私は、赤信号の間に、コンビニ弁当を全て平らげてしまう特技がある。
いつからかと言うと、かなり小さい頃からである。
赤ちゃんを育てたことのある人間なら分かると思うが、幼児は食べるのが遅い。もちろん私も幼児の頃は遅かった。しかし、母親なら、それに腹をたてることもなく、ゆっくり食べさせたと思う。問題は、私の父親である。昔の男たちには、早食いの人間が多かった。
それはともかくとして、
私は3歳まで父親の顔をみず、母親と共に育った。
3歳になると、こんどは母親と離ればなれとなり、
父親と祖母に育てられた。
生活が一変したのである。
といっても、父親は昼間は働いている。顔を合わせるのは、夕方18時頃から夜の20時頃までである。それ以降だと私は睡眠についていたし、朝は、早くから父親は仕事に出かけている。だから接触している時間は、短かったはずなのだが、この短い時間が恐怖だった。
まず、父親は、ゆっくり食事をたべることを許さなかった。
しかし、いくら殴られても早食いになるわけではない。
で、怒った父親は、私を二階の屋根裏部屋にとじこめたが、
三歳の幼児に、これは堪えた。
ちなみに、その家は平屋だった。
だから二階といっても、本当に屋根裏の物置だったのだ。
もちろん電気などない。
真っ暗である。
恐怖そのものである。
しかし、子供というものは、
その恐怖に対して、
怖いもの見たさのような感情がある。
あの暗闇の中が、どんなふうになっているのか見てみたい。となると、昼間、こっそりと二階に登るしかない。で、何度も2階への階段を上ろうとするが、そのつど祖母にみつかって叱られる。連れ戻される。その階段は、ハシゴのような急階段で、三歳の幼児には危険すぎたのである。
祖母(または母)は言った。
「あそこには、鬼がいるのよ。登ったら食い殺されるよ」
たしかに階段を登り切ったところに般若の面がかざってあった。
かなり高価なものだったらしい。
食べるのが遅いといって、お仕置きに、屋根裏に閉じ込められた時も、
あの般若(鬼)の面に恐怖しながら泣きさけんだ。
父親は
「言うこと聞かないと、この鬼につれていかれるからな」
と怒鳴った。
父親も鬼に見えたし、鬼(般若)の面も怖かった。
母親は、弟と単身赴任で、遠くにいったままでいない。
いままで見たことも無かった父親と祖母との生活は、
この般若の面が置いてある二階の物置に、
毎日閉じ込められる恐怖との戦いであった。そして
「あそこには、鬼がいるのよ。登ったら食い殺されるよ」
という脅しへの恐怖。
その食い殺そうとする般若の面が飾ってある二階の物置に
閉じ込められるという恐怖で、毎日、生きたここちがしなかった。
もちろん早飯ぐらいになろうと努力もしたが、その努力はなかなか実を結ばない。そもそも三歳児が、早飯になれるわけがない。わけがないのに、食べるのが遅いといっては、2階の屋根裏にとじこめられる。そして、般若(鬼)の面の恐怖が襲ってくる。
三歳だった私は、ある日、ついに決心した。
真っ昼間、祖母・両親の目を盗んで、
こっそりと屋根裏部屋のある2階にあがって、
般若の面を粉々にくだいてしまった。
けっこう高価な面だったらしいが、
そんなことは3歳児の知ったことでは無い。
つづく。
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