脳科学者や発達心理学の研究者によると、どんな子供たちでも、3歳をすぎると、それ以前の記憶が消えてしまうものらしい。3歳を境に、それ以前の記憶と、それ以降の記憶に断絶がおきてしまうらしい。そして子供の一人遊びは、主に3歳以前におきるのです。
ということは、3歳以前の子供たちには、なにか不思議な能力があって、何かが見えるのだが、3歳以降になると、脳が改変されて、その能力が消えてしまうということになる。いったい、どうして、そんなことがおきるのだろうか?
親が、最も子供に愛情をそそぐのは、0歳から3歳までだと思う。0歳児は、何もできない。1歳児もしかり。2歳児は、非常にデリケート。3歳児になって、ようやく社会を理解しかけるようになる。しかし、その時に脳に確変がおきて、過去の記憶を失うのだ。親が、どんなに愛情をそそいでもリセットされてしまう。
私の息子は、8ヶ月になったばかりで、毎日、あふれんばかりの愛情をそそいでいますが、これは、子供が3歳になったら全て忘れられてしまう記憶なんですよね。これは、親に対して過酷な仕打ちです。
私は、かなりの親不孝者ですが、もし、私に3歳以前の記憶が鮮明に残っていたら、どんなに努力しても親不孝になれなかったかもしれない。しかし、逆にいうと親離れもできなかった可能性が高い。そうなると社会生活に支障をきたしすかもしれない。人間は、犬やオオカミと同じく社会生活によって生きていく動物ですが、犬やオオカミと決定的に違うところがある。それは、親離れすることによって社会生活に適応するところです。
犬やオオカミは、社会の大きさが小さい。だから親離れするメリットが小さいけれど、人間の場合は、そうではない。社会の規模がとてつもなく大きいので、親離れすることのメリットが大きい。そのうえ近代社会は、親離れを前提に成立している。具体的に言うと、近代社会は、国家の下に個人が繋がることによって成立した。つまり『国家>個人』となる。しかし前近代では、そうではなかった。『国家>個人』の間に家族があった。具体的に言うと『国家>家族>個人』であった。そのために汚職が日常茶飯事であった。親が犯罪をおかすと、関係ない親族すべてが殺されるということもたびたびあった。逆に一族の誰かが、出世すると一族全てが、それにたかった。それを拒否することはできなかった。国家よりも家族を優先しなければいけなかった。『家族』を『閥』に変えても良い。例えば軍閥・派閥など。『地域』としてもよい。『賄賂』としてもよい。そういうものが、国家や法律に優先するのが前近代であり、それがあるために近代化できない国がごまんとある。
ヨーロッパのある国では、妻が病気だとわかると、仕事をさぼって、さっさと自宅に帰る夫たちばかりいた。それだけ聞くと、美談のように聞こえるが、そうではない。救急救命士も、消防士も、鉄道員も、教師もそれをやったらどうなるか? 国家がなりたたない。つまり国民は、公共サービスを信じなくなるから、ますます家族を優先して、国の法律をおろそかにする。すると、その国は、たちまち落ちぶれてしまい、国自体が国際競争の敗者となってしまい、社会全体が貧して、犯罪者が多くなる。でも、その国の男たちは、日本人の基準からすると親離れしてない。いわばマザコンの極みに見えてしまう。ヨーロッパの国なのに。
話がそれました。
ここからが本題です。
前回、3歳過ぎても消えない記憶もあると書きました。
ソースは、私です。
私は、3歳以前の記憶を少しだけもっていました。
私の嫁さんも同様です。
嫁さんは0歳の時の記憶をもっていた。
ワンワン泣きながら、神社で顔に判子を押された記憶があった。
これは、どういうことなのか?
