実は、室内犬を飼ったことのある人なら、この催眠術を子犬に対して使っているんですよね。例えばブラッシングをするときに、子犬はとても嫌がるわけですが、ある種の催眠術をかけるとおとなしくブラッシングを受け入れます。
その催眠術とはブラシで遊ぶことです。ブラシを嫌なものと認識させないで、おもちゃのように認識させるわけですね。もちろんご褒美の餌も忘れません。最初はブラシでちょこっとだけ触ります。そして少しでもおとなしかったら大げさに誉めてあげます。
このとき、大げさというのが重要になります。もしくは、鼻歌を歌うのデモ構いません。そして、ご褒美をあげます。これを少しずつ少しずつ繰り返していき、ブラッシングがとても楽しいものだと認識させるわけです。そうすると、いつの間にかおとなしくブラシを向いれるようになります。
これは赤ちゃんでも使える技法です。まず赤ちゃんにとって楽しい事を見つけます。例えばうちの子に限って言えば、うちの赤ちゃんはお風呂が大好きです。その大好きなお風呂をもっと大好きにさせてあげます。例えばほっぺを洗う時に、これからほっぺを洗いますと説明しながら、なおかつほっぺたを使って遊びます。大好きなお風呂をより大好きにさせてあげるわけです。
そして、お風呂が死ぬほど大好きになってきたら、できるだけお風呂の中で歌を歌います。歌は何でも良いのですが、私の場合はドリフのいい湯だなを歌っています。催眠術は、ここで使われているのです。ドリフのいい湯だな=楽しいというイメージを頭の中に刷り込むのですね。
さて、お風呂も終わって、何時間も何時間もたつと、赤ちゃんはいつまでも機嫌が良いわけではありません。突然機嫌が悪くなることもあります。そういう時に、このドリフのいい湯だなを歌ってあげると突然泣き止むのですね。そしてうっとりとして、次第に眠っていくのです。
昔は、これを子守唄と言っていました。
子守唄は、そういう歌があるわけではなく、赤ちゃんにとって楽しい時に刷り込まれた歌のことを言うのですね。だから機嫌がいい時こそ、子守唄を刷り込むチャンスでもあります。ところがそれを知らないと、お風呂のときに私がドリフのいい湯だなを歌っていると、歌はいいからさっさとこっちへ連れてきてと家内に怒られてしまいます。
しかし、それでは、後で自分が困ることになるんですよね。
子育てというのは、ある種の洗脳です。
いろんな小道具を使って、
楽しいイメージをできるだけ植え付けてあげることが、
結果として子育てを楽にするのですね。
赤ちゃんは、おもちゃを買い与えても見向きもしません。
おもちゃで楽しいイメージを刷り込んで初めて遊ぼうと言う気が起きるわけですね。
長い前置きになりましたが、ここからが本題です。
スタッフの土井くんの嫁さんが、出産近くになってきました。
そのために土井君は、自治体が主催する父親学級に参加した訳ですが、
彼はそこで興味深い授業を受けたそうです。
その授業とは、赤ちゃんが父親に求める欲求と、赤ちゃんが母親に求める欲求が全く違うということでした。父親には面白さとか、楽しさを求めるらしいのですが、母親にはやすらぎとか、安心を求めるそうです。だからいくら父親が子育てが上手であっても、どんなに母親が子育てが下手であっても、赤ちゃんの方で母親に安らぎを求めるものらしい、という授業を受けてきたそうです。
土井君は、その授業を聴きながら、どこかで聞いたことがある講義だなぁと不思議に思ったらしいのですが、以前私がブログに書いた内容を思い出して、すごく納得したそうです。
http://kaze3.seesaa.net/article/368241369.html
(生後100日目にしての会話)
なんだかんだと言って、赤ちゃんと母親の間には大きな絆があるようですね。これは子育ての上手い下手に関係なく存在するようです。うちの息子も、母親に対して盛んに話しかけていますが、父親の私には、話しかけるのではなく、にっこり笑いかけることが多いです。また、泣くこともあまりありません。あまり甘えません。常に良い子のままです。
しかし、つねによい子のままというのは、どこか不自然なんですよね。
逆に将来ダメになる可能性がある。
だからガス抜きに母親に甘えるというのは、いいことなのかもしれない。
むしろ母親にも甘えなかった方が、逆に不安かもしれない。
これについての考察は、また後日、このブログに書くとして、私は特攻隊の話を思い出しましたね。あるアメリカ人従軍牧師が、第二次世界大戦の太平洋戦線に従軍したのですが、彼は面白いレポートを書いている。従軍牧師ですから死ぬ寸前の日本人兵士の最後の言葉もたくさん聞いている。で、特攻隊などの日本人兵士たちは、最後に必ず
「ああ太陽(Oh! san)」
と言って死んでいった事実に着目し、日本人は死の直前までも日の丸を口にした勇敢な民族であることに驚嘆した。しかし、それを終戦直後に元特攻隊の日本人に話したら
「偏見もいいところだな! 死ぬ間際の日本人が英語で『ああ太陽』と言うんだよ! 言うわけ無いだろ。『おかあさん(Oh…san)』と言って死んでいたんだよ! 勇敢な兵士ほど、お母さんのために死んでいったんだよ」
と言い返してきた。それで従軍牧師は、はじめて日本人に対する偏見のまなざしをぬぐいさったと言います。それにしても当時のアメリカ人というのは、救いがたい偏見に満ちていたものですね。ああ太陽だなんて。しかし、誤解が解けてから彼は日本人が大好きになったらしい。
つづく。
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