアなので基本料金は激安。
そもそも3畳しか無いので暖房費もかからないし、
家具だって置けないので、物を買うことさえない。
だから月給12万円でも、たんまり貯金をしたうえで、毎月旅行にもいけました。
というと、驚くかもしれませんが、当時、貧乏旅行者ための宿がありました。ユースホステルと駅です。昔は、駅のベンチで一晩過ごせたんですよ。今は無理ですけれど。でも、さすがに女性には駅寝は無理なので、ユースホステルが使われました。
当時は、1泊2食で2500円くらい。
今の半額ですね。
で、みんな昼飯を抜いて旅行して、ユースホステルで5杯飯を食べたのです。あの頃は、みんな貧乏人だったので、「△△△ユースホステルは、スパゲティ(当時はパスタとは言わなかった)が食べ放題らしい」なんて口コミが流れると、それだけを目当てに泊まりに行って、死ぬほど食べたりしたものです。
青春18切符だって、今より便利でした。鈍行・夜行の本数が多かった。周遊券というすごいチケットもあった。東京から北海道まで自由に乗り降りして、特急にまで乗れて20日間も使えて3万円しなかった。しかも冬は、さらに2割も安かった。
よーするに今ほど贅沢でなかったから、少ない給料で貯金をしつつ、旅行までできたんでしょうね。それを考えると今の人は可哀想です。そういう選択肢が、今は無いですから。3畳一間を8500円なんて、もうこの世に存在しませんから。めぞん一刻の世界なんて、架空の話になってしまっていますから。平成生まれの人には、あの世界観は、全くのフィクションでしかないでしょうが、1980年には、ああいう世界が存在していたことを言っても信じてもらえないだろうなあ。
つづく。
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なぜ、「めぞん一刻」なのか?と言うと、建築当時、パナホームのアパートカタログに「めぞん一刻」のキャラクターが使われており、アパートオーナーは、パナホームを通じてライセンス料を払えば、アパート名に「めぞん一刻」を付けてもよい契約になっていたからです。
せっかく「めぞん一刻」のイイ話を聞かせて頂いたのですが、豆知識としてお伝えしたく、コメントしました。
大人の事情がどうのではなく、作品が高く評価されている事例としてお聞き流し下さい。
確かに携帯やら、ネットやら、初期費用とランニングコストかかるものを使うの当たり前になってますもんね。
「めぞん一刻」、面白いですよね。
五代くんは、働き者ですよね。
一刻館のメンバーも懐かしい。
たかる四谷さん、酒豪の一ノ瀬のおばさん、明美さん…。
最終回近辺の頃、私は中3で、掲載誌持ってきた、クラスの男子から借りて、あと一歩な、五代くんと、響子さんに、ヤキモキしてました(笑)
私も、私の弟も、そんなにもらってないですよ。
当然同じ職場の同じ立場(アルバイトや臨時時職員)の人は同じ額なわけだし。
月、手取り18万ってことは、21万くらい稼いでるでしょ〜、ってことは毎日土日休みで一か月働いたとして、時給でいえば1300円以上。東京なら仕事によって可能だけど地方ではなかなかないのでは?
でも、底辺が高いのは実感してます。トイレの便座が暖かい!
白戸サトシさん
そうだったんですか、面白い話ですね。
初めて聞く話です。
みわぼーさん
管理人さんがいるアパートというものを、今の人は知らないかもしれませんが、昔は管理人さんがどうしても必要だったんですね。その理由は、当時は誰もが電話を引けなかったからです。加入権と債券で合計17万円も必要だったんですが、当時それだけのお金を持ってる人たちは相当恵まれていました。かといって通信手段のないアパートに住むわけにもいかないので、ピンク電話のあるアパートに住んだわけです。ピンク電話の取り次ぎは、管理人さんが行います。あと管理人さんは、廊下とか階段の掃除やトイレットペーパーの補給をしなければなりません。いろいろ仕事があります。そうそう、当時は炊事場が共同だったので、だらしない人がいると生ゴミなんかが散らかっている場合があったので、それの掃除も管理人さんのお役目です。とはいうものの、共同の炊事場を使う人なんかほとんどいなくて、それを使うのは大抵老人とか女性たちでした。私たち独身男性は、電気湯沸かし器を自分の部屋で使っていました。
まる さん
あー、言い忘れましたが、 18歳で18万円もらっていたら、決して安い給料ではありませんよね。 20年以上働いてても、手取り18万円で、しかも残業を何十時間もやっていたら、ワーキングプアに入りますよね。子供さんなんかいたら大変です。ところがですね、昔は8500円の3畳1間を3つぐらい借りて、そこで子供2人と夫婦2人が生活している親子なんかもいましたね。あの人たちは、共同の炊事場を使って食事を作っていましたが、私たちはその共同炊事場を使ったことがありません。けれど料金は負担していたわけです。でも文句は言いませんでした。親子で生活している人たちが大変そうなので、独身者は湯沸かし器を使ってその中でラーメンを作って食べていたわけです。まさにめぞん一刻の世界です。
今、シェアハウスが増えているので、管理人さんのお仕事があったりするんですけど、それってその当時の感覚と似ているのかなぁ?とちょっと思いました。
…思ったけれども、形態としては似ているようで家族で入るイメージはないので違うかもしれないですね。今は”あえて”シェアハウス、なんですよね、きっと。