脳科学者や発達心理学の研究者によると、どんな子供たちでも、3歳をすぎると、それ以前の記憶が消えてしまうものらしいけれど、私には、0歳の頃の記憶が、すこしだけある。これは、いったいどういうことなのであろうか? これが分からなかったが、映画『博士の愛した数式』やアニメ『ef - a tale of memories』などの設定で使われている、前向性健忘症の存在を知って、「あっ!」と思った。
前向性健忘症とは、記憶障害の一種で、物事自体が記憶されない症状です。映画『博士の愛した数式』では、記憶を保持できるのが2時間。アニメ『ef - a tale of memories』では13時間に限定されています。じゃあ、全ての記憶が13時間で失われるかというと、そうではない。13時間以内に、思い出せば記憶を保持できる。13時間ごとに、過去を全て思い出せば記憶は失われない。けれど、14時間の睡眠をとって思い出すことをしなかったら全ての記憶は無くなる。だから13時間までに必死になって思いだそうとする。そういう物語。
まあ、そんなことは、どうでもよいとして、
発達心理学の研究者たちによれば
人間は3歳の時に、全て記憶を失うという。
しかし3歳の時に、0歳の記憶を思い出すことがあったとしたら、
その記憶は、4歳以降も残るのでは無いだろうか?
大人になっても残ることになるかもしれないのではないか?
私が、0歳の時の記憶を多少なりとももっていたのは、3歳の時に、本来なら消去されるべき記憶を思い出してしまったために、その記憶は4歳以降まで残されて言った可能性がある。
もし、それが本当だとすると、人間にとって3歳という年齢は、非常に重要なポイントをしめるかもしれない。3歳の時点で何かがあって、過去の記憶を持ち越すか、持ち越さないかが、ものすごく重要になってくる。その後の人生に大きな影響をあたえてくるはずです。
さて、私のことですが、私は3歳で人生が大きく変化している。3歳以前までは、母と2人で佐渡島の僻地にいて、父・祖母の顔はみてない。ところが3歳以降に、母と離れて、父・祖母と暮らすようになっている。父は厳格で祖母は口やかましい人だったので、それ以前とは全く違う生活にとまどっていたはずである。で、3歳以前の過去の記憶を思い出してしまったのかもしれない。本来なら消えて無くなるはずの記憶が、深層深くにインプットされてしまったのかもしれない。
問題は、その後である。
3歳以前の記憶があるくせに、
3歳以降は、一瞬、記憶喪失になる事がたびたびあったのだ。
それも5分とか、20分という短い時間だけである。
これを説明するのは、難しいのだが、どういう現象が自分自身におきたかというと、タイムスリップのようなことがおきるのだ。例えば、学校に登校するときに5分の記憶喪失になったとする。すると自宅から学校に瞬間移動したのと同じになる。これは、非常にやっかいな問題をおこすのだが、子供の私には記憶喪失の認識は全くない。瞬間移動をしたと思っただけである。もちろん、こんなことは、親にも教師にも友達にも言ってない。言っても嘘つきあつかいされるだけであるから、あきらめるしかない。こうして徐々に私は無口になっていくのである。
また、大きく話が脱線してしまったが、記憶には、無くなった方が良い記憶というものも、あるかもしれない。
3歳までにかける親の愛情というものは、それはもう凄い物があるものだが、子供たちは全て忘れてしまう。
これは親にとって、ものすごく残酷で哀しいことなのだが、それは仕方の無いことなのかもしれない。とても残念なことではあるが。
ただし、子供が、いずれ親になったときに、察することはできるかと思う。
だから親は、子供に孫を産ませたがるのかもしれない。
つづく。
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思わず、なるほど…とすっかり納得した気分になりました。
そのタイミングってなんなのでしょうね。
必要や意味はおいておいて、そのタイミングがわかれば、小さいころの記憶を意図的に持ち続けさせることも可能になるかもしないってことですよね。
面白いですね!
それと親離れとは関係するんですか?マリア様も?
そもそも、自分の時間を削ってまで働こうとか、そうまでして国際的な勝者になりたいという考え方を持っていないですよね。
日本の社会の正確さ・清潔さ・信頼できるところ、素晴らしいのだけれど、でも、デメリットはそれこそ、南欧のもっているその考え方がないことなんじゃないかなぁと思うことはあります。
だって、なんで一か月の休みが当然のように取れないんだー!と本気で今思っていますもん。